暗い、明るい、弱い、強い
わたしのブログを暗いと言う人がいて、そりゃあそうかと思った。
自分では自分のブログを暗い、明るい、で考えたことがなかったので、驚いた。
暗いところを出さないで、明るくなろうと努力している人もいる、とのことだったので、そうか、そうか、とも思った。
回復の過程はひとそれぞれなので、言わずに頑張る人もいるだろうし、話しながら回復する人もいるだろうし、人それぞれで、良いとか悪いとかもない。
何も言わずに明るく振る舞う人って、わたしから見ると自己陶酔しているように見えるけれど、それも好きずきだ。
気づかれないと支援も受けられない。支援を受けた方が生きるのは圧倒的に楽なので、わたしは楽な方が良い。
昨日は精神科に行き、ヘルパーさんに来てもらった。
自分が強いと思ったら、利用しないサービスだろう。わたしは自分のことを強いとも弱いとも思わなかったというか、そういう尺度で自分を測ろうと思わなかったので、そういう尺度で人を見る人は、自分のことを強い、弱い、暗い、明るいで測るんだろうと思った。
わたしは自分を測ることをやめたなと思った。
西洋医学では、部分を見てその人を良くしようとする。
だけど、足の先だけ見てここが悪いですね、と言っても、その人のことはわからない。
足が痛ければ腰も痛くなる。だから、全体を見るのが東洋医学だけれども、西洋医学と東洋医学が融合したら、人間を癒せるようになると思う。
病気を治す、というのは、わたしは幻想だと思っていて、治ることを助けられるだけなのだと思う。
治るのは自分のからだがやってくれる。医学はそれを手伝ってくれる。死なないようにコントロールしてくれる。とてもありがたい。
暗いことは好きだ。明るいことも好きだ。どちらでも良さがある。
明るいことは良いこと、と思うのは、古いだろう。
古いことが悪いかというとまた別の話だけれど。
暗いことを言わずに前向きに頑張る人たち、というのは、人の邪魔にならない。
だから、喜ばれる。
本当の強い人、という概念を人々は好きだ。
だからといって、その通りに振る舞う必要もない。
暗い、明るい、強い、弱い、で自分や他人を裁くと損だ。