c71の一日

生活の記録

親戚づきあいがないのはラッキー

親戚づきあいがなくなったので、正月は一人だった。

寂しいと思ったのだけど、一日にのんびりとできて、あれ、これってラッキーなのかなと思った。


ネットでは親戚づきあいが苦痛という人がいた。


母方の親戚には病気のことをカミングアウトしたら、仲の良かった祖母の葬式に呼ばれなかった。祖母のために、ずっと子どものころから父がいないことを嘘をついているかのようにふるまっていることも苦痛だった。もう嘘をつかなくていい。


父方の祖母には「非情な子」と言われてから会わなかった。父のことは好きだけど、継母ともトラブルがあって、あった、というか、拒絶されたり納得のいかないことがあったりしたので、もういいかなと思った。


トラブルを起こしたせいもあるのだと思うのだけど、結局親戚というのはトラブルの時に助け合うから、という前提があって、仲良くするんだと思うから、トラブルを起こしたときに、あっさりいなくなる人たちは今後も期待はできないだろう。



血縁は、ひどいことを言う。それが親しさの証だったり、真実を教えてあげるんだ、ということだったり、わたしをよりよくするためだったり、というつもりがあるんだと思う。


でも、わたし、ダメなりに頑張っていて、少しずつ自分なりによくなっていると思う。


去年はお金をたくさん使った。それで、欠落していたことを学んだ。学んだらたいしたことがなかった、ということもあるけど、学ばないと人生が惨めだったからよかった。ふだんから、小さいころから、当たり前のように知っている人が多いような分野が補えたのはお金の力だ。


だいたいのことは、仕事をしていたら、免罪されるんだなと思ったから、仕事以外のことで、つらい思いはしたくない。いつか、助けてくれるんだと思えるなら、我慢もできるけど、助けてくれるわけじゃないもんね。父は助けてくれたから感謝している。でも、継子いじめからは守ってくれなかった。あれは、本人からするといじめじゃないんだろうけど、やっぱりちょっとひどかった。わたしもひどかったんだと思うけど。



これで、人付き合いの厄介な部分が減った。だから、自分で好きだと思える友達を大事にするために時間もお金も労力も使える。
好きだと思える友達がいてよかった。


家族じゃなくても、恋人じゃなくても、大事にできる人がいるのはうれしいことだ。
友達はわたしのためにいろいろ考えたり、教えてくれたりする。ひどい言い方をしないでくれる。
だから、一緒に人生を歩みたい。
距離を置くことばかり考えていたけど、今年は近づいていきたい。
凸凹がある同士で、うまくやっていきたい。友達に賞味期限がある場合もあるけれど、長い付き合いの友達もいる。


人付き合いが、下手だと思っていたけれど、家族と離れて、友達との時間が増えてから
「失敗してもお互いさまだから、その時に言う」と言ってくれる友達がいて、幸せだと思う。
人付き合い下手で、距離の取り方が下手だと思ってたけど、わたし、意外と悪くないんじゃないかな、幸せだなと思う。
友達、ありがたい。