読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

c71の一日

生活の記録

家事の三つのレイヤーと責任者の固定化について

家庭の運営には、三つのレイヤーがある。


計画、準備、実行。
計画は、何をいつするのか、どの程度の段階でするのかを、決定すること。人員の配置をすること。ゴミ出しの日がいつか、把握すること。そのことに対して責任を持つこと。
準備は、計画に必要なものを購入したり、足りないものを買い足したり、調味料の量を維持したりすること。洗剤が切れていないか、食べ物で腐っているものはないか、認識すること。ゴミをまとめたりする段階。
実行は、料理をしたり、洗濯機を回して干して畳んでしまう段階。その段階には、タスクをこなすことに集中する。ゴミを単に出すことも入る。それは、簡単に指示できるし、家事だと認識しやすいこと。ゴミ出しはしている、と言う人でも、人に言われてしていたら、実行部分を担当しているだけのこと。本質的には、「計画」している人が、やっていることになる。


計画については、確認、計画が主だから、管理者は、気の休まることもなく、いつなにをするのか、裏でタスクを走らせている状態だ。
裏で走らせているタスクだから、責任者以外は、認識できないし、他人に対しても言語化できない。


家事の三つのレイヤーのうち、認識されやすいのは実行部分だ。自分のことは自分でやる、ということをいったとき「自分の分の食べる物を作る」「自分の分を洗濯する」ということが入るだろう。
でも、自分の食べる分を作る、ということに、冷蔵庫のものを使うとしたら「冷蔵庫の管理」という「計画」「準備」をすでに当てにして、消費していることになる。


そう言う意味で、料理をする、と言うことをとっても、料理を作る段階で、「今日はわたしがつくる」と言ったところで、その人に料理の責任はない。料理の責任を果たしたのは、冷蔵庫に必要なものを満たして、買い出しにいき、腐らないように管理して、足りない調味料を把握して、足している人だ。



計画をする人は、家庭の運営の主たる責任者だ。
その人たちは、気づく。常に背後にタスクが走っている状態だから、家に帰ったらリラックス、というわけにはいかない。何が足りていなくて、どこが散らかっているか。どこが汚れていて、いつ掃除をするべきか、常に観察している。そして、その時間をいつ取るのか、誰に担当させるのか、考えることが仕事だ。
この実行以前のレイヤーの工数は、同居者に理解されにくい。
とくに、頼まれたらする、という立場の人にとっては、採用されにくい考え方だ。
頼まれたらする人は、自分が実行部分をしているという自負があるので、なかなか自分がやっていない、ということに気づきにくい。
また、計画、準備管理者は、全体の家事の工数を把握しているから、実行部分を担当してくれている人の仕事量が、全体で何割か、把握している。
実行だけを担当する人は、それを把握していない。
だから、管理者は、いらだちを募らせる。
実行者は、自分がかなり家事をやっている、という自負がある。
だからこじれる。


話してわかるかというと、そうではない。話し合いを拒否されることもあるし、管理者は自分がしていることを言語化しにくい。
無償労働のポイントは、言語化しにくい作業が主で、言語化しやすい部分は分担しやすい。分担しやすいところを、実行者はしているから、話がすれ違う。
だから、本質的に解決することが難しい。


気づく人がやればいい、ということを聞くが、計画、準備の段階を責任を持って担当している人が、主に気づくのだから、気づいた人がやる、ということだと、計画、準備管理者が、常に実行部分も担当することになる。
責任者が、責任者として、固定されがちなのは、「気づいた人がやる」べきという思想があるからだ。
また、管理者じゃない人は「埃が積もっている」「洗剤が足りないよ」と「親切」で教えてくれる。
管理者にとっては、「主体的に取り組んでいてもらっていない」ということにいらだちを募らせる。
基本的に、実行部分は、報酬のやり取りをすることが可能だ。しかし、計画、準備の段階では、言語化しにくいので、報酬化しにくい。


負担になるのは、言語化しにくい部分だ。
だが、実行者から見ると、そうは思えない。なぜなら、やったことがないからだ。
短期間でもやれば違うと思うのだけど、主体的にしてほしい、と伝えたとしても、言葉の意味が「実行部分を増やす」という意味に取ってしまうから、「こんなにやっているのに」「やっていないわけじゃない」という反応が出てしまい、実際その通りの部分もあるので、なかなか難しい。


責任部分の分割が難しい。
また、気づいた人、ということは、おのおのの感性によるものなので、汚さや不快さに対して鈍い人の方が強い。そして、快適さは鈍い人でも甘受できるものなので、鈍い人がフリーライダーとなる。
そういうわけで、黙っていては、改善しにくい。



追記)ちなみに、ヘルパーさんを頼んだときには、計画、指示だしをした場合、利用者も「参加」したことになって、一緒にやった、ということになる。だから、身体援助に分類される。
何も指示をださない、ということになると、家事援助になる。
資本が入って、アウトソーシングする場合には、指示出しも、何が必要なのか考えることも、家事だと認識されるし、定義される。そもそも、ヘルパーさんを頼む、ということに、主体性と責任がある。