c71の一日

生活の記録

母は一人の小さな女の子のまま

母のことを考えると、わけがわからなくなる。

わかっているのは、母といると、具合が悪くなってしまうということ。
わたしが、憎しみの固まりになってしまうということ。

彼女が、そんなに悪い人ではないという気もするし、わたしのうまくいかなかった人生の責任を彼女に追わせているだけだという気もする。

でも、それなら、なおさらのこと、彼女に関わる必要はないという答えが出る。
彼女に責任を取るよう迫らないようにしたいならば、彼女に会わないのが一番の選択なのだ。
そして、わたしは、わたしの人生を歩きたいと決めている。
そんな決意が、健康な人からはばかばかしいようにみえることは知ってはいても。

母に対して一番思うことは、彼女がかわいそうだということだ。罪悪感で胸が締め付けられるようだ。

罪悪感を打ち消すために、憎しみを駆り立てている一面もある。
そして、それは正しい。

わたしは、罪悪感を人質に取られ、長い間、彼女から逃げることができなかった。
彼女は孤独で、寂しく、人を憎み、コンプレックスの固まりだった。
彼女は、世間と向き合うほど成熟してはいなかった。心の中はいつまでも娘のような人で、庇護者がいないと生きられない。人目を気にして、さばさばしたキャラクターを作り上げていた。

わたしが母からようやく逃げられたことは、わたしの人生で起こった、最も輝かしいことだ。
その選択はことほがれるべきで、無条件で正しい。
わたしは彼女といることで病気になったのだから。

母は、彼女の人生で持って、かわいそうから脱却しなければならない。
彼女は、自分のことを、かわいそうがるところから始めるべきだ。わたしは彼女の代わりに彼女をかわいそうがってきた。
わたしは彼女の面倒を、(もう見ることができない=この言い方は正しくないが、そうとしか言いようがない)彼女に任せた。
わたしは彼女の娘であることを止めた。