c71の一日

生活の記録

大人になったら、親を憎んではいけないか

精神的虐待をしながら、子どもを弱らせたところをケアするタイプの親がいます。


わたしの母はそういう人でした。
弱らせて、ケアする。
虐待しながら、そこで傷ついた部分をケアする、というタイプの虐待は、逃れることが難しいのです。
親を優しいと信じたくなるからです。そうすると、子どもは親が優しいと信じて、逃れられなくなる。違和感をねじ伏せて、おかしいのは親ではなく、自分自身だと思う。
異常な環境に合わせすぎると、心が壊れてしまう。
傷つける母と、優しい母の二面性に、混乱し、適応障害が起こります。
まるで、母が二人いるような状況で、どういう風になれば、彼女が豹変するか、読めません。
それは、人間不信を招きました。


母はカウンセラーになり、人を援助する職業に就きました。
虐待しながらケアするタイプの親は、自分の中の問題に向き合わず、人をケアする仕事を選ぶ場合があります。


弱った人をケアすると、生きている実感が得られるようです。感謝されるのでやりがいもあります。
壊れた子どもで遊ぶよりもずっと面白い仕事でしょう。

そういう親は、真に相手が自立してしまったら、その後関わることができないと考えるようです。
だから、死なない程度にちょうど良く虐待する。


自立できないように、相手の経験を奪う。社会経験をつまないようにしむける、そういう虐待があります。



だから、スポイルされたかつて子どもだった大人は、大人になった、さあ自立しよう、としても、そのすべが奪われています。人的ネットワークもない。なぜならば、友だちもできないように、しむけられているから。助けを求めるスキルもない。助けを求めたことがないから、誰に、どういって、説明すれば良いのかもわからない。



男でも女でも、かつて子どもだった人は、弱らせてからケアする、という繰り返しをされると、疲弊します。適応障害を起こします。それだけでも社会復帰は難しくなる。



だから、大人になったら、自分の意思で、親から離れてどうにかしろ、というのは、正論だけれども、暴論でもあります。



だって、体力的にも精神的にも、弱っているし、精神年齢も、低いままで抑えられているから。



そういうとき、親を憎み怒るエネルギーは巣立ちのエネルギーとなり得ます。
だから、それを塞いではいけない。
悲しみでもダメ、自責でもダメです。恨み、怒り、憎むことでようやく捨て身でも何でも離れられる可能性が出るわけです。
親に対しての罪悪感の方が、怒りよりも良い、というツイートを見かけましたが、完全に反対します。


罪悪感を持つようにしむけること自体が、虐待親の罠です。

悲しんで、何が生まれるでしょうか。エネルギーにはなりません。過去を振り返って、また、今現在の時間を消費してしまいます。ますます、自分を弱らせます。
自責はもっといけません。自分を責めることは、人を責めるよりも容易いですが、それでは、自分を傷つけてしまいます。
そして、一度自分を傷つけ始めたら、止まらなくなります。
それよりは、加害者を責めた方が、有益です。
加害者を責めても、言い訳ばかりで、結局何も改善しませんが、見切りを付けるきっかけにはなり得ます。


年齢だけで、大人だから、自分の選択だから、というのは過去を無視しています。



わたしは母親にスポイルされて、自立できないようにしむけられて育てられました。わたしは病気にさせられました。
わたしの健全な部分は病気になったことです。虐待されて、素直に、病気になりました。シグナルを出して助けを求めたのです。病気になったこと自体が、もっとも正常な反応でした。


母が異常で、病気になったわたしが、正常。病気になるという反応を示せることが、正常。

病気になったわたしは、医者に行きたいと思いました。つまり、閉じた世界から外部に助けを求めようとしたわけです。


しかし、母は、未成年のうちは、自分で責任を取れないのだから、精神科を受診するなと言いました。
わたしは自分の二十歳の誕生月に、精神科を受診しました。ずいぶん母には脅されました。



母は、精神科に呼び出されても、一回も、精神科に足を踏み入れませんでした。その傾向は、わたしが病気やけがで入院しても、来ない、お金を出さない、という姿勢で常に現れていました。今では、自分が弱らせて、自分がケアできなければ意味がないからだと考えています。



彼女はカウンセラーになりました。援助する仕事に就きました。自分の病理に目をつぶったのだと思います。わたしにもカウンセラーになることを勧めました。自分の心の傷が、カウンセラーになることで癒えると言いました。
それはクライアントを利用して、自分を癒す行為だと感じ、わたしはぞっとしました。



わたしには、自立するための精神的体力も、能力もありませんでした。だから、母の愚痴を聞き、母をケアし、母に虐待され、母にケアされていました。そういう循環がありました。わたしの人生はその循環で消費されました。
だから、わたしは二度と戻らない若い時代を奪われたことを、もう戻らないと知りながら、怒っています。怒ることで、今の、現在の時間を奪われることを防ぎたいからです。



許したら、忘れてしまう。そして、侵入を許してしまう、そのことが恐ろしいから、わたしは怒っています。彼女が変わってくれることを期待するのは危険なことです。

怒ることが、彼女を変えたいと願うこととイコールではないのです。
それを間違えている人が多いです。怒るのは、相手に期待しているからだと。無関心ではなく、愛しているから怒っているのだと思っている人が多いです。
しかし、怒りは単なる怒りです。腹が立っているのです。愛ではありません。
変えたいとも思っていません。
侵害をされたことについて、怒る、というのは自分の境界をひくことです。それこそ、自立の一歩です。
それなのに、親に対して怒ることを、甘え、と言う人、あまつさえ、傷ついたといつまでも言って、被害者だと言いはって、加害者になってしまっている人、と被害者の怒りを非難する人がいるのは誠に遺憾です。



距離をとるために、怒る、ということが必要です。



洗練された、距離の取り方ができる人はそうすれば良いです。でも、わたしにはできないのです。



人をケアすると、自分が必要とされ、弱い人間をコントロールすることで、全能感を味わえ、自分の現実の虚しさに向き合わなくて済む効果があります。
人に感謝される、というのは麻酔です。



虐待しながら、面倒を見る親は、援助職に就きうるのです。わたしはそれを知っているから、カウンセラーだから、信用できるとは必ずしも思っていません。信用できる人間は何の職業に就いていても、信用できるし、そうじゃない人間は職業を問いません。



だから、カウンセラーや援助職が、モラハラ、虐待をクライアントに行うことは珍しくなく、あえて、クライアントを弱らせて、自立させない、彼らの言葉を憎悪する、それを公言するカウンセラーが存在すると思っています。それはありえることです。
クライアントと援助職の関係は、ドメスティックですから、そこに暴力が介在することは、気をつけなければありえます。



わたしの母は、わたしに体調や精神面が悪化するようなことを続けながら、ひたむきに看病し、私を責め、そして、頼むから就職するなと言いました。



経済的自立をできないように言いました。わたしが病気だから、心配だから、と言って。
家から出たら、生きていけないんだよと言いました。


わたしは母から離れました。病気は落ち着き、就職できました。


このツイートを読んだときに、血が沸騰しました。



第一に、PTSDを診断したのは、おそらく、この人ではないのでしょう。
だから、医師の診断を、この人は軽んじている、ということになります。
過剰な診断かどうか、間違った診断かどうか、判断する立場になく、資格もないはずです。
なのに、このようなことをいうわけですから、職務を越えた越権行為だし、クライアントを非難しているわけだから、これは偏見や憎悪故の発言だとわたしは判断しました。
PTSDベトナム戦争後に発見された概念です。PTSDに乗っかって、被害者ぶる、というのはありえません。PTSDに罹患した人が、その原因を責めたときに、加害者と呼ばれるかどうかについては、疑問符が湧きます。ベトナム戦争に関わった人が、ベトナム戦争そのものを非難したら、アメリカを非難したら、その人はアメリカに対して、加害者になるんでしょうか?おかしいですよね。(戦争中にベトナムに対して加害行為をしたでしょうが)



ベトナム戦争は終わったのだから、気持ちを切り替えろ、というのもおかしいですよね。
切り替えられない、という病気なのです。
勝手に、フラッシュバックが追ってくるのです。
それはコントロールできません。

でも、親に関することだと、そうではないと言う人がいるのです。知識のない一般の人だけではなく、専門家である人が、そういうことを言うわけです。矛盾したことを言います。



病気だから、気持ちを切り替えることはできません。過去なんだから、とらわれず、忘れろ、というのも、PTSDの性質、定義上不可能なわけです。
自分で気持ちや思考がコントロールでいない、という症状に苦しんでいるわけですから。



だから、つまり、PTSDや毒親という表現に乗っかる加害者、という言い方は被害者を責めるわけです。



PTSDという概念が発見されたおかげで、新しい生きにくさと言う概念が発見されました。患者自身が、自分の生きづらさを語る言葉を持ったのに、それを塞ぐことは、良いことではありません。



語る言葉を持ったとき、はじめて、回復への道が開かれます。


PTSDの診断を受けたか、自己診断かは別として、診断に乗っかる、という言い方をする以上、わたしはそれをおかしいと言います。
診断を患者が求めるのは可能だとしても、診断をするのは医者です。



わたしは、運が良いため、自立できました。
当時関わる医療関係のすべての人が、自立するために、バックアップする体制を整えてくれました。
だから、わたしは自立できました。
親を捨てるためには、自立することが必要です。しかし、捨てたい親は、今までの人生を賭けて、子どもを自立させまいと虐待して来たわけですから、それは至難の業です。


だから、手始めに、被害者が、自分は悪くないと確認するために、加害者を責めることは大事なことだし、当たり前のことです。
加害者が無罪放免されるのは倫理的におかしいことです。
個人の選択で、親にこだわることをやめようと、思えることが可能ならば、それは、親に対して時間を使うことをこれ以上防げるので、めでたい話ですが、それをみんなができるとは限りません。


少なくとも、わたしには、医学的支援を受けるまでには無理でした。


医学的支援を受けたことで、何が変わったのか、というと、自分の母親が異常で、虐待をしていた人だと理解できました。それは医者が、少しずつわたしが気づけるようにエンパワメントしてくれたおかげです。
閉じた環境から、外部の環境へと移行し、新しい価値観を得ることができました。
弱った精神とからだを回復させ、力を蓄えました。
それは、家の中にいてはできないことです。


弱り切って、入院しました。そのときに、母親と絶縁することを決意しました。
決意するためには、さまざまなエンパワメント、援助がありました。
入院し、休養し、カウンセリングを受けて、心のうちを明かして、考え方の癖を理解し、それから離れる努力をして、作業療法を受けて、集中力と自信を回復しました。そして、福祉の関係のことを調べるためにケースワーカーと相談し、各種手続きを受けました。
それは簡単にできることではありませんでした。支援があっても、わたしが望まなければ、誰も、動くことができないからです。支援したくても、クライアントが望まなくては、支援者は動けません。その前提があります。



それなのに、大人になったら、自然と自分の足で歩けるはずだ、というのは暴論です。
自分の意思さえあれば、過去がどうであれ、大人なのだから、できるはずだ、というのはおかしいのです。


できないこと、経験を奪われていたことが前提にあるわけで、それも虐待の一部なのですから、そのダメージから回復して、社会的経験を学び直す、というのはひとりではできません。すでに大人なので、周りも理解しにくい状況です。


歩けないように育てて来た加害者がいるのに、それをないことにしているから、正論と言うなの暴論が言えるのでしょう。




このツイートも、意図はどうか、わかりませんが、発達障害がブームと書いてあります。
わたしは障害にブームもなにもありものかと思います。
身体障害にブームはありますか?そんなこと、思う人はいませんよね。

精神障害に関してはブームが起きるんでしょうか?
起きませんよね。
誰も、好んで、精神障害者になりたいと願ったりはしません。
精神障害者になると、生活が不便です。
不便だから、障害者と呼ばれます。
困っているのです。
だったら、精神障害にもブームはないわけです。
精神障害や、発達障害は、発見されるタイミングが遅く、また、目に見えないため、診断が難しいという違いはあったとしても、障害のひとつをブームだ、というのは無神経でしょう。



発達障害が、近年クローズアップされ始めたのは、障害にブームが来たからではなくて、支援を求める運動や、啓蒙が盛んになったからです。それは、当事者や関係者が戦ったおかげです。また、早期診断が重要になったため、診断を早めにするようになりました。
そういう経緯があるので、診断を受けた人、診断を受けていなくても、困り感があるため、自分が発達障害ではないか、と思いながら生活する人が増えたのです。
今までも存在した人です。
戦いの結果の末、得た権利を行使することを、甘えのようにいうのはありえません。


障害は、性質だし個性かもしれません。だけど、やっぱり障害は障害なのです。工夫や援助が必要です。

実は、マジョリティ、大多数の人も、援助を受けています。まとめていっぺんに受けているから、目立ちにくいだけです。そして、そのまとめて、の援助の効き目の薄い一群がいて、それがわたしたちです。
だから、マジョリティ向けのメニューとは別のメニューが必要なわけです。
特別扱いをしてほしい、というわけじゃなく、マジョリティにとって有益な支援が、もう、水のように当たり前のように行われています。でも、それはマイノリティには効果を上げないわけです。効果を上げる支援を、同じように、マイノリティにも援助をしてほしい、ということです。



障害にブームへったくれもないと何度も言いたいです。




愚かさを武器にして援助職がいつまでも被虐待の人や、被害者、精神障害者を非難するのがブームらしい。被害者が、被害者性を武器にして、加害者をいつまでも非難するなんて、という人がいるならば、わたしだって、これくらいのことは言いたい。



上記のツイートは加害者をかばい、加害者が被害者を自立できない人間にしたのを見ない振りをしています。被害者は、虐待のある家庭に育ったため、適切な人間関係を学ぶ機会を逸し続けてきました。だから、被害者じゃ人と、適切な距離を置くのが難しいです。でも、上記のツイートをした人は大人になったら当たり前にそうすることができるはずだ、とわたしには読み取れることを他のツイートで書いてありました。



わたしが考えるのに、援助職に就いた人は、被害者が自立できるように、怒りを整理したりすること自体も、仕事なんじゃないかと思います。
ツイッターで、加害者をいつまでも非難する被害者、という風に責めることは間違っていると思います。
ツイッターは仕事じゃないから、言っても良い、ということだとしたら、それもまた倫理に反しています。職務上知った経験を使って話しているからです。守秘義務を破っていると言えなくても、良くないことだと思います。



大人になってから、育ち直すのは難しいことです。受け身でいるから、できないわけじゃなくて、何をすれば良いのかわからない人に対しては、援助が必要です。



虐待されて来た人は、大人になっても、離れられないように親に「設計」されて来ています。
それを大人だから、離れられるよ、というのはあまりにも実情にあっていないと考えます。


親になんとかしてもらおう、というのは、不可能にしても、援助が必要です。なにもなく、大人なんだから、といっても、できないことができるようにはなりません。


だから、大人になって、親を憎んで、エネルギーを溜めて、それから助けを求める、ということは必要です。


それは巣立ちのエネルギーになります。足りない経験も、衰弱も、なにもかも、吹っ飛ばして、家を出るエネルギーになり得ます。
それが怒りの効能です。


怒っているうちは、親から離れられていない、という言説には何度でも反発します。大人になっても、それまで、友だちを作ることを許されなかった人は、外部に人間関係がありません。
だから、家族以外の人たちと人間関係を築く努力をしなかった人たち、という言い方は、当てはまりません。
努力しようとしまいと、ないようにされてきたことも、虐待の一部なのです。


自分の生きにくさが、親のせいなら親から離れるしかない、というのには同意しますが、大人だから離れられるよ、というのには同意できません。虐待をされると、適度な人間との距離がつかめなくなります。
虐待をする人間は濃密な距離を必要としているから、虐待をされて来た人たちは、虐待をされつつ、しがみつく、不安定だからよりしがみつく、という繰り返しをして来ています。
そういった人たちが、大人だから、すぐに、自分の人生を自分で面倒を見る、というためには、途中の過程が必要です。
ツイッターでは、その援助をすることができないはずです。
だから、あのようなことを言うには利がないと思います。


虐待され、親を責める人が、すべて愛らしいと言えないとは思いますが、援助職の人が、バカとかアホとかクソとか、被虐待者に対して言うのには心を痛めます。