c71の一日

生活の記録

蔦が柔らかに伸びていくように

「先生、ばんそうこうあるけど」と生徒さんが言った。
「あー、うん、そっか、そうね」と答える。
「どうしたの、先生」
「ああ、アトピーで切れただけだよ」
「ばんそうこう貼ると痛くないよ」と生徒がアンパンマンの虹色のばんそうこうを取り出した。


ばんそうこうを貼っても貼らなくても、傷は治るし、アトピーの傷はいつもあるし、と思って、ばんそうこうをめったに使わなかった。水にぬれてビショビショするのが嫌いだったのもある。でも、ありがたく受け取ることにした。
「ありがとう、貼らせてもらうね」と言って貼った。
「おお、痛くないね」
「でしょ、空気に触れないだけでも痛くないんだよ」と生徒さんが言った。


痛い、とか、痛くない、とか、もうずっと気にしなかった。傷はいつもあるんだし、乾かなくても乾いても、いつでも新鮮に傷はあって、いつもどこか痛かった。
体がいつもどこかしら痛いのが普通だった。


子どものころよりは、自由になったから、医者にも通えるし、薬も飲める。

若いころは栄養状態も悪かったなあと思った。医者にも野菜ジュース飲め、それだけでも違うと言われていた。
今はコンビニでサラダと肉を買う。それだけでも進歩したものだ。調理はあまりしないけれども。それでも野菜スープは作る。人参とキャベツと玉ねぎをごんごん切って、コンソメか何かを入れる。



わたしは会社員であったころと、今と、時間の感覚や、仕事への考え方がずいぶん違う。以前は誰のために働いているのかよくわからなかった。自分のため、自分を豊かにするため、と思っても、決まった給料で、無限に広がる時間を埋めていくのは困難に思えた。
今は働いただけお金になる。空いた時間はのんびりと過ごす。そういう風にして初めて、豊かな人生、ってものが何かおぼろげながらわかってきた。



競争に負けたのだ……、という響きはいつまでもわたしの中でこだましていた。
実際、同窓会に出ると、「何しているの?」「塾講師」「へー、経営しているの?」なんて言われたり、「俺はお金に困っていないし子どももかわいい、結婚は本当にいいものだ」と言われたりする。


わたしの中で、競争に勝つ、ということは、いつもどこか心の大事なところに巣くっていた価値観だった。
競争に勝つってことはとにかく良いことで、安心することで、幸せなこと。
良い会社に勤めて、良いお給料をもらうことが一番良いこと。自慢できること。早く結婚すること。子育てと仕事を両立する強い女性になること。



そんなことが、わたしにとって、無理だと分かるのにはだいぶ長い時間がかかった。きつく締めたはずの蛇口から水滴が落ちるように、一つ一つ、わたしの手のひらから落ちていった。できない、できなかった、わたしはうまくいっていない……、という悲しみは、だんだん諦観に代わっていって、気持ちの色が、黒から青い色になっていった。


できない……、そうだね……、できない……、そうだね……、という悲しみとの問答を繰り返すうち、それが大したことじゃないように思えた。何もない中で、体を動かし、声を出し、手を動かして、話して、向き合っていくうちに、だんだんかすかすに乾いていた、心の中の砂漠に水が満ちていくのを感じていた。


生徒さんは初めて会った時から、わたしを尊敬できる大人として信じている。
勉強を教わりに来ているのだ。
わたしを信頼している。
わたしから何か得られると思っている。

わたしはだんだん嘘をつく必要がなくなっていった。
嘘をついて、自分を大きく見せたり、卑屈になったりする必要がなかった。ああ、わたしは嘘つきだったのだなあ、とふと思った。わたしは必死にうそをついていたのだな。だから、苦しかったのだと思った。無意識に、物事を大きく言わないと、過少に評価されるのが怖くて、いいことも悪いことも大きく言っていたのだなと思った。
人に興味を持ってもらうためにできることを、生活の知恵のように必死に行っていたことが、ぐっと胸に迫った。
ああ、わたしはもう嘘をつかなくていいのだという開放感と、今までの自分を恥じる気持ちがざあっと押し寄せて、そして、引いていった。


できないことはできないのだ。できることを売るのだ。
できることを買ってもらう。できないことをできると言えない。
できないことを、卑屈になることはない。人にはできることもあって、できないこともある。


未来にあふれた子どもを見ると、まだなんとでもなるのだと思って、苦しくなったこともあった。
でも、子どもは子どもで苦しみながら生きていた。自由にならない生活や、見えない未来、今やっていることが何の役に立つのかと思ってみたり、若さや時間の多さ自体が、重圧になって、失うことを恐れさせたりしていた。



そういうことを思い出して、重苦しい子ども時代や、若いころの試行錯誤を思い出した。ああ、わたしにはあの流れは必要なことだったと一つ一つ腑に落ちていった。そして、わたしはもう悩まなくていいのだと思った。


まだまだ体はとてもよく動く。病弱だと思っていたが、どちらかというと丈夫で、ただ、天候や、ストレスに弱く、あまり長時間働けないこと。
わたしはどこにでも行ける丈夫な足と精神を持って、世界中、どこにでも行く。
お金を稼ぐ力もある。


わたしのできること、勉強を教えることと交換に、お金をもらう。
一緒に、生徒ができるようになってうれしいという気持ちや、これからのテストが安心して受けられるというほっとした気持ちや、受験に合格したという有頂天になるような気持ちを分け合って暮らしている。


競争は、会社員のころと違って露骨で、紹介数の多さで、それがわかる。クレームが多かった後には減る。うまくいっていたら、増える。
うまくいっているからと言って、調子に乗っていたら、深く落ちていくし、深く落ちたからと言って、それは永遠に続くわけでもない。
波があって、その波をコントロールしながら暮らすのだなと、だんだんペースがわかってきた。
ぎゅうぎゅうのペースじゃなくて乗りこなせるペースで生きていくこと。



へたくそなことでも、だんだんと要領が分かってくる。わたしに何か非常に欠けていることがあったとしても、それは体験の少なさから来ているもので、ちゃんと補える。
体験の機会は自分で用意していくことができる。
何もかもうまくいくというのは難しいが、きちんきちんと何でもできている人は少ないのだとだんだん分かってきた。


働いた分、お金をもらう。そのシンプルさや、生活の単調さが、わたしを少しずつ健康にしていく。


最近は、高3に、国語や小論文を教えることも多い。文系でも理系でも、国語は必須だからだ。だから、要望が多い。日本語が話せるから国語ができるはずだと思い込んでいる人たちにとって、国語の勉強の仕方は未知の領域なのだ。
だから、そのやり方を教えていく。そうすると、生徒さんたちの表現力が日に日に伸びていくことが分かる。国語の点が伸びるだけじゃなく、話すこともどんどんうまくなっていく。明確に、自分の意思、進みたい方向を、語っていく。柔らかな唇で、鮮やかな言葉を語っていく。その言葉が夢を形作っていく。


蔦に水を与えたら、日に当たったつるが柔らかくその手を伸ばしていくように。


数学も、国語も、英語も、化学も、物理も、現代社会も教える。世界の秘密を少しずつ手にしていくような気がする。
どの教科も、どの学問も、世界の秘密の入り口なのだ。
そうとは見せていなくても、わたしにはそれがわかる。
その扉をそっと押して、一歩ずつ歩いていくと、まだ見えたことのない景色が見える。
まだ触れたことのない広がりが、色彩が、世界が、わたしをずっと待っている。
わたしはその呼び声をずっと聞いていた。
わたしはそれに呼ばれていく。