c71の一日

生活の記録

生きていても良いって言って

誰も生きていてダメだとか良いとか許可なんていらないんだけど、生きていて良いよって言われたいときがある。


昨日は鍵を外でなくすし、ラグは焦がすし、さんざんだった。
でも、スクワットを370回した、そして、仕事もした。生徒さんも親御さんもニコニコして喜んでくれた。
ツイッターの人に慰めてもらった。


しばらく、飽きるまでは毎日スクワットをしようと思う。何が変わるかわからないけれど、元気が出るし、弾みがつく。
だから、今日はお風呂にも浸かることができたし、洗濯物も干せた。これは快挙だ。元気になった気がする。


障害や病気を持つと、「生きていてよいんだろうか、役に立たないし」って思ってしまう時がある。
でも、元気でも役に立つってどういうことなんだろうと思うと誰にもわからない。
そもそも、社会は元気じゃない人も生きていくことを保障するために存在するのだから。


身体のメンテナンスをすると、気分もよくなって「生きるぞ」という気力がわく。初日頑張れば次の日も調子が良いのでメンテナンスをする余裕もできる。
ずっと整体に通っていたけれどスクワットしていたら、整体もたまにでよさそうだ。血行を良くするために行っていたから。


清潔な衣服と清潔なシーツ、食物繊維とタンパク質を取って、野菜も取りたいけど難しい時には豆を食べて残りはマルチビタミンで済ませるだけだけど、今までは薬を飲み忘れることもあったんだから、ちょっとずつよくなっている。


ヘルパーさんが来る日は、元気が出るから家事もできる。今日はごみの分別と掃除と洗濯ものをたたむことを頼もうと思う。


占いの勉強も少しずつ始めて、いろいろなことを考えたらいい。


今は「恐れをそのまま感じること」だ。恐れを避けていると人生がゆがんでしまう。
それを避けるためにエネルギーを使ってしまって、楽しめない。
だから、それを感じるだけで流してしまうこと、反応しないことを気を付けていけばいいと思う。



生きていて良いって、他人に言ってもらったらどんなにか良いかと思うけれど、その人に殺されたくなければ、自分で生きていて良いっていえばいいんだよ。
自分自身の役にすら立っていなくたってね。