c71の一日

生活の記録

ある日のこと

ある日、わたしは、会社の帰り、雨の中歩いていた。十時くらいだったと思う。
そうしたら、足音が、わたしを追いかけていることに気づいた。
曲がっても、曲がっても、同じ道を歩いてくる。
わたしは立ち止まった。すぐ背後で、足音も立ち止まった。
背筋がぞっとした。
後ろから手が回って来て、わたしを拘束した。
わたしは腕の中で、もがいて、振りいた。

男が立っていて、わたしを殴った。わたしは交戦した。
そういえば、と思って、叫んだ。それまでは無言だった。
男はうるさいといって、わたしの首を絞めた。
わたしは叫び続けた。
周りの窓が空いて、ざわざわした。
男はバッグを引っ張って、立ち去ろうとした。
わたしは肘にバッグのひもをかけて、離すまいとした。免許には住所が載っている。
わたしと男は綱引きをしていた。その間にサラリーマンが、走って来た。
どうしたんですか!と聞かれて、泥棒です!と叫んだ。
男は、走り去った。わたしは反動で地面に倒れ込んだ。


警察がやって来て、パトカーに乗せた。わたしは震えながら、大丈夫ですと言って元気に笑った。
アドレナリンが出ていた。わたしはうまくやった、と勝ち誇った気持ちでいっぱいだった。
首検分をした。彼だとわたしは言い、わたしは警察署に連れて行かれた。
事情聴取を受けて、何度も性的暴行を受けていないか、聞かれた。そういう前科があったそうだ。
わたしはでも、殴られて首を絞められて羽交い締めにされただけで、それから連れ去られるかもしれなかったけれど、それ以前だったから、違う、と応えた。

念のため、と言われて、病院に連れて行かれた。左肩が、重たいと、救急車の人に告げた。
すぐに返ってくる予定だったので、関係者の人もまだ残っていたが、軽く挨拶をした。しっかり、挨拶は後でしたかった。
しかし、わたしを診た医者は、わたしを一目見るなり眉をひそめた。わたしは大けがをしていた。緊急入院をした。五日入院した。会社の取締役がやって来た。友だちも来た。わたしは着の身着のままだったから、何もなかった。被害にあったときのスーツも、コートも、長靴も、袋に入れてしまったまま。病院はひどいにおいがして、いつも誰かがうなっていた。わたしはすることがなく、朦朧としていた。



入院費は自分で立て替えて、その後国に請求するらしかった。国はその後、犯罪者に請求するらしかった。
警察の人が迎えに来てくれ、もう一度、どんな感じで襲われたか写真を撮った。
誰も迎えに来てくれる人がいない、と話すと家まで送ってくれた。

一週間前、わたしが帰るはずだった家は、そのままだった。
わたしはなんだか、恐ろしくなり、暗闇に誰かが潜んでいる気がして、電灯を全部つけた。


次の日会社に行った。
だけど、手がブルブルと震えてモニタをはっきりみることができなかった。
大丈夫ですか、と上司が聞いてくれたが、大丈夫ではなかった。
精神科に行った。精神科では、「休むと、もう、いけなくなってしまうよ」とわたしに忠告した。わたしは、それでも良いから、休みたかった。


検察庁に呼び出された。検察庁の待合室に、ポスターが張ってあった。そこに、カウンセリングがただで受けられることと書いてあった。それを知って、電話をした。
カウンセリングを何度か受けた。PTSDは治る、ということを説明された。よかった、と思った。



しかし、わたしの恐怖はひどくなるばかりで、街を一人で歩くことも難しかった。お金はどんどんなくなっていった。一応、労災は下りるのだけど、収入の三分の二だった。親に、実家に帰るようにいわれて帰ったのだけれど、別に用事はないようだった。わたしは家に戻った。
医者に行って、薬をもらい、カウンセリングで、治療を受ける。その繰り返し。思ったペースでは治癒しなかった。電車どころか、道を歩くことも、家の中にいることも怖くて、涙も震えも止まらず、光がいつも眩しかった。音がうるさく感じられた。


会社へは二度と行かなかった。
結局、そういうことになった。
親切な事務員が、傷病手当を申請してくれたが、その後、引っ越したので、要件を満たすことができず、結局受給することはできなかった。