c71の一日

生活の記録

低迷している

最近、いろいろなことが低迷している。
ブログも低迷している。書くことが減った。アクセスも減った。c71の一日をグーグルで検索しても出なくなった。
かなり悲しい。
また、一から出直すしかない。


最近書いていたことに、価値がなかったのか、なぜなのか、わからないけれど、また、文章を書き始めるしかない。
最近は体調が悪くて、ずっと寝たきりだった。
体がだるくて、すぐに横になる。横になっても眠れない状態が続いている。


今はとても悲観的で、有意義なことや、面白いことを書けそうな気がしない。


不安が不安を呼ぶ。


よいニュースもある。新しい生徒さんが増えるかもしれない。
今度は、大学を受験する生徒さんだ。
勉強をしよう。


今日はインド料理のチキンカレーを作った。おいしかった。よいこともある。
散歩もできた。豆かんを食べた。


曇り空の日はなんだか憂鬱だ。


ストレッチをした。
お灸もした。できたこともある。



子供の話が話題に出て、六帖さんが嬉しそうだった。
今は、体をよくして、ネットでできる仕事をちゃんとこつこつ進めることが大事だ。
うまくいかないことをどうしたらいいのか、考えても答えが出ない。
不安がひどくなる。原因を考えてもわからない。
グーグルの考えていることが分からないんだから、仕方がない。


仕事をときどきもらえるから、それをきちんとすること、体を整えること、気持ちを安定させることが大事だ。
いまだに気持ちが乱降下するのはなぜなんだろう。


今までブログにどんなことを書いていたかも忘れてしまった。
最近のいざこざで、自分のもともとの文章を忘れてしまった。
喜んでもらえるもの、自分が書きたいもの、それを書いていこう。
そうするしかないんだと思う。

不安を抱える

不安だ。
最近は家に閉じこもってばかりいる。
不安なのはどうしてなのかわからない。
気分の上がり下がりは、自分の意識ではコントロールできない。
ただの気分なのに、わたしを左右する。


不安を人のせいにする人もいる。
「あなたがこれをしてくれないから、わたしは不安になった」と攻撃する人だ。
そういう人は「自分がこうしてきたから当たり前のこと」を他人にも求める。
わたしは空気を読めないから、知らないうちにそうしたルールを踏んで失敗してしまう。
とくに、コミュニケーションの暗黙の了解みたいなものは、わからないんだと、今日も痛感した。


不安になるのは、ある程度は自分の問題だから、自分で抱えるしかできない。
もちろん、パートナーに話したり、友達に話したりはする。



それでも、やっぱり、わたしの中に巣食う不安は消えない。

どうして、今日、こんなにも不安なのかわからない。


今日は友達と毒親の話をした。
毒親は、相手がほしがっていないものを押し付けて、感謝しろと迫る。
でも、いらないものだから、感謝できない場合がある。
表向き感謝して、後で捨てればいいのだけど、そういう風にできない時期があったなと思った。


親が理不尽なことをすると、相手に対話を求めてしまう。
でも、親は対話を求めていない。わたしが受け入れるのを当たり前だと思っているから、対話を求める時点で、逆上されてしまう。


そういうことを思い出した。


親と離れて何年もたつのに、ちょっとしたことで思い出す。
毒親は、勝手にいろいろなことを決める。
わたしの住む場所も決めた。出ていく時期も決めた。
それに従うしかない、弱い時期があった。


今は違うんだから、不安に思う必要なんてないのに、でも、人の評価で、左右されている自分がいる。


不安だから人を攻撃する人と違わない。


不安を抱えて、それを明日目覚めたときに忘れられていたら、どんなにいいだろう。
太陽が昇れば、何もなかったようになれば。
明日は明日の風が吹く、といえる強さが持てればいい。いや、持てるようになる。


不安を抱えて、明日の朝を待つ。