わたしにバカって言う人なんなんだろう
ブログをやっていて、ときどき、「バカ」と書き込みをする人がいる。
そういう人には、最近、バカ、とか、それに準じる言葉を書いている時点で削除するようにしているのだけれど、本当に納得いかない。
わたしがバカかどうかでいうとバカじゃないと思う。
バカと書く人はわたしが、「自分は賢い」と書くことがすごく納得いかないらしい。
わたしにバカだということを教えたくてたまらないようだ。
賢いと書いている割にバカ、どこが賢いの?これも知らないくせに、みたいなことを書く。
わたしは当然だけど、賢いとは思っているけれど、何でも知っているわけじゃないことは自分でわかっているし、何でも知っていると書いたこともない。知識の量が賢さに関係しているとも思っていない。
わたしは賢いから、少し孤独だ。話が噛み合ないことも多いから。それは、検査したときに病院の先生に言われた。もっと高ければ良いのに、高いほど良いんでしょ、と言うわたしに、これ以上、知能指数が高いと、孤独になるから、これくらいで良いんだよ、まあ、少しうらやましいけど、と先生は言った。
これくらい高ければ、なんでも簡単に記憶できるし、言葉にできるし、理解できるから便利だろうね、良いなあ、と先生は言ってくれた。
今まで勉強で苦労したことないでしょう?暗記が苦手だと言っていたけれど、普通の人よりもずっと得意なはず。
話や文脈を作ったり読んだりする方が得意だから。自分の中で苦手だと思っていただけで。
知能指数が高すぎると孤独になるという、その言葉は最近わかる。ある程度頭の回転の早さが同じくらいの人じゃないと、わたしの言っていることはわからないこともあるようだ。人にわかるように話すために、気を使っている。
わたしの世界を共有してもらえることは気を使わないと難しい。
頭の善し悪しで、人間性ははかれない。それも最近身にしみる。どんだけ頭の回転が速くても間違った応えにたどり着く人はたくさんいる。正しく頭の良さを使えていないのだ。逆に、ゆっくりでも、正しい答えにたどり着く人もいる。だから、頭の回転は、人間性にも、答えの正しさにも関係がない。
だから、わたしは人を評価するときに、正しい筋道で考えられるか、人間性が良いかで判断する。
頭の善し悪しは、あまり評価の対象にしない。なぜなら、わたしは頭が良いから、それで評価すると、たいていの人を見下さないといけなくなる。そんな孤独な道を歩みたくない。
わたしにバカ、と言う人は、わたしより賢いかもしれない。だけど、自分以外の人を、自分よりも賢いか、バカか、といちいち言っていると、孤独になるのではないだろうか。その人より賢い人が少ない世界では。バカと話したくないと思えば、自分が明らかに、知能指数が高いとしたら、自分と同じ程度の人を探すのはとても難しくなる。そして、自分と同じくらいか自分より賢い人としか話したくないのなら、でも、その賢い人も同じ価値観を持っていると思ってしまえば、自分以外と話せなくなるんじゃないかな。
自分より、バカか自分より賢いかで世界を二分していると、自分より賢い人については、「自分をバカだと思ってるんじゃないか」と恐ろしくなって話せなくなるし、バカな相手をバカにしているとやっぱり嫌われて話せなくなる。
人を見下すと、嫌われてしまう。
だから、孤独になる。
わたしにバカと言う人は、普通の世界でいても、人にバカって言って回ってるんだろうか。
それは、なんのためなんだろうか?
利益はマイナスだ。
人にバカだというと、軽蔑されたり、信頼されなくなる。
メリットがないのに、どうしてそんなことをするんだろう。
賢さは、この世の中で評価されやすい気質だ。
だから、わたしは社会的に尊敬されつつある。仕事も出来るし、高学歴だからだ。高学歴が評価される職種はあまりないかもしれないけれど、わたしの業種は、出た大学が評価の対象になる。
現実の世界では、わたしのことをバカだと言う人は少ない。内心そう思っているのかもしれないけれど。それはわからない。
わたしは不利な情報もこのブログで書いている。だから、それを持って、わたしを攻撃できると思っている人がいる。それだって、わたしが提示したものに過ぎないのに。わたしが自分でオープンにしている情報で、わたしをバカだと判断することは、それこそバカなんじゃないだろか。
わたし自身がその不利になる情報をオープンにしなければ、その人は、わたしをバカにすることすらできない能力なのだな、と思う。
わたしはその人たちについて自分を省みて恥ずかしいと感じる知性がないんだな、と思いながら削除する。
わたしは、二次障害もあるし、精神病だし、自閉症だが、自閉症だと言うことは、愚かだということを指さない。
わたしは世の中にかなり適応して暮らしている。
そのことは、不利な条件を乗り越えるだけの賢さを示している。
最初から適応性が高い人よりも、不利な部分を埋めることができる分、能力が高いのだ。
見た目の出力は低いかもしれないが、もし世界が反転していて、今、能力が高く見える人が、わたしと同じくらい適応できるか、考えてみれば良い。
人を、病気や、オープンにしている情報だけで、バカとののしる人は、愚かだなと思う。その先が読めていないから。
本当に◎◎の人は◎◎って言わないっていう幻想
わたしにバカって言う人のメリットがなんなのか、本当によくわからないので、考えてみました。
c71.hatenablog.com
ここのコメントに大阪府寝屋川市からお越しの方が書いていたのですが、(大阪府箕面市と2007年10月1日くらいに一回引っ越してるかもしれませんね)
だから馬鹿って言われるんだよ。
本当に賢い人は自分から賢いなんて言わない。言わなくても、他者は自然と感じてその人が賢いと認める。
でもスピーカーみたいに「私は賢い!数値が証明している!」というあなたは馬鹿であり愚か。きっとそうすることでしか自身を保つことができない。数値上、賢い人間なんて山のようにいる。しかし皆が皆、あなたみたいに自己主張はしてない。なぜなら、本当に賢い人は言わなくても伝わるから。
あなたは自閉的だからか知らないけど、自分が一番という癖が強い。それに付け加え、私は賢い自慢。そりゃ、馬鹿って言われるよ。
2chもお好きなんですね。
すごく不思議なのですが、わたしにバカっていうメリットはなんでしょう?わたしが「ああわたしはバカなんだなあ」と思わせることで何か良いことがあるんでしょうか。
本当に幸せな人は幸せだと言わないとか、本当になんとかのひとはなんとかと言わないって言いますが、幸せなときに「しあわせー」「たのしいー」「うれしいー」と言えない人生って楽しくなさそうなんですが。
それはともかく。
それを自分で実行するのは勝手ですが、他人には強制できないかと。まして、その人の感じていることは否定できないわけですからね。感じ方はそれぞれなので。
感じ方を変えろ、表現するな、と言って回るの不毛じゃないですか?
そういうことをしていると、周りに嫌われると思うのです。
しかし、いくらなんでも当然嫌われることは覚悟の上でやってるんだと思うのですが、それをするメリットがさっぱりわからない。
メリットなしでするんだったら、もっと意味が分からない。
嫌われるのが好きなのかな。
だから、本当に、不思議でしかたない。
わたしが言ってもいないことを読んでいるし。わたしは自分より賢い人がいることを知っているし、そう書いてもいるし。
その人をうらやましいとは思うけど、そういう人に賢いと言うな、言うからには愚かだ、伝わるのを待たないことは愚かな証拠だと思わないし、自分より愚かな人に「賢いと言うな」とも言ったことがないので。
どういう気持ちでこのコメントを書いたのか、本当に不思議。
自己主張することをどうして悪いと思ってるんでしょう?自己主張したらその人の個人的な性質が掻き消えるんでしょうか?
言わなくても伝わるとか言わなくても評価されるとか、わたしはそういうことを求めているわけではないわけです。
評価されたかったり、知ってほしかったりするから、賢いって書いていないので、そういう取り方をするんだなと驚きました。
しかし、それで、あなたの何を攻撃したわけでもないのに、あなたはわたしを攻撃するわけです。
嫌いなものを見たいってきもちはわたしにもあるからわかるのだけど。
自閉症は関係ないじゃないでしょうかね?確証のないことは書かない方が良いんじゃないですか。
それこそバカっぽくみえるわけだから。自閉症の人は自己主張が強く、自分を一番だというとかね、差別だから。
わたしがオープンにしていなかったらこの一文も書けなかったわけでしょう?
わたしを傷つけるための会心の一文を放ったわけだ。普通最後の一行ってまとめですからね。
馬鹿であり愚かってフレーズ面白いですね。
自己主張することと、人に伝わることと、賢いことにはなんの関連性もない。
でも、関連性があると思ってるんですね。
そして、関連性のないことでも、「馬鹿」とか「愚か」とか「自閉症」とか書けば、人を傷つけられると思ってるんですね。
自己主張したらダメだって思い込まされてるんじゃないですか?
「あしたのこと」なんて、自分が切り開くんですよ。思い込みから自由にならないと。
本当に優れている人や、幸せな人に黙っていてほしい、という願望があるのはわかりました。
口に出している人を見たら、「言っている人は幸せじゃない」と思っていたら、事実上自分の身の回りには幸せな人も優れている人もいないって思えますものね。
それがこの幻想のメリットなんでしょうか?
本当に◎◎な人は◎◎って言わないっていう幻想は、そうじゃない人が、最後に残ったプライドを守る砦なんでしょうね、きっと。
言葉で書かれていたり、声で聞いたりすると、普段考えないようにしていることが、思い出されておつらいのでしょう。
それって、大変ですね。
嫉妬されるのがめんどくさい人はそりゃあ、黙っているでしょうが、だからといって、見えなくなったからと言って、それであなたが幸せになれるわけでもないんですよ。
自分がもし幸せで、黙っている方が良いと思うなら、そうすれば良いけれど、そうしないわたしにそうしろ、っていう権利はないのです。
わたしの推理が正しければ「見えないものはないと思い込める性質」なのかなあ、と思います。
でも、消えない。嫉妬も。
他人に嫉妬しても、別に幸せになれないんだから、やめた方が良いと思いました。
追記
あれだ、言わないでほしい、って願いなんだね。
そうじゃないと「自分を保てない」んだね。
幸せそうな人や、優れている人に「幸せ」「優れている」と言われたら、逃げ場がないから、せめて言わないで隠れていてほしい、という願いなんだね。
本当にそういう人は言わない、もし言う人がいれば、本当にはそうじゃない、と言えばゼロになるもんね。
幸せな人も、優れている人も。
見なくて済むための処世術というか。
他人に強要するのが個人的には浅ましいと思う。