役に立たないわたし
今日は希死念慮が強かった。
具合が悪くて病院をさぼり、セレニカとエビリファイを一週間切らしていた。
人間関係で、またしても、問題が発生した。人が、変わるのは難しいのだと思った。
身近な人が問題を抱えていても、そのことを話す相手は限定するのが普通だから、一見問題がない人でも、問題を抱えている場合がある。
成功しているように見える女の人でも、その成功にたどり着くまでには様々な艱難辛苦があるはずだ。
でも、周りは、成功しているところだけ見る。
だから、男の人が、成功している女の人を見て、「この人は成功しているのだから、いわゆる女性差別で問題がある」と認識できないのは仕方がないことなのかもしれない。
でも、よく観察していれば、女の人が女であるがゆえに、かぶってきた苦痛は、見えてくるはずだ。
見えないのは、そういう心構えで見ないから。そういう心構えは、男中心社会から弾かれた経験がないと難しいのかもしれない。
わたしは、そのことを伝えたくて、文章を書いているけれど、読んでいる人にも伝わらないことが分かって、無力感にさいなまれた。
わたしは今無職だ。お金は少しは稼いでいるけれど、生活を成り立たせるほどじゃない。
だから、六帖さんに悪いと思う。
それでいて、生きていればお金を使ってしまうから、わたしさえいなければ、六帖さんは自由に自分のお金を使えるのになあと思っていたら、死にたくなってしまった。
六帖さんは、わたしのことが生きがいだから、わたしが死んだら生きる理由がなくなるし、お金も自分で使いたいわけじゃないから、と言ってくれる。
でも、今のわたしは役に立っていない。
おとといから、睡眠が全然とれなくて、眠いのに、眠れないでいた。一日三時間しか眠れなかった。
薬がないことも加わったせいで、希死念慮が強かった。
薬を飲んでいないことや、希死念慮のことも、今日話した。そうしたら、六帖さんは病院に電話してくれ、明日付き添ってくれると言ってくれた。もっと早く話せばよかった。
いじめの形をとらない、善意からや、無意識からの差別をアグレッションというらしい。この言葉を始めて知った。
アグレッションが心身にもたらす影響は大きく、わたしはアグレッションを受けて、体中に痛みを感じて、起きていても、眠っていてもつらい状況だった。差別しようとして、差別している人はほとんどいなくて、善意からものをいう差別が多い。
その差別に抗うことや抗議することはとても骨を折る。だって、善意からしているつもりの人に届けられる言葉は限られている。
そんなつもりじゃない、と言われてしまう。わからない、と言われてしまう。身近で差別を見たことがないといわれてしまう。
自分事として考えられない、という人に伝えられる言葉のことを考えて疲弊してしまった。
しかし、軽視されたわたしがどうして、言葉をつづらないといけないんだろうとも思う。
わたしがされたことは、わたしを軽視された後、わたしの周りの男性に、その人が「何が悪かったか」聞いて回ったことや、わたしの文章のデータを、わたしではなく、六帖さんに渡されたことだ。
わたしの文章を、どうして、わたしのパートナーに渡すのか、最後まで分からなかった。わたしは、六帖さんの所有物でもない。おまけでもない。意思もある。付属物じゃない。
わたしが権利を持つ文章を、どうして、パートナーであるだけの六帖さんに渡すのか。
それも最後まで分からなかった。そういう発想を持つ人に、届けられる言葉はなかった。
疲れていたから、と言われたけれど、わたしも病気で、具合が悪い。それでも、わたしはそういうことをしないから、疲れていることと、六帖さんにデータを渡すことの因果関係はわからなかった。
男同士ならわかる、と思って行動されていたのか、どうしてなのか、わからなかった。
こういうことをされると、わたしは「自分はどうして生きているんだろう」という風になってしまう。
文章を書いていることだけが、わたしのよすがなのに、それを軽んじられてしまうと、わたしは本当に価値がなく、役に立たない人間なんだなということを突きつけられた気持ちになる。
わたしの文章に意味があるのか、ないのか。
わたしは、これから、体調がよくなれば、ネット上の仕事をいろいろとするつもりだ。働いていないと、「生きていてもいい」と思いにくくなる。わたしは、自己評価が低いのだ。
病気をもって、体調が悪い中生きていると、支えになるものは、自分でできることがある、ということ。
それだけ。
でも、それを軽んじられてしまうと、全部瓦解する。
わたしを、男の所有物だと示唆するような態度を取られると、そうした人が、そのつもりはなくても、目に見えないメッセージを感じて、わたしは弱ってしまう。
説明すること自体が削られることです、とその人に言ったら、「わたしも削られる」と言われた。
差別されて、削られた、というと、差別した側が、「差別のことを考えると削れる、コストをかけられない」と言ってくることで、差別の上塗りをされた気分だ。
今日は、わたしは本当に金食い虫で、役に立たないから、死にたいなと思った。
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女でいる無力さは、見なくて済む人には、どれだけ説明してもわからないんだなと思った。
せめて、小説の中だけでは、女が苦痛の中でも、希望をもって生きられることを書きたかった。
さっき、少し眠れたので、ちょっとだけ希死念慮が収まった。
次の本も、六万字以上ある。校正が終わったら、また、出版する予定だ。
読者の方も、立て続けに出版されて、読むのが間に合わないかもしれないけれど。
生きているだけで骨が折れる。死んだら、全部なくなるんだと思うと、死に吸い寄せられてしまう。
死なないでほしいといわれているから、死なないけれど、風船みたいに飛んでいきそうだ。
軽視してきた人に、抗議をした後、「今こう考えているけれど、わからない」というメッセージをもらった。考えてくれたことに感謝をした。そのあと眠れなくなった。
ありがとうございますとは言ったけれど、距離を取りたかったのに、わたしが六帖さんにほとんど手伝ってもらって、独力で出した「お母さん本」について、いろいろ校正や、バグの問題を何事もなかったようにいきなり切り出されて、つらかった。
わたしの本なのに。普通の間柄なら、指摘されたことに感謝できると思うのだけど、どうしてもつらかった。
わたしの本だから、わたしの好きにしたいし、自分でしたから、失敗もある。
失敗しながら書きたいから、やっぱり、距離を置いてほしかった。失敗をあれこれ言われるのは、事務的なことでも、元気がない時には堪える。
わたしさえ、いなければ、誤字や間違った体裁の本を書くこともなかったのにとすら思ってしまう。
大事なのは、わたしが文章を書くこと。そうなんだけど、シンプルにはいかない。
何もかも放り出して、消えたくなった。体が痛いから、そのことからも逃げたかった。
最近は、家から出ること自体も難しく、療養しようにも、落ち着かない。眠れないから時間がすぎない。息をして吐いているだけで苦しい。
息をしているだけなんだから、いなくなってもかまわないように思った。