c71の一日

生活の記録

喪失感

事故に遭ってから、いろいろなことができなくなった。
頭が悪くなったようでつらい。
それは、確かめられないことなのだけど、出来ないことが増えた。
テレビも見られなくなったし、本も少ししか読めなくなった。
刺激に弱くなった、我慢強さも減った。集中力も減った。
(でも、テレビは見なくても困らない。本も厳選して読めば良い)
考える力も、鈍くなったような気がしてならない。
文章を書くことは続けていて、練習もかねている。優しい人は慰めてくれて、とてもありがたい。
でも、事故に遭う前はもっとできたんじゃないのか、と思ってしまう。
もっとさかのぼると、虐待されていなかったら、人生がもっと楽だったら、できたこと、もっと多かったのではないかと思って、怒りが湧く。
怒りが湧いて苦しい。焦りもある。

わたしはまだなしていないことがたくさんある。
趣味ですら、ほとんどなくて、新しいことにチャレンジすることが難しい。
道具も買ってあって、昔は楽しめたことも楽しめない。


時間がかかるといわれていたけれど、もとには戻らないのかもしれない。


しかし、考え方を変えてみよう。
(考え方を変えて切り替えられるようになったことも進歩だ。昔のわたしとは違う。悲嘆にくれ続けていないところは良いところだ)
新しい自分になったとも言える。
昔のわたしにできなかったことで、今は出来ることを考えてみようか。
家事は出来るようになった。料理も出来るようになった。仕事もある。ネットでの友だちもできた。
母と離れて、機嫌を取らなくてすむようになったから、自分の時間を取れるようになった。
母がへんだということを他人に説明しなくてすむようになった。
読書に逃避しなくてもすむようになった。
のんびりできるようになった。薬もきちんと飲めるようになったし、死にたくなる気持ちも減った。
自分自身を正確に見る余裕もできて来た。からだのメンテナンスもしている。
お金の使い方と過食に問題はあるけれど、ゆがみがあるのは仕方がない。

できなくなったことは、本を読めなくなったこと。新しいことにチャレンジできなくなったこと。


でも、今もゆっくりとなら、複雑なことも考えられるし、そのために工夫もしている。
図に書いたりもしているから、堂々巡りをして同じことを考えなくなった。
忘れることも出来るようになった。
事故の直後はフラッシュバックがひどかったけれど、それもたまにになった。
危険な人との関わりを自分の力で断てるようになった。


けっこう、良いところもある。
頭が悪くなった、というのも、主観かもしれない。
今日は、ゆっくりしよう。様子を見よう。

文章を書くことが一番好きだ。それが残ったから良かった。
若い頃できたこと、今は出来ないこと、新しくできるようになったこと。
年老いていくことに慣れていくこと。
得たものもある。
あの頃よりも心はいつもざわめくことが鳴くそれはさみしい気がするけれども、毎日を少しずつ生きていって、感じていることを大事にしよう。
そうするしかないのだから。