c71の一日

生活の記録

パートナーのこと

パートナーと初めて会ったとき、「これ、十年ぶりに食べる」と言って喜んでいたので胸がふさがれた。
彼は十年以上監禁されていて、栄養価のあるものを食べていなかったので、がりがりに痩せていた。


名前を本名以外に変えられ、通称で名乗ることを求められて、下着も満足に与えられていなかった。外出も許されず、友人と連絡を取ることもできなかったとのことだ。髪の毛も丸刈りしか許されなかったそうだ。それは経済的な問題と説明されていたらしいけれど。
わたしがDVを受けた時も、名前を変えられて、男物の下着を与えられていたから、同じだと思った。
わたしも、家族や、友達と連絡を取ることができなかった。避妊をさせてもらえなかったこともまで同じだ。
わたしの場合は、面倒を見るのだから、避妊などしなくていいのだ、子供を生むべきだと言われた。
わたしのキャリアはどうすればいいのだろうと言ったら、そんなことよりも、子供を生むことのほうが大事だと言われた。
会社に乗り込まれ、自分の部屋を解約されて、わたしは戻るところを失った。
今思うと、キャリアのことを考えるのも、子供を生むタイミングを考えるのも、わたしの問題だったのに「守る」という一言で、すべて、それを奪われたのだった。


「守る」からには、全部自分の思うとおりにするという宣言に他ならなかったのだ。
守る、とは、「わたしを相手の所有物にする」という交換だった。自分のものだから、好きにする、他人が傷つけることを許さない、ということで、自分はわたしを好きなようにした。そして、その結果、わたしは傷ついた。
わたしはそのころの人からは守られなかった。当たり前だ。「守る」と言っている人は、自分が加害をしている自覚などなく、私に何をしても、自分だけは無謬だと思っているのだから。わたしは外に出されなかったから、外の何かからは傷つけられなかった。でも、わたしは密室の中で、どこにも逃げられなかった。守るという言葉を吐いた人のそばでおびえていた。



こういうことをされると、された側こそが、恥ずかしさを感じて、外出ができなくなる。
こんなにみっともない姿では外に出られないと思うのだ。


恥ずかしいことをしているのは、コントロールする側のはずなのに、された側が恥を感じて、逃げることが難しくなる。
ひどいことをされればされるほど、自分の価値が暴落して、こんなみっともない自分が、外に行くことなどできないと思わされる。



コントロールする側が思いつくことは、男女関係なく同じらしい。


気に入らないことがあるとヒステリックにどなる、暴れる、ということを一緒に住んでいる人にされると、相手の価値観が中心になって、いかに、相手を怒らせないかをびくびくして暮らすことになる。恐怖でマヒした思考は、逃げることを思いつかせない。


長時間労働や、誰とも会話させないこと、彼の話を聞くと、まるでアウシュビッツではないかと思った。


二人とも子供を作ることを早いうちから強要されている。強要されるというか、思考がマヒした状態で子供を作ることを示唆されると受け入れてしまう。


意外なことに、わたしは監禁されている間、絶望していたという感覚がない。その代り、いつもふんわりと死にたいと思っていた。
断薬を強制されたり、その一方で、よくわからない薬を大量に投与されて、二十時間くらい目が覚めないこともあった。わたしの金で、相手方は豪遊していた。わたしは自分の金なのに、与えてしまっていた。そして、金がないことを恐れておびえていた。これ以上貧乏になったらどうしようと思っていた。




何も心配しなくていい、一生守るという言葉を真に受けていた。守るという言葉を吐いた人間がわたしを拘束することは考えていなかった。守るという言葉は、コントロールするという制限に他ならないことを痛感したのは逃げた後だ。



逃げた後も、さんざん、「どうしてこんなことになったのか」「どうして、その人に魅力を感じたのか」「好きだったのか」「どうしてついていったのか」など聞かれた。わたしにもわからなかった。わたしは、聞かれたくなかった。それだけだったのに、心にないストーリーをでっちあげて、応ええるようにしていた。それでも、質問する人は満足しなかった。わたしは苦しかった。



PTSDで入院した病院の医師に「あなたは生きる力が強いですよ」と言われるまで、自分はたいへんなことをしてしまった、と思っていた。
それまで、迷惑をわたしのせいで被ったといういい方ばかりされていたから、とても救われた。



穴にはまるような人間を捕まえるのだから、狙われたら逃げるいとまもない。その中から逃げられただけで、わたしは生きる力が強いということ。それを肯定されてから、治療が始まった。



パートナーは、家事が楽しいという。それまでさせてもらえなかったから。しても、やり方が悪いと怒鳴られていたから。金を稼ぐ道具として生かされてきたから、それ以外のことができるのがうれしいらしい。彼は、毎日本を読む。筋トレをして、たくさんご飯を食べる。音楽も聞くし、やりたいことがたくさんあるという。それはよかった。本当によかったと思う。



わたしは逃げてから、本を読むことも音楽を聴くことも刺激が強すぎて難しくて、できなかった。
「あなたは生きる力が強いよ」とわたしはときどき言う。



わたしのことでなく、世界の秘密をもっと知って。世界はとても広くて、豊かで、意地悪なことばかりじゃなく、美しいこともたくさんあるのだともっと知ってほしい。わたしにできなかったことが、できるようになって、あなたは最悪の状況から希望を捨てずに逃げることができたのだから、なんだってできるのだと、自分自身に教えてほしい。