c71の一日

生活の記録

助けてもらいやすい障害者と助けてもらいにくい障害者

わたしは障害者二級です。

それが障害の重さを表しているわけではないのです。なぜなら、それは国が国の決まりに沿って認定しただけのものだからです。
でもなんで、級数明らかにしているのかと言うと当事者性を担保したかったからです。
じゃなきゃ書かねーよ。
知られたくないし、普通。

だめだ、書きます。
荒れるの嫌だな…。。。。

けんかうってるわけじゃないんだけど、何でも書くって決めてるからしかたがない。書かないと死ぬ。そういう意味ではわたしの方がくらげさんに比べてたちが悪いっていうか覚悟がないっていうか、すみませんだけど書かないと死ぬ。


とか思いつつ書くのがだめなんだよ。メンタル弱い。



なんつか、わたしってアリなんだ…。
衝撃的。
ヘーアリ…。アリって大事な生き物だよね!分解するからね!
それって本に書かれた障害者自身にとっても迷惑なのでは?
例えば、あなたはアリじゃない側の障害者だから安心してって言われても嬉しくないんじゃない?

とか余計なお世話?

だって、一部の発達障害者をアリのごとく踏みつぶさないと成り立たない、発達障害を啓蒙する本って何だろう…?とか思ったけどこれはくらげさんの見解ではないのだから落ち着かないといけない。

ハートに突き刺さるって、謎の敗北感を覚える台詞だな…。突き刺さるとか突き刺さるとかなんなの?
本を読んで、あーこれまずいなーと思った、だからそれを書いた、って過程に突き刺さる要素って必要なの?批判て突き刺さらなくてもやるでしょ、普通。
むっかー。


社会全体のダメージが少なければいいんだ…。確かに難しい問題なんだけれども。でも、救いたい人たちの中でさらにマイノリティ作って戦争起こすのはだめなんじゃないかな…。健常者こえええ。

やっぱ、健常者を向いた本なんだなーと言う意味なんだろーな(ととった)。でも、わかって書いてるんだなーというのもわかった。だから、わたしの書いたことは正しいし、競合しないし、別にくらげさんのことを邪魔しない。

そうかー。まあそれはよかった。
そんで、わたしはあの本を全然だめとか言っているわけじゃなくて、症状の説明とかは丁寧に書いてあるし嘘もないから別にいいと思います。別にって言い方に険がこもっているのは、性的規範に忠実すぎるところはやだなーと思うし、性的規範に忠実じゃない彼女を、規範に沿って書いてて、だから、うまくいってるぴょんっていうのは、矛盾じゃないかなと思うからです。ごあわ。


発達障害者は性別の違いがよくわかってない人が多いらしいし、わたしもよくわからないので、生存バイアスにそこ含めるの前提で書くのは良くないのと思います。

含まれちゃうけどね、日本だからね!


助けてもらいやすい「困っている人」というのは、たぶんあって、
わたしはその条件を満たしているからみんなに助けてもらいやすい。

困っていることを言葉にできて、市役所に行くことができて(ここハードル高い)、
素直で医者の言うことが聞けて、
頭が良くて、
見た目がかわいくて、
清潔で、
笑顔が出て、
相手の気持ちを気にすることができる


ってとこらへんが、生存するために役立っているなーと思う。
それは、親がマジでキチガイだったから、周りに助けを求めないと死ぬみたいな環境だったからというのもあるし、親がマジでキチガイだけど外面はいいから、洋服を清潔にしてくれるとか食べ物をくれるとか最低限のことはしてもらっていたからって言うのがある。


そんでそれは、わたしの功績じゃなくて運が良かっただけだ。
特に見た目がいいこと。確かにわたしはデブだけども、笑顔が可愛い中年女で、割と人に好かれる外見をしている。
それで嫌な目にも合ってるけど親切にも合いやすい。
気難しい発達障害の人の方が大多数なんだろうけど、チャーミーな発達障害者であるわたしはパニックだとか不安だとか鬱だとかあって、二十時間くらい眠ってて起きるのは仕事にいく四時間くらいだけだけどそれでも生きてられるのは運がいいと思う。

そして、健常者の人には踏みつぶされてもいいようなアリだとしてもです。世の中を良くするためになら踏むことを恐れないで踏め!おれを!噛んでやるよ、アリを甘く見んなこら!
アリだ!俺は!

健常者から見たらほのぼのカップルじゃねえし、守ってくれる恋人もいねえし、そういうわけで俺はアリ!健常者から見たら多少の犠牲になってほしいみたいに思われる犠牲側になるアリ!
助けてもらいにくい障害者のことはアリでFA!
でもアリは大事だからね人間よりも地球に役立ってるからね、はるかにね!