c71の一日

生活の記録

働けていたら軽症なのか

わたしはがんがん働いている。
働いていない時期もあったけど今は働いている。
お金を稼いでいる。
とても忙しい。
からだはきつい。
苦手なことは相変わらずできない。ヘルパーさんによると少しずつできることは増えているとのことだけど、わからない。



働く前のわたしと働いているわたしには何の差もない。働いていないころは困っていた。何に困っているのかわからなくて働けなかった。
今は適切な支援を受けて、働けている。
でも、それをみて「軽症なのでは」という人もいるようだ。
ネット上では、わたしについて、「障害が強いからわからないこともある馬鹿」と言われることもあるし、「賢くないし、馬鹿」と言われることもある。それなら、どちらにしても、わたしは馬鹿なんだろう。それならそれでいい。


それでいて「腹けているなら軽症のはずだ、だから、もっと重症な人をケアすべきだ」みたいな頓珍漢なことを言う人もいる。


どう頓珍漢かというと、軽症な人もケアされる世界だったら重症な人もケアされやすい。それに、発達障害ではある程度重症のほうが、かえって楽に生きられるとの情報もある。どちらがいいのかわからない難しい問題だ。


わたしは、いろいろ病気を持っている。それは、どうしてなのかは、わからない。わたしはその病気と付き合わないといけない。
私は年金をもらっていないから、がんがん働かないと暮らしていけない。
暮らしていこうとすると「軽症だ」という人が現れる。もし、わたしが働いてなかったらそれはそれで言われるのだろう。


発達障害は障害の重さよりも、「困り度」で測られる。重くても環境に適応していたら困っていないし、軽くても環境に適応していなかったら困っていることになる。
その困り具合を和らげる支援があって、わたしはその支援の分は働いている。



忙しかったり忙しくなかったり、その調整が難しいのもあるけれど、今は無我夢中で働いている。無我夢中で働けているのは仕事があっているからだ。でも、仕事があっていることと、わたしが障害を持っているかどうか、そして、わたしがそのことを気にしているかどうかは、それぞれ別の問題だ。


わたしは建設的に、生産的に生きていたい。それは、ずいぶん時間を無駄にしたという反省からだ。
あの愚行を二度と起こしたくない。


わたしが軽症なのか、軽症じゃないのか、自分のことじゃないからわからない。
だけど、軽症か軽症じゃないのか、他人のことを知りもしない人たちがいろいろ言うのは公平じゃない。