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c71の一日

生活の記録

わたしはものとして簒奪する気持ちを知りたいの

わたしはものとして、扱われ、簒奪された。

その後、他人をものとして、扱い、簒奪した。



これは誰のそしりも免れない。


わたしは学習した。
自分に起きたことが大したことじゃなかった、普通のことだと思いたかったし、自分にされたことがおおごとだと知らなかったので、同じことを他人にしても、たいしたことだと思わなかったのだ。



そして、密かな欲望として、なぜ、わたしが簒奪されたのか、知りたいという気持ちがあった。



簒奪が、加害者のいうとおり、たいしたことじゃなく、加害者にとってなくてはならないもの、なかったら死んでしまうもの、わたしが断ったら加害者が死んでしまうと脅すものなのだとしたら、わたしはやっぱり簒奪を許さなくてはならない。



わたしは、奪われたものを取り返すという気持ちもなく、ただ、簒奪者の言う普通を学習した。

そして簒奪者になった。



わたしは確かにレイプも窃盗もしていないし、誰かを病ませるほど深く関わったりもしない。
わたしにはそれほど人間にたいしてまめではない。
でもわたしの手には誰かに加害を行ったという手応えが残っている。



わたしはなにをしたのか?
なにをされたのか?


わたしはそれがまったく思い出せないのだ。



簒奪者はいつだって、わたしのためにといって、奪っていき、あらゆる形で利用した。


感情の吐き出し口として、アイデンティティーのよりどころとして。
彼らは非常に繊細で脆く、そして他人をものだと思っていたから、対人にたいして鈍感だった。


わたしはそれで許されるのか、と思った。



簒奪者はいつでもわたしが間違っているといった。
わたしはその呪いをまだ引きずっている。
簒奪者はわたしをものとして扱った。

たくさんのことを奪っていった。
わたしは、思い出せないけれど、回復の過程で誰かからなにかを奪ったと思う。
わたしは簒奪者から学んだからだ。
そして倫理観を破壊されたからだ。
簒奪者は手始めに倫理観を破壊する。
そして、自分のしていることがたいしたことではなくて、正当なことだとわたしに教えて、新しい倫理を植え付ける。


わたしはそこから抜け出したけど、他人をものとして、扱うという偽の倫理観を持っていた時代があった。



わたしにはそのころの記憶がおぼろげにしかない。

ほとんど誰にも会わなかったから被害者は少なかったはずだけど、きっと誰かを傷つけた。



わたしは何が起きたのか理解してなかったから、適切な人に相談できなかった。


大人になってからは、お金を払って、話を聞いてもらっている。
たぶん、それが一番安全なやり方で、誰のことも再び傷つけない懺悔だ。


わたしは加害者にさえも、懺悔する気持ちを持っている。洗脳から抜けきれていない。
わたしは自他の区別がまだついてない。 
もともとそうだったのもあるし、簒奪者はまず自他の区別を破壊する。


だから逃げても価値観がすぐには変えられない。
そこで、慣れ親しんだ簒奪者のもとに帰る被害者が出てしまう。


簒奪者のもとに帰らないようにするために、簒奪者の理屈を知りたい。