生きている感覚、意見を言うこと、差別のこと、雨宮まみさんの本のこと
彼氏ともめて、不安定になったのだと思っていたのだけど、意見を引っ込めて、負けておいた方が、争いごとが減ると思って黙ったから、不安定になったみたいだった。
生きていてもしかたがない、わたしには価値がない、太っていて、醜い、と思った。
そんなわたしにも彼は優しい。付き合ってまだ日が浅いと言うのもあるけれど、もともと誠実な人なんだろう。もめたあとも、彼は態度が普通で変わりないことがわかったのが収穫だった。わたしは男性不信な面があるから。
もめた原因が、「風俗で働いている人を差別するな」ってことだったのは、面白いように思うけれど。当たり障りなく生きていこうとすれば生きていける話題だと思った。
わたしは、自分を隠して、良いところだけ見せて、良い付き合いをしようとしていた。
だけど、彼は本心を見せてと言った。だから、わたしは本心を見せた。
だけど、もめごとがあったあとも、彼は変わりがなかった。そのことはわたしを安心させた。もめ事がなく、良いところだけを見せて、相手の価値観に合わせることが、人として完成されていると思っていたし、それが愛してる、違いを受け止める、ってことだと思っていた。
だけど、本心を見せても関係は壊れなかった。むしろ、価値観を黙って合わせていると、気持ちが死んだようになって、不安定になって、ヒステリックになって、八つ当たりしてしまう。だから、相手の価値観に沿っていないとわかっている部分でも、大事なことは言った方が良いんだと思った。
わたしは彼とつきあってから、良い風に変わった。影響をたくさん受けた。だから、同じように彼も影響を受けるんだと思った。
職業差別をしてはいけない、っていうのは、ルールだ。社会の中で好ましいとされていない職業がある、っていうのは裏ルールだ。社会がそうしたがってるからといって、決まりを破って言い訳にはならない。わたしは人を傷つけることが一番いけないと思っている。傷つけようとして傷つけることが一番悪い。自分の譲れないことがあって、やむを得ず人を傷つけたり、自分らしく過ごすために合わないせいで、人を傷つけるのは仕方がない。だけど、けがをさせたり、差別をしたりするのは一番いけないと思う。
だから、合法であり、社会的に良いと思われている仕事でも、わたしは良くないと思う職業はあるし、社会的に良くないと言われている職業でも、良い職業だなと思う仕事はある。
例えば、職業ではないけれど、入れ墨を入れている人を良いと思わない人もいる。わたしは現実に会ったことがないとき、もしかしたら、びっくりするかも…、差別してしまうかも、と恐れていたけれど、外国で、入れ墨を入れている人を見ても、綺麗だなと思うだけで、いやな感じはしなかった。自分の感覚が大事だと思う。自分が入れ墨を入れたいと思うか、風俗で働きたいと思うかと、それを差別するかどうかは、全然別に考えられると思う。
自分が風俗で働いていないからと言って、引け目に感じる必要はなくて、たぶん、これからも塾講師で需要がある限りは、わたしはジョブチェンジをする必要はないのだけど、わたしにできるのは、身近な人が、差別しているときに、たとえもめても、差別は良くないと言うことだと思う。それで、相手を変えることができなくても良いんだと思う。差別する人が悪い人かと言うとそういうわけじゃないと、最近思う。知識が足りないだけなのだ。悪い部分もある普通の人だ。わたしにも、差別心はあるときがあると思う。そのときは、教えてもらっても抵抗するかもしれない。合理性があるとかなんとか言って。でも、差別をするわたしである、という事実を突きつけられても、それまでのわたしとそれからのわたしは何も違わないばかりか、より良いわたしに一歩近づいたわたしであるのだ。
だから、差別する人がいても、それまで良い関係を築けていて、それからも一緒に付き合っていけそうだったら、その人と付き合って、差別的なことを言ったときに、それは差別だよ、と言えば良いんだと思う。相手を変えようとする必要はなくて、自分が意思表示をするのが大事なんだと思う。そのことで、相手との関係をなくしたり、過剰に責めたり、過剰にバカにしたり、しないようにするのが大事なんだと思う。
彼氏が今度、一緒に性病検査に行こうと言ってくれた。わたしは嬉しかった。一緒に、っていうところがまず嬉しかったし、体に対して関心を持ってくれたことが嬉しかった。性病を持ってるか疑われている、と考えることもできるだろうけれど、一回でもセックスをしたら、性病にかかる可能性はあるのだから合理的な判断だと思う。
- 作者: 雨宮まみ
- 出版社/メーカー: ポット出版
- 発売日: 2011/12/05
- メディア: 単行本
- 購入: 30人 クリック: 686回
- この商品を含むブログ (33件) を見る
久しぶりに雨宮まみさんの「女子をこじらせて」を読み直した。
そしたら、前と違って共感できた。前は悪く書いてしまったのだけど、セックスに対する恐れ、テレクラで出会った人を好きになるくだりは、感動した。前は、どうして、いやだったのか、気持ちが思い出せなかった。
前悪く言って、申し訳なかったなと謝りたい気持ちになった。
テレクラとの彼とのくだりがとてもわかって、つらかった。
自分の気持ちを汚いなんて、醜いなんて、そんな風に言わないで、と叫びたくなった。
醜くても汚くても良いじゃないか、わたしは、汚いなんて思わない、打算があって、それが普通で、汚いと噛みにくいとか自分を裁かないでほしい、だって、息をしている生き物なんだから、自分のことを考えるのは当たり前だと思った。
自分を出さないでいて、相手をだまして、相手の愛を勝ち取ると言うこと。それができると思っているから、本当の自分を愛してもらっていないという空虚さに満ちていたこと。
わたしは前の恋人のときに、そういう過ちをした。相手は、わたしのことを良く知ろうとしなかった。話しはしていたけれど、わたしの本当の気持ちを、聞かれなかったし、本心を教えてともいわれなかったし、同人誌を手伝ってくれたけど内容に関して感想も言われなかった。今思うと、わたしには全然関心のないひとだったんだと思う。わたしは死んだ気持ちを抱えて、ゾンビになっていた。ゾンビだから、暖かい恋愛ができなかった。
それは、半分自分のせいで、半分、相手のせいだ。だから、別れることができて良かった。
次がない、って恐れる気持ちがあるから、死んだ気持ちをつなぎ止めようとするんだ。
だけど、同じ次はない、って気持ちでも、生きている気持ちを伝えることで、続けられる気持ちもあるんだと、書いていて思った。
次はないとつなぎ止めようとするのではなくて、次はないかもしれないけど、でもわたしは今生きているし、相手も生きているんだから、今のライブな気持ちを伝え合うことが大事なんだ。
大人になって、ネットを通して、マイノリティの友だちがたくさんできた。マイノリティだとわたしに対して公表してくれる友だち、ってことだ。今までだってであっていたのだろうけど、わたしにその話を言う気になれなかった人ばかりだったのだと思うし、言わせないわたしだったのだ。でも、今は、わたしにそういう話を伝えてくれる人が存在する、ってことは、わたしはまあまあ良いわたしになったんじゃないかな、って思う。
セックスワーカーに対する差別心ってのは、女性差別だから、わたしには無関係じゃない。わたしは怒れた自分を誇りに思う。
ちゃんと、職業に貴賤はないって言えて良かった。
セックスワークは特別なことじゃない、お金がなければ、必要に迫られたら働くんだし、貧乏は男の人が思っているよりもつらいことで、選ばなくても女の人には暮らせるだけのお金を稼げる仕事がすごく少ないって、言えて良かった。
セックスワークが、弱者にとってセーフティネットワークになっている部分もから、そこを否定してしまうと、弱者に死ね、と言っているのと同じになる。弱者じゃなくても、仕事を奪ったら、死ね、と言うのと同じになる。
(セックスワーカーが絶対弱者だ、というつもりではないです。そういう場合もあるってこと。わたしは女の人の立場が、社会的にもともと弱いのだと思っています。セックスワークがセーフティネットワークになってしまっている、と読む人もいるだろうと思って少しここのところ書き換える余地があります)
(考えたのですが、わたしは事務も兼業しないかと言われて断りました。それと同じで、考えれば良いと思い始めました。事務の仕事をしないからと言って、引け目に思ったり、事務の人を弱者だと思わないように、セックスワークの人に対して、引け目を持ったり、弱者だと思わない、それと同じ気持ちなんじゃないかって思います。これで合っているかわからないけれど、正解なんてないから、今はそう思います)
もし、セックスワークをなくしたいなら、女性の労働に関する不均衡をなくすべきだし、それをするために、行動するべきだ。
貧乏でもセックスワークをしない人もいる、って、言っても、なんにもならない。
個人にはそれぞれの事情があって、それに沿って選択をしているのだ。
もし、女性の労働問題が解決したら、その上で、セックスワークの批判をしたら良いと思う。だけど、女性の労働問題が解決したら、セックスワークを差別する必要もない世界になる。
そしたら、男性も、お金で女性のサービスを買うことについて、不必要な後ろ暗さを感じる必要も少なくなる予感がする。みんな楽になれる。世の中はそういう方向に向かってほしい。
だけど、少なくとも、彼は、わたしがセックスにまつわるいろいろな意見を聞いてくれるので、本当に良かったと思う。最初は茶化したけれど、真剣に聞いてくれたから嬉しかった。
セックスワークを否定するのは、女性の労働問題のこともそうだけど、セックスに対する欲望にも関する話題だから、そういうことを話していきたい。そういう意味で、関わりがすごくあるから、これからも考えていきたい。セックスワークについて。セックスについて。体の感覚について。健康について。
セックスワーカーの話をすることで、健康の話や感覚の話や労働問題の話になると、予測して始めたわけじゃなかったけれど、こんなところまで広がった。
だから、こういう話ができて本当に良かったと思う。
わたしは、反射的に、意見を言ったり、気分が不安定になれるわたしでよかった。それはチャンスだしシグナルだから。わたしの生きる力やセンサーがちゃんと働いているってことだから。
意見を言える、怒れる、泣ける、不安定になれるわたしでよかった。
そして、そんなわたしを戸惑っても反射的に退けない人といられて、そういう人を選べる自分で良かった。そういう人がいて良かった。
そんなわたしと付き合う恋人には、素直さという才能がある。
だから、わたしは好きをあきらめないで、今の生きている気持ちで、生きているわたしを出していきたい。
わたしは好きな人を信頼したい。だから、信頼する。自分の意見を言う。
より、特別な関係になれると思う。親しくなると思う。意見を言うこと、受け入れられること、受け入れることで、安心できる。