鬱状態を脱却しつつある体育編
大事なのは薬だ。
そして、運動だ。
栄養をきちんと取って、朝起きるのも大切だ。
ブログを書く。ネタを探すために、いろんなところに行く。そういう刺激が多くなると良い。
アンガーコントロールにもなる。抑圧に気づける。
街コンにもネタ探しで行って、彼氏ができた。
苦労したから、お金とかじゃなくて、マメで働き者な優しい人だ。
こういう人となら苦労していける。
仕事は週一、二時間からはじめた。
どきどきして、心臓が張り裂けそうで、ブルブル震えた。
汗がだらだら出たけれど、なんとかやれた。
可愛い子どもが相手だから、なんとかがんばれた。
子どものためなら馬力が出る。
お金ももらった。
使うのが楽しかった。
生活が潤っていった。
欲しかったけどふさわしくないと思ってあきらめていたものに包まれる幸せを十分に味わった。
海外旅行にも行った。
外国に行くと、気分が上向きになる。
こんなに、自分に反省を強いる国って、あまりないだろう。日本は反省を強いる。
わたしたちには、反省はあまり必要がない。
無邪気に、好きなことをやっていく、続けられることをやることが大事だと思う。
やる気はやらないと、でない。
元気があればできる。
やる気がなくても元気があればできる。楽しい気分で苦手なことをやるとだんだんできるようになる。
楽しいことにまぎれさせてやる。
仕事の行き帰り歩くと運動になる。
顔を洗う習慣がつくし、きちんとお風呂に入るようになる。
おなかもすく。
夜も眠くなる。
一日四時間から十時間くらい働くようになる。十二時間働く日もある。
つらいことや悲しいことを考える暇はない。
今まではしたたるように考えていたのに、自動的に思考が自分を責めて来たのに、お金を扱っていて、それが稼ぎになって、マッサージに行ったり、買い物したり、旅行をしたり、生活をするおかねになると思うと、したたってこない。楽しい仕事だからだと思う。
コンビニの仕事を覚えたから、全国で働ける。
わたしは大丈夫。
メンヘラ、ビッチと呼ぶな
メンヘルと言う言葉は、お医者さんも知らなかった。
医療用語ではない。
たやすく、アドバイスのような形で、診断する素人がいるが、もう、ほんと、ダメすぎる、愚かすぎる野蛮すぎる。
それで、相手が傷ついても、責任は取らない。
医者は専門教育を受けた上に、行ったことに責任を持つ。
そこのお前!メンヘラって、言葉を一度でも使ったことはないか、それは医療用語でもなんでもない。
わたしははじめて聞いたとき、それを「メンタルがヘルス、健康ってことですか」と聞いたら、そういうところが、メンヘラと言われた。
そういうのは傷つく。
心が弱かったり、正常的な判断力がなかったり、社会的スキル(相手の嘘を見破れない)がない場合、性的搾取を受けやすい。
性的な関係を持つことが、安心に感じて、危険な相手とセックスしやすい。
そういう相手の弱みを狙って「メンヘラとセックスするのは簡単だ。あいつらはまたをすぐ開く」と言っているやつは、本当に下衆だ。
すぐ会って、すぐセックスする女性の中にも、相手のことを信じている場合がある。その場の嘘を心底信じて、相手を怒らせたくなくて、自分だけ、我慢すれば、何もかもうまくいくと信じて、行為に応じる場合がある。
それに、すぐ会って、セックスする女性を責める男性は多いが、男性を責める声がないのはどういうことだ。
女性が、男性のことを話すと、見識がバッシングされるのに、男性が話すと武勇伝になるのはなぜだ。
そして、一切関係ない、他人が、一度気楽に性行為をした女性がそのことを明らかにしたとたん、わっと群がって、いろんな危害を加える姿を見るのは本当に野蛮で醜悪なことだ。
女性が、あることをする、それはその人の判断だ。その場に限った特異性のある判断だ。いつでも何をされても良いと思う人間がいるだろうか。
それは、それ以上の許可を示さない。
特に、不特定多数のサンドバックになることを受け入れているという意味を示さない。
誰がそんなことをしたがるだろうか。
人は損なこともわからないのだろうか。
はてなに書くと、何をされても良い、ということなんだな、という判断をして、勝手に、ローカルルールのつもりで、相手をいじめる人が多すぎる。
加虐的な行動だ。
女性はセックスをする。
だが、誰もビッチと呼ぶな。
人は精神を不安定にする。
だが、ありもしない言葉、メンヘラ、と相手を呼ぶな。
そして、勝手に診断をつけるな。みんな燃えてしまえ。
健全な人には「自分とはだれなのか」という明確な感覚があり、どこまでが自分で、どこから先は他人だというはっきりした境界線がある。他人に自分の境界線を侵させないし、自分も他人の境界線を侵さない。あくまでも自分は自分であり、他人は他人である。
— こころの保育園 (@full_moon_home) 2014, 11月 21精神に障害があるわたしよりも、他人を攻撃する人に、境界がないように思う。