c71の一日

生活の記録

DV被害者の連携ってどんなものがあるだろう、というか、ない

わたしが、同じようなDV被害者の人たちと話ができたのは施設に入っているときだけでした。
それまで、孤独で、自分が情けなくて、とにかく怖くて震えていました。

現世に出てきたら、同じようにDV被害者としてサバイバーとして生きている人とそんなに簡単に出会えません。
AAとか断酒会とかダルクとかマックとかあるのに、DV被害者の集まりはない。
DV被害者になって、精神や体を損なってしまった人たちの会って、あまりにもないな、と思います。
DV被害者は心のケアよりも先に、経済ケアが先に立って、とっとと逃げて、逃げるためにはお金がいる、お金があれば寄生されない、という基盤を作る方が優先されるような気がします。

誤解を恐れずに言えば、DV加害者と一緒にいた、という事実は、一種の依存状態にあったのではないかと思います。そうでなければ、そこに適応しなかったら、殺されていたのだから…。
そうでなくても、心の中の大事なもの、たとえば、人を信頼すること、ポジティブに明日は何とかなると思える心などを、破壊し尽くされたのが、DV被害者なのだと思います。
だから、たとえネット上だけでも、DV被害者としてのわたしが日常を綴ることが、何かの連帯になるのかもしれない、そういう試みをしたいと思いました。

逃げるこつだとか、心を持っていかれないこつだとか、見捨てるこつだとか、経済的自立をするためのこつだとか、そういうことをも書いていけたらなと思います。