c71の一日

生活の記録

床で寝ていたら風邪引いた

アレルギーのパッチテストをしていたので、アレルギーの薬が飲めない数日があった。
ぜんそくも出て、とても苦しかった。かゆいし、痛いし、熱は出るし、のどは痛いし、散々だった。
そうしたなか、精神的にとてもショックな拒絶と無礼にあったので、憤っていた。
そうして、精神状態と体調が悪化した。
家に引きこもりたいけれど、病院にいかないと行けないし、仕事もある。
休めない。
自然災害みたいに、いやなことはどんなタイミングでもやってくる。わたしのコントロールできないタイミングで、待ってはくれない。
嫌がらせは、人為的だけど、自然災害と変わりない。

わたしはそれを受け止める必要はないのだと言い聞かせた。
言い聞かせたけれど難しかった。
ひどいことを言われたとき、息が止まる。
からだの反応が割きに来て、それが「ひどいこと」なのか、判断が出来ない。
もしかして、わたしが考え過ぎなのかもしれない、意味はないのかもしれない、悪気はないのかもしれない、って思いたかった。
だけど、それまでの経緯があふれるようにして、わたしに意味を教えた。
だから、わたしはその解釈で正しいのか、いろんなひとに聞いた。
わたしはたぶん、わたしの感じ方を大切にして良いのだ、という結論が出た。
わたしは他人を変えられない。だから、わたしも他人に変えられない。
それで良い。答えはシンプルだ。


人の物差しで測れば、わたしは異端だ。あふれてしまう。はかれないものだ。だから、排除される。
わたしの物差しで測れば、それは敵だ。放っておいてくれるなら、わたしは何もしなかった。
わたしの存在自体が気に障るとしたら、それは、わたしの問題じゃない。
気に障るような物差しを持っているひとの、物差しの問題だ。
人の存在を否定するほどの物差しって、使いにくいと思うけれど、好き好んでか、意識もせず持っているのか、とにかく、他人の物差しの価値をわたしが心配しても仕方がない。
ただ、物差しで測られたあげく、放り出されるのはたまらない。
わたしも一応人間だから、悲しい、とか、つらい、とか、いう感情がある。
物差しで測った側はもっと「きずついた」と思っているのだろうけれど、わたしが始めたことじゃない。


わたしがどんなコンディションでも、辛い言葉は振ってくる。
それは本当に、良く知っている。
どうして、リラックスできないの?と聞かれたことがある。
どうしてなんでしょう?
つらいことが、雨のように、わたしの思った通りのタイミングで降ってこないからかな。
わたしはつらいことに対して、傘を用意できる日が来るのかな。
対処方法でもいいから、風邪を引かなくて済むように。
いつかつらいことがあっても床で眠らないで、リラックスして眠れる日が来るのかな…。

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