c71の一日

生活の記録

気持ちを言葉にする大切さ

気持ちを言葉にすることの大切さを感じます。

わたしは自分の気持ちや感覚を感じにくいところがあります。
自分がそのとき、怒ったのか、悲しかったのか、嬉しかったのか、あとからわかることが多いのです。
そして、そのあと、作戦を立てて、対処することが多いです。
だから、言葉にするのは、自分自身に自分の気持ちをお話しする作業です。

独り言を言っても良いのですけれど、文章にすると、堂々巡りが避けられるような気がします。
ときどき、共感した、自分もそう言う気持ちだったけど、言葉にできなかった、と言ってもらえることもあります。
副産物ですが、嬉しいものです。


自分の気持ちは、そんなに、特別なものじゃない。一般的に感じることで、閉じ込めなくても良いんだ、と思えることはとても嬉しいです。
自分で自分の気持ちがわからないと、体調が悪くなります。
それを防ぐために、ブログをやっているところがあります。
ノートに困ったときメモします。
そして、解決法が思いついたときに書きます。
そういうこともしています。


だから、わたしは一日中文章を書いています。
以前は、本を読むことでそれに変えていました。
今は、本を読めなくなりました。
その代わりに、文章を書くことができます。
本が読めなくなった原因はわからないのですが、本を読むことで世界をシャットアウトする必要がなくなったのかと思います。
刺激が多い世界だったのが、今は静かな世界になったので、その必要がなくなったのだと思います。


気持ちを文章にしていると、頭がすっきりします。
自分の気持ちにだけ集中する時間を持てるのは良いことです。
セロトニンは、リズム運動で分泌されるそうです。
咀嚼もそのひとつです。
わたしが過食していたのは、咀嚼することで安心したかったのかなと思います。
文章を書いている間は、過食しないですみます。
比較的安全な依存だと思います。
スクワットをしたり、シーツを洗ったりも気分転換になります。
依存はやめるのが難しいので、からだに害の少ない行動にするのが今は一番の目的です。


気持ちを言葉にするのはとても良いことです。
振り返れますし、原因から遠ざかることも考えられます。
混乱していると、打つ手がないと思います。
そうすると、頭が働きません。
混乱を整理するのには、言葉にすることや図にすることがとても有効です。