c71の一日

生活の記録

わたしたちが当然のように受け入れている闇にランプを

うさぎちゃんと話していてわかったことなのだけど、われわれ発達障害の人はすごく困っているらしい。
定型の人が想像を絶するところで困っているらしい。


たとえば、ブラジャーについても、「もうだめだから外出をしないことにしよう」と思っている人も多いと思う。
だけど、定型の人は「自分のニーズにあっている商品があるはずだから探そう」という発想になるそうなのだ。
これはすごいことだ。


(うさぎちゃんは「どうしてネットが使えるのに商品を探せないのか最初びっくりしたそうだ。でも、わたしには探そうという発想がなかったのよね。あるはずだと思いつかなかった)


わたしは「困っていることがあれば人に聞こう」ということ自体が発明だと思っていたけれど、人に会わないと、たとえばウサギちゃんと話さないとそもそも自分が何に困っているかどうかも自覚できなかった。
困っていることがわからないから、人に聞くという発想にもならない。
だって、質問が思いつかないんだもん。


ブラジャーの件でも、「綿にもいろいろある」「ガーゼのブラジャーもある」「ゴムが当たらない商品もある」と知った。
でも、定型の人はそれをあるはずだと仮定して自分で探せるそうなのだ。

ヒー。


わたしなどは、そんな商品があるはずだと思えないというか、期待がないというか。期待がないというところまでたどり着けない。あるかもしれないなんて、思いもよらなかった。思いつかなかった。
ないか、そうかー、とも思う隙間なく「不快なんだな」と思って「じゃあブラジャーはあきらめよう」とスパッと思っていたというか。
ブラジャーをしなくてはいけない、と思う先は切り立ったがけだからそれ以上いけないと思っていたのだけどその先があっただなんて。


わたしたちはよく言われるように人の顔色を読めない以外に、それ以前の問題として人に会うための服装を整えられないという困った点がある。
たとえば、わかりやすく結婚式に行く服装とかは考えないといけないのかなと思うけど、日常の、それ以前のTPO、職場に行くときの服装とか、たとえばスーツを着ればおっけーと言われてもスーツにもいろいろあるし、そして、ひらひらしたスーツを着て顰蹙を買ってしまうとかあるわけ。


ブラジャーがないと、人に会えず、人に会えないと質問もできず、そもそも質問の内容を考えられないし、困っていることに対して疑問を持てないで受け入れてしまうし、そして、役所にもたどり着けないので支援も受けられない。


自分で何に困っているのか把握できないから、解決されず、「悪気でやっている」と思われていることにも気づかず、ただ、怒られて嫌われてしまう。そういう闇がある。


うさぎちゃんが言うには「自分が不快に思っていることがあればそれを解決する商品があるはず」と自然に思って「それを探す」ことができるそうだ。
定型の人はすごいな。



でも、だからわたしたちが困っていることに「何に困っているか」というのがわからないのは「そのすごさ」と「わたしたちが言語化できないでただ受け入れて困っている何か」との断絶がものすごいからだ。
私たちはひくひくぴゅー(低い低い低飛行の略)すぎて、わかってもらえないし、自分でも自分のことがわからない。


常識は聞けばいいし、服装はコーディネーターのサービスがある。


でも、わたしたちは、親も発達障害の場合が多く、親がブラジャー嫌いだったら、買ってもらえないし、学校でからかわれてノーブラはいけないんだと分かって、それで外出ができなくなる。だから、教育機会も減るし。収入もなく、友達もできなくて、誰かに情報をもらうことができなくなるという魔のループがある。働ければ友達もできるしお金で解決できることも増える。でも、そうじゃないのよね。


ブラジャー一つでこうなるのだから、他のことでもたくさんあるのだ。


友達のうさぎちゃんはブラジャーの闇に小さいランプを灯してくれた。(うさちゃん談)
だから、わたしはこのブログで「わたしたちは何に困っているのか」をそもそも語っていく、わかっていく、掘り下げていくということをしていきたい。


困っていることを言語化できるのはそれ自体が能力だ。
自閉症は人の顔色をうかがえないということはよく言われる。それは定型の人から観察して思ったことだから有名だ。
でも、わたしたちは、そもそもそこにたどり着けない「困ったこと」がたくさんある。
支援を受けたくても市役所の手続きが大変すぎて死にたくなるとか。誰も支えてくれないとか。孤独とか。


わたしはずいぶん定型っぽいほうだと思っていたし、思われてもいたけど、ウサギちゃんと話して「想像を絶する困ったこと」がやっぱりあるのだなと思わされた出来事だった。


仕事場の上司に「先生らしい服装を」と言われて「悪気があって変な格好をしているわけじゃなくて本当にわからないのです」と伝えて「どの先生に相談したらいいか」まで相談できたのは、成長だと思っていたけれど、そういう以前の困っていることもたくさんあるはずだと思った。


だから解決策が示せなくても、わたしが困っていることを書くだけで、いろいろな人が言語化できることを助けられるので役に立つんだなと思った。