c71の一日

生活の記録

母子密着と憎しみ

母と縁を切って、一年が経った。
それで、ようやく客観的になれた気がする。
わたしは、今まで自分の人生をおろそかにして、自分を大切にしておらず、自分の人生が一度きりだと言うことをわからず、人生をきちんと生きていなかったなと思った。

生かせなかったチャンスは二度あって、一度目は、恋愛をしたこと。
二度目は、就職をしなければいけなかったこと。

わたしは、二つのチャンスを逃して、そのあと、大失敗をした。大失敗をすることで、本当の味方が誰なのかを知り、母のわたしへの密着が、支配だったことを知った。

それは、昔から知っていたことだけど、断ち切るときに、どこまで自分の心や体を支配していて、自分が口だけ批判していたけれど、そのぬるさに甘んじていたか、放棄していたか、奪われていたか、それを許していた自分の責任の重さなどを知った。
その重さは耐えきれないような気がして途方に暮れた。

わたしは、さっさと働けば良かったなと、思い返す。もしくは、恋愛を大事にすれば良かった。何度も後悔して何度も泣いた。

(余談だけど、わたしの過去の恋愛に対する執着って、ほとんど相手ありきではなくて、うまくいった可能性に対してのものだと思う。だから、相手の人生を支配したい欲に近いのではないかと思う。うまくコントロールできないけれど、コントロールできたら、わたしは、人生を丸ごと愛せるようになると思う)

泣いたくらいじゃ収まらなくて、叫びだしたくなったり、暴れだしたくなったりした。

だけど、そのどちらをしても、多分、うまくいかなかったんじゃないかな、と思う。

わたしにたまっていた、恨みはたいへんな量だったので、その恨みが、恋愛に向かっていった可能性はとてもあるし、人を恨みながら働いても、やっぱりうまくいかなくて、結局は同じことを起こしてしまった気がする。特に、恋愛に逃げていった場合、恨む相手が、恋愛の相手になって、「あなたがこうだからわたしは幸せになれない」と繰り返し言うような真っ黒な人間になった可能性もある。

わたしにたまっていた恨みは、母親がずっと抱えていた憎しみだった。
母親が憎んでいた人たちは、わたしが大きな失敗をして、本当に行くところがなくて、困っているときに助けてくれた。母親は、わたしを助けず、非難し、わたしをより傷つけた。

わたしは、誰かの役に立っていた訳ではないのに、どうして、助けてもらえたのだろうと不思議に思う。

わたしは本当に運がよかった。周りの人が良かった。
次に同じように助けてもらえるとは思えないので、今自分ができることを頑張りたいと思う。

今できることを頑張るというのは、とても地味なことだ。
華やかさがまるでない。

でも、ようやく人生が始まったような気がする。

わたしは、まだ、ときどき、憎しみでいっぱいになる。
でも、憎しみから解き放たれるときも出てきた。

わたしは、自分の仕事を愛している。
それは、わたしを支えてくれる。ときどき、つらい思いもさせる。
わたしを自由にもしてくれる。

わたしの仕事よりも、華やかな仕事も、給料もいい仕事も、待遇がいい仕事も、世界を動かすような仕事もあると思うけれど、わたしの人生は、わたしにしかない。

わたしは、憎しみの中を泳いで、今の時間にたどり着いた。

それは、とても退屈で、逃げ出したくなるし、自分の平凡さに向き合うことがつらいように思えるけれど、振り返ってみれば、とてもありがたいことだ。

母子密着の最中は、自分が常に注目されているので、自分がとにかくすごい人間なのだと、そうでなくてはならないのだと思い込んでいた。
母がなぜ、そうしむけたのかは考えない方が良い。

恨みや憎しみで、不安定になっているときは、情緒が不安定なので、自分が、ダイナミックな人生を歩んでいるような錯覚に浸れる。
悲劇のヒロインになれる。
たいしたことをしていなくても、自分が人生の主人公だと思い込める。
引きこもって泣いているだけで、周りにかわいそうだねと言ってもらえて、泣いているせいで、自分が心の豊かな人間だと、だから生きることがつらいのだと思い込める。


でも、何もしていなかったのだ。


わたしは、すごい人間でなくて良くなった。
わたしは、自分のできることを提供する人間になればいいし、自分が生きていけるだけ、稼いでいけたらいいと思う。

まだ、自分のことに手一杯すぎて、助けてもらった恩を返すことはできないけれど、一年前には、自分がここまで回復するとは予想していなかったら、来年になったら、今よりももっと良くなって、もっと自由になって、もっと人生を愛せるようになっていたら、いいなと思う。