言語性の高さを生かす
わたしは動作性が低くて、言語性が高い。
動作性が高いほうが有利という人もいるけれど、ネット上では言語性の高さほど有利に働くものはない。
神様に「凸凹をつけるけれど言語性と動作性ならどっちがいい?」と聞かれていたら、即答で、「言語性が高いほうがいい」と言うだろう。
ネットでは言葉がすべてだ。今後はどうなるのかわからないが、今のところ文章で交信する機会が圧倒的に多い。
ネット上で知り合った人と会話するのにも、言語性が高いほうが自分の気持ちを伝えやすい。
動作性の高い人の学習の方法は知らないのだけど、言語性が高い場合、書物で学習できるので、人とかかわるのが苦手でも学習の機会が閉ざされないのも魅力だ。
最近は、自分の言語性の高さをいかにお金に替えるかを考えている。
ほかの強みを探すよりも、言語性に未来があるように感じている。
説明のうまさが私の武器だから、体を動かすことは苦手で、非常に疲れやすくても、なんとかお金を稼いでいきたい。
近頃は、ネットでの人間関係がとても大事だ。
親とほとんど決別しているので、自分以外に頼れる人はいない。自分をいかに使っていくかを考える時期なんだと思っている。
自分という素材で勝負するしかないのだから、卑怯だといわれたとしても、自分の良さを使ってお金を稼ぐ。
お金はとても便利なツールだ。だから、もっとほしい。
世界のどこにいても、ネットさえあればお金が稼げるというのはいい。
わたしの武器は説明のうまさなので、言葉だけでできる。
分析し、抽象化し、説明する。それがいま求められていることだと思う。
頭が空っぽでは生きていけない。そういう仕事は単価が安い。安い仕事は、長時間働かないといけないので、疲れやすいわたしの特性に合わない。
言語性の高さをもっと磨いて、もっと働いて、人の役に立てるように、工夫していきたい。
工夫という言葉は大好きだ。
数学が好きな生徒さんがいて、内接円だけが苦手だというので、仲良くなりな、そうしたら、無敵だからと言ったら、喜んでいた。
好きなことでも中には苦手なことがある。
克服すると思うとたいへんだから、仲良くなって、工夫することが大事だ。
わたしは人以外の「もの」「概念」に対して、非常な親しみを持つ部分がある。
だから、つい、数学でもなんでも「この人はね、こういう気持ちでね」という話し方をする。
それは変わっている部分だと思う。
昔はそういうことをからかわれたけれど、今はからかう人はいない。希少性は尊ばれる。尊ばれる場所を探してたどり着かないといけない。
必ずある。そういう場所や人のいるところは、ネット上で探せば必ずいる。
現実ではわかってくれる人と出会いにくい。ネットでは最初から自分の気持ちをオープンにするから、わたしに近い人と出会える。
わたしは人をきらいなんだと思っていた。でも、そうじゃなかった。
わたしは人と出会っていなかっただけ。そういう風に気持ちが変わった。
時代は常に変わる。適応していきたいと思う。