先生の白い嘘の感想
- 作者: 鳥飼茜
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ねたばれあります。
読む前はとてもこわかった。自分の傷をえぐられることを恐れていた。
それなのに、読み終わったらすっきりした気持ちになった。
心の中が生温い波で満たされた。
温かいような。悲しいような。
立ち上がることができないような、ただそのまま座り込んでほっとするような気持ちになった。
自分のからだが思うように行かないこと、脅されること、言うことを聞くことへの自己嫌悪、自分が望んでいたからじゃないのか、緊張性の頭痛、全部経験があった。
id:dsp24ma さんと久しぶりに世間話した。
先生の白い嘘についてと言うわけじゃないのだけど。
差別のことと、一般常識と、数字にこだわってしまうことと、一般就労のこと。
差別のことに彼女は怒っている。わたしは、差別と自分との距離について最近ずっと書いている。
差別する側は楽しい。気持ちが良い。
人のことを操作できて支配できていじめられて利益を甘受できるから。
だから差別をやめない。
差別される側は、差別を内面化する。
その方が生き延びやすいし、自分が差別されているなんてことを認めるのが苦しいからだ。
言うことを聞いていた方が楽。自尊心を守れる方が楽。戦うよりも可愛い方が見逃してもらえる。
彼女は、差別を気にしてセンシティブになることで良いことがあるのか、人に示せないという。
確かに利益はないのかもしれない。
子どもの頃、嘘つきは得をしていた。大人にかわいがられていた。正直者は損をすると思った。
でも、大人になると、嘘つきはわたしを嫌っていなくなった。周りには正直者しか残らなくなって、とても生きやすくなった。嘘をつくコストがかからない。わたしの嘘はうまくない。
正直でいても、優しくもいられる。本当のことを言い続けるのは、痛いことでもあるけれど。
差別をしないと、お互い対等でいられる。対等でいる清々しさはやってみないとわからない。
差別の関係では、お互いイライラする。完璧に人を支配することができないからだ。心を殺されるまで完璧に支配されることは、苦しいからだ。支配されてしまえば楽なのにと思うけれど、それは、どうしても、難しい。支配されきることは。
人は、支配を受け入れられるけれど、何か、心の中に檻が残る。支配する側は不安定だ。他人に依存しないと自己を保てないのだから。
わたしが嘘つきでなくてよかったと思ったのは正直でいたからだから、差別をしなくて良かったと思うのは、差別に対してこまごまと気をつけて生活することを実践しないと経験できないのかもしれない。
今まで普通になりたかった。わたしの普通は、一般就労で、一般就労の象徴はコンビニで働くことだった。働いたが、「普通」の人は、でこぼこしていた。それに、時給も安かった。
一般常識から離れれば離れるほど、その仕事をしている人は少ない。名前のある仕事は単価が低い。名前のない仕事を作ると単価が高い。そう言うことを知った。
サラリーマンになりたかった。なれなかった。
だから、もう、一般常識はわたしになにもしてくれなかったから、わたしは一般常識をあきらめることにした。
一般常識から離れた仕事をした方が、お金が入るから。
自分に正直になって、煎らない鎖をそぎ落とせば落とすほど、自分に必要なものが残るようだ。
わたしに残ったのはお金だ。
お金は面白い。数字が変わるのを見ると飽きない。楽しい。わたしは数字に執着するところがある。一時期ははてブやコメントや、アクセス数に夢中だった。今はアフィリエイトや、お給料を上げることや営業をすることが楽しい。新しい仕事を始める。
はてブでいやなことばを見ている時間よりも、お金のことを考えている時間の方が幸せだし、リラックスできる。
お金には色がないし、わたしに対して、いやなことを言わない。
料理しろとか痩せろとか言ってこない。普通になれとも言ってこない。
わたしが普通でない部分はお金になる。
お金があるとおいしいものが食べられたりマッサージにも行けたりする。
お金なんてなくても良いと思っていたのは気のせいだったようだ。
普通になればなるほど、お金から遠くなるようだ。
わたしが変わっていたら変わっているほど、文章は人に届いていく。
わたしが変わっている部分は、ものごとを正確に、ゆっくりと見るところだ。
みんなは忙しいから、急いでものを見る。同じものを見ていても、わたしとは見え方が違う。
だから、わたしは当たり前のことを書くけれど、少し変わっていると思われるようだ。
その一方で、わたしは「普通」だとも言われる。
わたしは、最近どちらでも良くなった。
だって、わたしがわたしであることで、お金が稼げるんだから。
一般就労をしている。税金も上がった。年収が上がったからだ。
今度は、小説の新人賞に応募してみる。文章を書ける能力がある。
自分にとっては当たり前だけど、たくさん書ける人は少ないらしい。サラリーマンには慣れなかったその代わりに文章が書ける。
小説を書いて、送って、落選しても、わたしは損をしない。
書いている間は楽しいはずだ。
楽しいことをして、もしかしたらお金がもらえるのは、わたしがサラリーマンになることを目指すよりも確率が高い。
わたしは受け答えもうまくないし、飲み会でコミュニケーションも出来ない。幹事も出来ないし、大勢の場所が苦手だ。男の人の大声も威圧も嫌いだ。
男の人はからだが大きくて筋肉が強くて、怖いところがある。怖い人か怖くない人かは近づいてみないとわからないから、大きな賭けだ。
だから、最初から怖い方に賭けておく。その方が安全だ。
でも、わたしは人間だから、男の人も人間だと思う。だから、なるべく話したり分かったり分からなかったりしてみたい。
女の人は、疲れすぎている。女の人に男の人のケアはもうできない。男の人が女の人に間違った知識を持っていることを、女の人に訂正させようとする人がいるけれど、それは無理な相談だ。
女の人は疲れてしまっているから。
わたしたちは、一般就労を目指していたけれど、それも思い込みだったから、いっそのこと、しばらく引きこもってみよう。働くことをやめてみよう、と思ったと言っていた。わたしも、普通の形で働くことをあきらめたから、同じ気持ちだった。
働かなくても良いじゃない?と思った。
そのあと、でも、働くのは暇がつぶれるし、生徒も可愛いし、気がまぎれてお金がもらえるし、お金があると遠くに行けるから良いこともあると思った。
生徒の可愛さを見ると、嫉妬で胸がつぶれることがあった。若くて、青春を謳歌しているように見えた。
わたしにはなかった青春を。
まだ綺麗だから。
え、でも、綺麗ってなんだろ!
彼女たちの悩みに付き合っているうちに、わたしの種類とは違う種類の苦しみもまたあって、優劣や重さをつけられないことも、感じて理解できて来た。
子どもに嫉妬する自分。昔欲しかった時間を過ごせる安全な子どもを、傷つけたくなる自分。
わたしが傷つけられたように。
でも、彼女とわたしは違う人間だと言うことも分かっている。
だから、傷つけたくない自分の方がずっと強い。
小さくて可愛いもの。
それを傷つける人を許せない、守りたいと言う気持ち。
区別がつくようになった。
わかった。
日本に生きていると、怖い思いをたくさんする。
酔わせて襲ってくる男もいるし、脅迫して性行為を迫ってくる男もいる。つきまとってくる男もいるし、密集したところで触ってくる男もいる。それを告発すると殴る男もいるし、何か気に食わないことで通りすがりに殴ってくる男もいる。そいつらは、みんな自分の性欲だけで動く。そして、それを「愛」だと思えと言ってくる。そして、自分でもたまに「愛」だと信じている。本当は支配欲なのに。性欲じゃないのに。
わたしの周りにそういう男が多かったのか、どうなのか知らないけれど、通りすがりに暴力を振るってくる男はいるし、歩いているだけで見た目に言及して来たり、金で性行為を迫る男もいる。
逃げると追いかけてくるし、怒鳴る。とても恐ろしい世界だ。知っている人に相談しても、前向きにポジティブにとらえないと、魅力があるってことなんだから、と言われて心が壊れてしまう。
この世は地獄だ。
でも、わたしは泣くことができて、文章を通して友だちもできた。
傷は癒えない。忘れられない。恐ろしい。
だけど、その合間に生きている。少しの瞬間だけ、自由になれる。
そのわずかな自由を、わずかにした原因の男たちを憎み足りない。人が怖くなったり怒りが湧いたりもする。人に苦しめられたときには人に救われるのだとも言いたくない。人には救われない。
わたしはわたしが救う。
感情を出すことなど無意味だと思った。激情のまま動いても何も得がなかった。
得かどうかじゃないことに気づくのに長い時間がかかった。
わたしがわたしに了解を出してそのままでいることをわかるためには、輪郭が必要で、輪郭を作る感情の鮮やかさがわたしを作り出した。
先生は自分のことを救ってほしいと思う。