c71の一日

生活の記録

自閉症スペクトラムのわたしが就いた仕事の話

自閉症スペクトラムの診断を受けるまでは、法律の仕事か、プログラムの仕事に就こうと勉強していて、実際に就いたのは、プログラムの仕事でした。

でも、実際には、気遣いを求められる職場だったので、わたしには合いませんでした。
上司も良い人だったけれど、続きませんでした。気遣いって、わたしには複雑すぎました。
お給料も東京で手取りが十四万円だったし。

自閉症スペクトラムの診断を受けるきっかけになったのは、パニック障害気分障害、不安障害がひどくなって、入院したせいで、そこの院長先生が発達障害に詳しい先生だったので、対人関係のスキルと、知能テストを受けました。

そこで、言語能力と、システム把握能力、記憶能力と、ストーリーを作る能力と知能が高いことがわかりました。

できないことは、まあ、いろいろです。
テストで計れることは、一面でしかないけれど、障害があるからこれもできないあれもできないではなくて、できることをしようという話し合いをしました。社会との関わりを持たないと病気になるから、とにかく働き口を探そうという話になって、何が向いているかとか深く考えないで、やりたいことを次々受けて行こうという話をしました。


入院中に中学生に勉強を教えたことがきっかけで、わたしは教えることが向いているかもしれないと思いました。

その子の悩みを整理して、紙に書いて、文章にして、問題点を洗い上げて、それをもとに、家族との話し合いになる…という過程。

退院してすぐに、バイトを探しました。
最初はユニクロ。健常者みたいに普通のことがしたかったんですね。落ちました。

それから、時給がいいという理由と、子ども相手の仕事だから、ドキドキが少なくてすみそうだという理由で、塾講師に応募しました。しかも一対一の形式。一対一の場合だと、対人関係の下手さが表面化しにくいのは、わかっていました。男の人が苦手でパニックが出やすいので、事務員だとか、正社員はまだ受けませんでした。


そうしたら、子どもが好きだということがすぐにわかって、営業もあるけれど、想像力を働かして、こうして提案したら喜んでもらえるかなーということをしたら、営業もうまくいくようになりました。



最初に受け持ったのは低学力の子どもでした。落ち着きもなくて、でも、勉強をしたい、学校で話している謎の言語のことや、教科書の内容を知りたくてうずうずしている子でした。

だから、学校でやっていることがわかって授業の内容がわかることを目標にして、勉強を教えました。

わたしの教え方は、生徒さんによると、質問に対して、ぴったりの、的を射た答えが返ってくるし、答えが端的で短いから理解しやすいそうです。

その子の親御さんはぱんぱんになっていて、どうしてこの子はできないんだ、と、子どもを責めているようなモードだったのです。
子どもが勉強できないと親御さんは大変心配します。
一年かけて落ち着いて、子どもの方から英語がわからないし頭が混乱してきたから教えて?という風に持ちかけて、一緒に英語をやったり、お風呂に入って話をしたりする関係に改善したそうです。

こういう話を聞くと、やっていて、良かったなあと思います。

一般的には自閉症スペクトラムは接客や営業は向かないのかもしれませんが、わたしの場合は、役割がはっきりしていること、時間にたいして明確にお金が支払われるので、システムが理解しやすいこと、上司が一人しかいないこと、得意な勉強を生かせること、言語能力を使えることなどが良い方向に向いたような気がします。

時間の融通が利くので、対人関係で疲れても、ゆっくり休んで回復することもできるし、お医者さんにも通えるし、自分でスケジュールを立てられるので無理をしないで働けるのもこの仕事の利点だなあと思います。
残業も発生しにくいです。

良いこと尽くめのようですが、夜遅いし、収入の月々の差が大きいことなど不安はまだありますが、頑張って行きたいと思います。