c71の一日

生活の記録

論理的な男性は、なぜ下駄を履かされていることに無自覚なのだろうか

c71.hatenablog.com
これにもちょっと書いたのですが、教育業界に携わっていると、成績だけで決めると、男女比が半々にならないので、男性に下駄を履かせて、男女比を保つことをやっている学校の情報が入るんですよね。


追記、入試や採用試験で男性が下駄をはかされてるということです。
男性の方が成績が低いから、そのままだと男性を採用することができないから。


もう、どうにもならないくらいになってるんですよ。


環境要因、歴史的背景だけでも不利な状況で、しかも、学校の成績って、男性の得意だとされている分野の力を測るものなのに、それでも女性の方が優秀な人の割合が多いんですよ。


社会は男性が構成しており、その社会に都合の良い適性を測るのが試験だから、その試験の問題自体が、男性にとって、やりやすいもののはずなのに、そうじゃない結果が出てる。

そりゃね、東大とか、まだ男性の方が多い。でも、それは、東大に入ったら、嫁に行けなくなる、って言われてやめる女性がまだまだいるからなんですよね。家の近くで行ける大学に行けとか、どうせ就職しても結婚してやめるとか言われてね。だから、能力にあった学校を受けさせてもらえない、という現実はまだある。
就職先も実家から通えることが条件の就職先たくさんありますよ。
最初から相手を不利にして、その上で、男性は負けている場面があるわけです。
勝ち負けじゃないけど。あえて、勝ち負けで言います。試験は勝負のものだから。


好きで男性に生まれたわけじゃないと思う。
それはわかる。
でも、女が甘えているという人が存在するのなら、わたしだって、言いたいことがある。
男性は自分が下駄を履かせられていることに無自覚すぎるんじゃないかと。


たとえば、家庭を持っている男性は、家のことを当たり前のように妻が貢献していて、その上で力を発揮できているでしょう。もちろん、家庭のない男性もいるだろうけど。
でも、女性は、家庭に貢献しつつ、仕事で成果を出さないと行けず、場外の労働や、セクハラに対するストレス、も含めて、成果を出さないといけない。また、女性が配属される職場は、成果がわかりにくい職場なところが多い。だから、昇進しにくい。それでまた、女性が昇進できないのは実力がないせいだ、と言われてしまう。


女性の持たざるを得なかった、「女性らしい」能力は、すべて努力して得たスキル。だが、それは評価されず、ただ、当たり前のように受け取られ、対価は出ない。


男性は、職場と言うオフィシャルの場でも、女性に対して、性的な目で見る人はまだまだ多い。
そのまなざしを向けられた女性は、それだけでもハンデがある。立ち振る舞いに気をつけないといけない、というコストが発生するから。


男性は、成績というもので、わかりやすく下駄を履かされ、ケアワークという女性の労働に頼ってその上で仕事の成果を出し、それで「男と女の性差はない」と信じたり、「男の方が女性よりも優秀」という幻想を得たりできる。

論理的もまた、いつも正解を導くとは限らない。
前提や条件やその人が知っている情報が偏っていたら、論理的に整合性があっても、答えはやはり偏ったものになる。
そして、わたしはそもそも、男性が論理的だ、ということを疑っている。
彼らは彼らの言葉で話す。そして、知らない言葉を全部「感情的」「感覚的」とみなして、ラベルを貼っているだけじゃないのか。

男性の特権はこういうことだ。


知りたくないことを知らない。知りたいことだけを知る。知らなかったで済ませることができる。
知るためのコストを払わなかっただけでも、言い訳ができる。
自分の要求だけ適えば良い。
暴力を振るっても女を黙らせたい。
暴力から怯える女を守り、その対価として、ケアとセックスを得たい、しかし、それを「愛」と呼んでほしい。でも、暴力自体を根絶することは不可能だとうそぶいて何もしない。
女のケアワークや、セックスを、労働だなんて無粋なことはいわないでほしい。だから、賃金というわかりやすい対価は払わない。その代わりに扶養する。扶養するが、彼女が必要なものを買いたいときには、それが必要なのか「男である自分」が判断する。女には判断させない。なぜならば養っているのは自分だから。女がケアワークをしていて、他のことができないとする。ケアワークから免れている自分は他のことができるとする。男は、ケアワークを労働と認めていないから、できていないことがある女を、ただ、「怠慢」だという。それは、女の労働を軽んじているから。


男はそうやって、自分の認知を歪ませる。現実を見ない。
彼に採って都合の良い現実を見て、それが「リアル」という。
そして、自分たちは弱者だ、ともいう。
履いた下駄が高すぎて、足下はもうふらふらだ。
倒れそうでも、気がつかない振りをする。
手も打たない。
「男性は本当に論理的なのか」
限定的に論理的なだけではないのか。