c71の一日

生活の記録

自分の時間に値段をつける

自分の時間を売るようになってから、どのくらいたつだろうか。


わたしの一番安い時間は745円だ。
一番高い値段はそれより高い。


年収400万円のサラリーマンの時間を時給で直すと、2000円くらい。
フリーランスは、自分を食わせていくことも諸経費に含まれるし、待機時間の分も料金に上乗せるからそれより高くつける、と思う。
少なくとも私はそうする。
一件一件の数、打ち合わせ、メール、そんなことで時間も減るから実質上は時間がかかる。
実作業をする時間以上にコストがかかっているからそれを上乗せになる。


ランサーズで仕事をして、自分が文章を書くスピードを勘案したら、たぶんコンビニバイトと同じくらい稼げるのではないかと思った。
でも、全然向いていなかった。自分の書きたいものじゃないものを書くのはしんどいし、リライトも多い。結局窮屈だった。
安くても、面白い仕事だったら、続いたのだろうし、中には面白い仕事もあったのだけどプレッシャーに負けてしまった。
やりたい仕事はあったのだけど、でも自分のブログに書いていればいいんじゃないかなと思った。
あれをするのはしんどい。

toshitsu.hatenablog.com
この方のブログに影響されたのだけど、まあ、なんというかすごい、すごすぎる。やってみてわかったのだけど。


需要と供給の曲線が交わるところで値段が決まる。
だけど、サラリーマンをしている人には、それがあまり身につかないのかもしれない。
とあるブログでお金を稼ぐことを書いている人を批判している人を見てそう思った。
わたしは、その人を二人とも知らないし、どちらの人も好きな感じではない。
だけど、会社に所属しないで働くには、会社に所属している人の常識とは違うことが大事になってくる。
だいたい、サラリーマンの給料なんて、その人がどれだけすごいかじゃなくて、会社がどれだけ儲かっているかで決まるじゃないか。
そういう人に、値段のつけ方が不当だとか言ってほしくないな。
不当だと思う人は買わないんだし、不当じゃないと思う人は買う。でも、買う気がない人が人の商売を邪魔するのは、それこそ「エレガント」じゃないし、下種だと思う。


人はそれぞれ生きてかないといけないので、それぞれのしのぎがある。
それを邪魔するのは最低だ。人を殺すのと同じだ。



自分の時間に値段をつけて売る時の怖さは、商売を始めた時にしかきっと分からないんだと思う。
わたしは怖くて眠れなかった。


わたしは貧困から抜け出したい。
会社員の常識が、非常に狭い限られた常識だということがこの件で分かった。
みんな常識があるような顔をしているけれど狭い世界の常識の話を私に押し付けているだけなんだと、他人のことを見てわかった。



わたしはいろんなことに依存しながら生きている。
でも、少しずつ依存を分散して、依存の仕方がうまくなっている。
選択肢の貧しさや、発想の貧しさから抜け出しつつある。
貧しいと、選択肢がはく奪されているのだ。
そういうことが、わからない人は、何かできなかったりつまずいている人を見て「馬鹿なのかな」としごく素直に思う。
それは、他人への理解が貧困なのだけど。



自分に値段をつける仕事はたくさんある。
今までなかった仕事を見つけて商売を始める人はみんなそうだ。
何が適正価格なのか、参考にできるものは何もないところから始めるんだから。
今までなかった仕事を発明して実行するというのはそういうことだ。
そして、これからは、どんどんそういう見たこともない仕事が増えていくだろう。
旧知の仕事は減っていく。
だから、本当はきっと一人一人が小さい商売を始めることが大事なのだと思うけれど。それに嫌悪感を感じる人は、他人に興味を持ちすぎだと思う。興味を持たなければ、ひとこと言いたくならない。
わたしは自分のしのぎを邪魔されたくないから、ひとこと言う。利害があるからだ。