c71の一日

生活の記録

果ての果てまで追いかけて

強姦で被害届を出された芸人さんの復帰が怖いという気持ち - ある日の日報

誠実に慎重に書いておられるのに、こんなコメントがつくんだよね。すごくつらいのは、日常的に被害の経験者がこういう扱いを受けるのを知っているから。 生きることだけでも、闘い。

2015/01/06 15:10

誠実に慎重に書いておられるのに、こんなコメントがつくんだよね。すごくつらいのは、日常的に被害の経験者がこういう扱いを受けるのを知っているから。 生きることだけでも、闘い。 - font-da のコメント / はてなブックマーク


http://elielierika.hatenablog.jp/entry/2015/01/06/023000

わたしは、性暴力サバイバーなのだけど、普通に暮らせるようになった(と仮定する)まで、人生の半分の時間がかかった。事件が起きてから、今までずっとその事件のつらさを時間で希釈するようにして過ごして来た。影響は、薄くなるだけで消えはしない。


自分の生きづらさが、あのことと関係しているかもしれない、と少しでも思えたのは最近だ。
それまでは当たり前すぎて、特別なことだと思えなかった。
被害を被害だと思えなかった。
怖くてもつらくても自分だけで気持ちを処理していた。
相談したが、聞かなかったことにされた。
重すぎる話だったから、誰も、そんなことを聞いたところでどうすれば良いのかわからなかったのだ。



だから、いつでも、疲れやすく、だるかった。そして、そのことで自分をさらに責めていた。
普通の人が平気でできることを、自分だけができないのは、怠けているからだと。


大人になって、ずいぶん経って、あれはやはり、おかしい出来事だったと、お医者さんに相談して、お医者さんが、疲れるのは当たり前です、重い経験をして、思い出すたびに、アドレナリンが出て臨戦態勢になって、緊張して、心拍数も上がっているんだから、筋肉も硬直するし、疲れるはずですと言うまで。


引きずっている、という言い方では違うと叫びたい。
自分で好んでそうしているわけではないからだ。


忘れていても、突発的にフラッシュバックが起きる。フラッシュバックの原因になることは取り除けない。男性の気配だけでフラッシュバックするんだから。残虐なシーンが脳裏から消えないのだ。閃光が鋭く、暗闇の中でスピードを競うようにわたしを追いかけてくる。それは記憶だ。


フラッシュが焚かれるように断続的にそのシーンが甦る。音も感触もすべて。わたしは時間を巻き戻されて、その当時に閉じ込められる。


冷や汗が吹き出し、めまいがし、手足が冷たくなる。無力感に苛まれる。
無力だ。あのとき無力だったように。そして、今もフラッシュバックに対して無力だ。
フラッシュバックが起きているときには、それがフラッシュバックだとは気づかない。現実なのか、妄想なのか、過去なのか、渾然一体となっていて区別がつかない。


悪夢のようだ。悪夢じゃない。現実だ。いや違う、過去に起きた出来事だ。そう思いながら過呼吸になる。なぜ、わたしが、こんな目に、遭い続けるのだろう?
当時だけじゃなく、今も、人生の邪魔をされないといけないのはなぜだろう。


フラッシュバックは脳に起きた傷だ。壊れたレコードのように記憶を繰り返す。
自分の意思では止められない。
壊れたレコードのように、似た状況に自分を追い込むのは、それが好きだからじゃない。あまりにもショックだから、やり直したいのだ。自分がうまくその状況を捌けたのか、知りたいのだ。


同じことを繰り返して、今度こそ、その状況から救われたいと、助け出されたいと、願うからだ。
いや、それとも、いつでも、こんなこと平気なのだと、言い聞かせながら、何度起きても自分が屈服されることなく、自分自身の力で生き延びる自分を確かめたいからだ。





たとえそれが歪んだ形でも、サバイブする自分を誇りに思っているからだ。
本当は、確かめなくても、自分であの場面を生き延びたから今の自分が生存していると、知っているから、そんなことをしなくても良いとわかるまで、ずっとそれを続けてしまうから、誤解されやすい、性暴力サバイバーは。



でも、そのどちらでもそんなことはもう起こさない。
わたしはそんなことから自由になりたい。



人に言っても信じてもらえず、辱めを受け、時には聞こえないふり、なかったふり、をされて、ケアもされずほっとかれていく中を一日一日、解離しながらでも生き延びて来た。


その生活はとても不便で、勉強をするにも、働くにも、遊ぶのにも、眠るのにも適さなかった。



わたしはちっとも目が覚めない。わたしは思慮のない子どもだった。
守られるべき存在だった。
わたしはあの事件のせいで生きづらい。


こんなことに気がつくまでに人生の大半を費やした。費やした時間は戻ってこない。輝かしかったはずの青春も何もない。そのことにもまた怨嗟の気持ちが抑えられない。そうして、怨嗟している間にも時間は過ぎていく。刻一刻と奪われていく。相手がのうのうと暮らしている間に、わたしは地獄をなめている。わたしは犯罪者の綺麗な思い出のひとつになっているんだろう。現実の認識の書き換えなんて容易いものだ。


忌まわしい記憶が、果ての果てまで追いかけてくる。


果ての果てまで追いかけて殺してやりたい。


果ての果てまで誰か来て、追いかけて、わたしを助けてほしい。



可能なら、思い出の届かないところまで、記憶の届かないところまで、逃げ出してしまいたい。


記憶と、今生きているわたしが、闇の中を競争している。
どちらがどちらを出し抜けるのか。

わたしはもう、記憶に追いつかれたくない。
果ての果てまで追いかけて来られないところまで駆け出していきたい。


いや、わたしはもう、駆け出した後で、誰もついて来れない。


わたしは果ての果てまで追いかけていく、光っていくものだけを。今のこの暗闇の中を。
後悔に押されて。


違う、わたしは、最初はそうだったとしても、もっと、肯定的で、強いものを目指して、わたしは走りたい。
ためらいのない、命が光っているところへ走っていきたい。
果ての果てまで。遠くまで。誰よりも。一人きりになれる、静かな、誰も追いつけないところまで。

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