c71の一日

生活の記録

田嶋陽子はヒーローだった

学校で男子にバカとかブスとか言われていたわたしは、テレビで、赤いメッシュをかっこ良く入れた美人が、たけしと大竹さんを相手に、一歩も引かずに自分の考えを述べているところに励まされていた。

ブスと言われても、平気な顔をしている彼女。

わたしはブスと言われても平気でいようと思った。それは自分の感情を抑圧するって意味じゃない、ただ、くだらない男、にブスと言われてもなんぼのものじゃ、と思ったのだ。


大竹さんからも、武からも、彼女は愛されていたと思う。そうでなければ、嫌いな相手と、武も大竹さんも長い間、一緒に番組をしなかったと思うのだ。


わたしは子どもの頃から、数学ができるのは男の子だとか、家事が得意なのは女の子だとか、出席が、男子からだったりすることにむかついている子どもだった。


田嶋先生の本を読むと、シングルマザーや、困っている女性に厳しいながらも優しかった。
だから、わたしは、赤いメッシュの髪のボブに憧れるようになった。

彼女は美人だった。

ブスといくら言われても美人は美人だ、彼女をブスと言っているおっさんにひとりも美男子はいない、と暗い満足を抱いていた。


わたしは、人生がつらいときに、フェミニズムにずいぶん救われた。

実際にはわたしが悪いのだとしても、生きていていいんだというメッセージを受け取っていた。

わたしは女として呪われていると長年思っていて、その呪いを解いてくれるのは彼女だった。彼女は良い強い魔法使いだった。



わたしは彼女に勇気づけられていた、学校の先生に嫌われても、勉強ができるからって、他の生徒に嫌われても、平気だった。それは、彼女がブスだと言われていても、ずっと自分の考えを言っていたから。

わたしは彼女が学者だと知らなかった。頭の良い人だと思っていた。


大人になってから、彼女をヒステリックだと思っている人がいて、驚いた。わたしは激高した。
彼女ほど穏やかで理性的な女性はいない。ブスだと言われて話を遮られても、毎週バラエティ番組に出るのだから。


わたしは、大人になって、自分の立場からフェミニズム的な発言を発信したいと思っている。

それは、女性のためだけじゃなくて、男性も、息苦しく暮らしているのだから、それも解放したくて。
いろんな性別の人が、自由に自分らしく生きるのために、文章が役に立てば良いと思う。


彼女はわたしに芽をまいた。わたしは育って、フェミニストになった。そして、子どもの頃からずっと変わらず彼女を大好きだ。彼女は大事なヒーローだ。