c71の一日

生活の記録

男性の役割から降りること

性別役割分担から降りると、いろいろなことが楽になる。


女は、母は、妻は、彼女は、こういうことをするべきだ、してほしい、という願望を持っていると、自分のしたいことができなくなる。
そうすると、人生がつまらなくなる。だんだん、何のために生きているのか、わからなくなって、死にたくなる。


その願望を持っているのは、男性も女性もだ。


性別役割分担をお互いに押し付けあっていると本当にしたいことがわからなくなる。
周りや、相手や、自分自身の心の中にいる「こうしたほうが普通」という価値観が、自分を縛ってくる。


そういうものから楽になりたいと思っても、周りとのしがらみから自由になれないので、一人になることを選ぶ人も多い。


日本は、男社会なので、性別役割分担は、基本的に男に有利になるようにできている。だから、そこから降りると決意するのは、女からになる。不利な条件に気付いたら、逃げたくなるものだ。


でも、男性も、男性の役割にいることで、幸せかというと、そうとは言えないと思う。


「男は狩りをするものだ」という古い昔話によって、狩りとは全く関係のないことでも、「狩り」だと認識していつまでも繰り返している。


仕事だけしていればいいという時代は終わったのだけど、男性はまだ、仕事だけしていればいいと思っている人も多いみたいだ。仕事だけしていると、バランスが悪くなる。仕事がうまくいかなくなると、死ぬしかなくなる。意味のないプレッシャーにさらされたまま、そこから逃げられなくなってしまう。


仕事がなくなったら、存在意義がなくなると思いながら、仕事をするのは不自由だ。


家事をしたり、子育てをしたり、社会的な問題に参加することで、社会との一体感を得ることができるのに、それをしないから、帰属意識をいきなり国家に持っていく人もいる。そういう人たちは、女を抑圧する。抑圧するが、他者を抑圧すること自体で幸せになれるわけでもない。


日本人であること、男性であること自体に誇りを感じてしまうと、自分自身の価値を築くことがおろそかになる。
それはひどく不安定なことに思える。


だから、男性の役割から降りることを勧める。これも、とても男性に気を使って書いた。
気を使わないで書ける時代が来るといいのだけど。