c71の一日

生活の記録

あなたは間違っていない


とある自活できてない非正規社員のこれまで - さらさら録



わたしは自活できていない。人に話すのが面倒くさいから、援助を得ていることは人に話していない。
年金はもらっていない。もらえば自活できるけれど、主治医がそれに反対している。父が援助できなくなったら、主治医に相談しようと思う。


自活できていないことは恥ずかしい。
恋人にも話せていない。わたしが人ごみやうるさいことが苦手なことは知っているけれど、障害のことも話していない。


障害が見つかるまでは、生きることがなんだか苦しいなあと思っていた。

他の人はわたしほど苦しそうに見えなかったけれど、見えないところで苦労しているのかと思った。


障害が発見されてから、適切な薬を飲むようになり、援助ももらうようになって、精神が安定した。
生きるのがこれほど楽なのかと驚いた。
これで、もともと精神の障害がない人はどれだけ楽に行きているんだろうかと驚いた。そして、今までの人生を思うと、なんてうらやましいんだと思った。


わたしは障害がなければ、上場企業に入って、ばりばり働いて、年収一千万円とかになりたかった。それとも、大学の先生になりたかった。わたしはそこそこ有名な私学に入っていて、研究者になることも勧められた。その先生は、今まで研究者になることを人にすすめるのは初めてだと言った。簡単に損なことは言わない人だった。わたしがドクターになる頃に、その先生が退職するので、うまくいけばポジションを譲れるとやんわり言われた。結婚はできないかもしれないし、人生はばくちになるけれどと。


でも、わたしは要領が悪くて、その道を選ばなかった。今でも少しみれんがある。
勉強は楽しいし、生きることは喜びだ。でも、わたしはきっと研究者になること自体は楽しめただろうけれど、ストレスには弱いから、つらかったかもしれないなあと思う。


あのころ、世界は開けていた。勉強をすることの喜び、世界をより良きものにするための思考、勉強をすればするほど、目の前が広がっていて、遠い景色まで見通せる。そして、人の役にも立つ。わたしは革命を起こしたかった。とても透明な世界でわたしは生きていた。
その一方、対人関係は歪んでいた。お金のこともわからなかった。生かされていた。


わたしは男女平等の世界を作りたかった。その一助になれたらと願っていた。


わたしは今は少しだけど、自分の力で生きている。
研究者になりたかった。向いていただろう。今は、教える仕事をしている。研究者ではないけれど、やはり勉強をしている。勉強会では自分が研究していることについて話す。それは簡単なレジュメと短い発表にすぎないけれど、舞台が変わってもわたしがしていることは同じだし、世界をより良きものに変えたいという願いのために働いているのは同じだ。


塾で、生徒さんに、いつか自活するための力になることを願って、勉強を教えている。自活するための職業選択のヒントになるようなことも話している。
わたし自身は、自活できていないけれど、未来のある人が、そんな暮らしができるように手伝えれば、それだけでも、わたしの願いは叶う気がしている。


もしかしたら、このまま働いていたら、仕事にも慣れて、研究を続けることができるかもしれない。わたしの専門は、本さえあれば、できる研究だから、別に設備は必要ない。教えることが好きだから、大学で教鞭をとることも、塾で教えることもきっと同じだろう。


大きく違うのは収入だ。もし、あの大学で教えることができたら、毎年二千万円ほど稼げた計算になる。でも、ポジションを譲ってくれる、という話が本当に実現したかわからない。ライバルは現れるだろうし、わたしが研究に行き詰まった可能性だってある。


選択肢はいつもある。
毎回とっさの判断で選ぶ。

間違っていることもある。うまくいくこともある。


わたしは今まで間違え続けていたと思っていた。


発達障害の診断が出るまで、からだが弱くて、少しずつ調子が悪くて、障害でもなく、大病でもなく、でも働けないし、家族に支配されて、自分の意志で行動できない、そんな惨めな状態が続いていた。


ある、大きな事件があった。わたしはそのときに二十キロ太るようなストレスを受けた。生きるか死ぬか、思い詰めるほどのストレスがあって、わたしはそこをくぐり抜けるために入院した。その先の主治医が、たまたま発達障害の専門家だったせいで、初心のときに、わたしの話し方がおかしいことに気づいて、発達障害を疑われて、検査して、診断が降りて、わたしは初めて障害者になった。


障害者になる前となった後で、わたしは何も変わらない。
だけど、周りが変わった。わたしは自分自身について研究することにした。


このブログはその研究の成果を発表する場でもある。


わたしは惨めなときもある。

でも惨めじゃない日もある。
だから良かったと思う。



援助を受ける受けないは、たいしたことじゃない。
たいしたことではあるのだけど、でも、生きるために、利用できるものは利用すれば良いと思う。
利用と言うと、誤解を受けるかもしれない。
感謝している。
卑屈になる必要もない。
わたしが誰かを助けられるとき助けたいと思う。


わたしは人からだまされて、大きな傷を受けたこともある。
わたしは人を大きく傷つけたこともある。
両方ある。でも償うために死んだりしない。生きている。
それは楽しいからじゃない。
嬉しいからでもない。
死ぬという発想がないからでもない。



わたしはIQが高い。それは、障害のせいだ。障害がなければ、IQも人並みだっただろう。
もっとIQが高ければ、ひとと話が合わなくて、苦労するらしい。だから、これくらいの誤差で良かったと言われた。わたしのIQの高さは、誤差の範囲らしい。だから、少しだけ得をしているらしい。
IQに関してだけ。IQが高いと言われると、確かに嬉しい。嬉しいけれど、嬉しいだけだ。
人付き合いがうまい方が、世の中をうまく渡れると思うし、生きやすいと思う。
わたしの場合は、IQと記憶力の良さで、障害の弱点を補っているらしい。
だから、いつも疲れていて、気分が良くないのだそうだ。
正直に言って、疲れていて、気分が良くなく、精神が病気なのは不快なことなので、IQが高いよりは、人付き合いがうまい方が快適に暮らせると思う。


わたしは人付き合いが苦手だ。テレビも見られない。光と音がうるさいことと、悲しい話や気持ちが揺れる出来事が多く放映されているからだ。蛍光灯の音にいらいらすることもあるし、色彩がまぶしいと感じることもある。足を踏み入れることさえできないことも多いし、一回目に入った会社ではセクハラをうまく捌けなくて退職するはめになった。



IQが人より高いことよりも、人付き合いがうまい方が、現実的には有利な特性だ。
だから、そちらの方が良いと思うときもある。


だけど、現実のわたしは人付き合いが苦手だ。人からは頭が良くていいとうらやましがられる一方で、変わり者だと笑われる。頭の良さを褒められると嫌みか、とも思う。わたしには頭の良さがなんなのか、本当にはわからない。

でも、頭が良いと言われる。排除された気分になる。別の生き物、と言われたような気がする。



わたしにはできないことがたくさんある。
わたしには役に立たないけれどできることもある。文書を書くとか、勉強をするとかは、役に立たないけれど、できることだ。


つらいことはたくさんある。
でも、つらいことがあるからといって、それが、間違いの結果だとは思わない。


わたしは間違ったから、つらかったわけじゃない。

わたしがわたしで、世界が世界で、それぞれそりが合わなかったから、わたしがつらかった。


わたしは自分を知ることによって、少しずつつらさを減らしつつある。


研究者になりたかった。なれなかった。でも、こつこつ勉強をしたり、教えたり、文章を書いたり、したかった、という志は達成できた。


自活できるようになりたかった。でも、なれていない。だけど、これからできるようになるかもしれない。ならないかもしれない。なれなくても、はずかしいことじゃない。わたしが、間違ったから、自活できなかったわけじゃないから。間違ったとしても、恥ずかしいことじゃない。


間違っている人はたくさんいる。でも、その人たちが、みんな自分を恥じているわけじゃない。

恥じ入る瞬間はあるにしても、たいていのときには忘れているようだ。

だから、そういう良いところは見習って、わたしも忘れることにしたいと思う。
働くことは喜びだ。社会の中にとけ込んでいる気持ちになるから。
楽しいから、働いている。
生活のためでもあるけれど、でも、楽しいからしている。
立派だから働いているわけじゃない。

わたしはコンビニと塾で働いている。コンビニで働いてから、少なくとも六時間は、休憩できる。休憩しながら働くことがあっているようだ。だから、そうしている。立派だからそうしているわけじゃない。体力がないから、精神力もないから、それにあわせて工夫している。


だから、あなたも、忘れてほしい。
都合の悪いことは忘れて、楽しんで、暮らしてほしい。
病が許す範囲で、楽しんでほしい。