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c71の一日

生活の記録

地球生まれの異星人を読みながら、だらだら考えたこと

おなかも痛いし、寒いし、今日はコンビニバイト以外は休みなので、家で本を読んでいた。


地球生まれの異星人―自閉者として、日本に生きる

地球生まれの異星人―自閉者として、日本に生きる


親に対する憤りは、わたしの自閉症スペクトラムならではの、こだわりだったんじゃないかと思った。


今まで、本中毒だったのだけれど、ここ二年はどういうわけか本を読むのが苦痛になって、読みたいと思えど、あまり読まない。それでも長い時間をかけて最後まで読むことができた。これはひとつの達成だから、嬉しいことだ。


本は長い間、わたしの逃避手段だった。

お金を稼ぐようになったら、生活に追われて逃避する暇がなくなった。だけど、やっぱり、逃避は必要だから、ネットに逃避する。逃避できるのはありがたい。わたしはテレビを全く見ないし、音楽も聴かない。映画をたまに見るくらいだから、ネットがあって良かったと思う。



エビリファイを飲んだせいか、わからないけれど、消えたい、死にたい、惨めだ、という気持ちは遠くに行って、柔らかな抑うつ状態にある、と言うような感じ。


薬で人格が変わることが恐ろしいと言う人もいるけれど、眼鏡をかけてものがよく見える方が人格に影響するなんて言うひともいないだろうから、調整された方が実際のわたしの能力を発揮しやすいのだと思う。感情について、ゆがみが出ているから、そのピントを合わせるイメージだ。



塾について、時間の勘違いや細部の読み取りがずいぶんできなくなって来たから、今日、休めたのはありがたい。


人の言うことを気にしないのは難しい。そうしたら、あなたに何も言えないじゃないか?と、言う人もいるだろうけれど、何も言わなくていいんじゃないかな、と思う。わたしは頼まれたとき以外、人に何も言いたくない。自分が不利益を被っていたら、そのことを言えば良いし、それが受け入れられないこともあるだろうと思っている。


世の中は複雑で、そういう意見が通らないことも知っている。
知っていて、調整しているけれど、追いつかないから、難しい。


せめて、わたしだけはわたし自身をこれもできない、あれもできない、だからダメな人だ、と思わないでいたい。親は心配のあまり、わたしのことをあれもできないこれもできない、といって、わたしを人に紹介するけれど、わたしだけは自分を損な風に人に紹介しないでいたい。(謙遜、ということなのかもしれない。わたしはそういうこともわかるが実行に移したくない。そして、子どものことを謙遜するということもわたしには理解できない。子どもと親は他人だからだ。しかし、知って入るので文化が違うのだと思う)



一度いやな目にあったら、わたしがそれを理不尽だと感じたら、それを取り除くのに何年もかかる。修復ができないこともある。ありのままの自分を受け入れてもらえないのなら、それはしかたがないことだ。



自閉症スペクトラムの人は、ありのままでいることをほとんど許されない。違いだと思ってもらえない。未熟で、子どもっぽく、保護が必要な人だと思われる。


療育や治療は、ほとんど、マジョリティに如何に合わせるすべを身につけるか、それに尽きる。


自分を変えて、マジョリティの風習を身につける、ということだ。
それは凄まじい負担がかかるので、偽装して生きているだけでとても疲れる。
わたしはいつもほとんど一日に何度も眠らないと社会生活が送れない。
怠けでないのがわかったのは良かったけれど、それはそうとして、通常の働き方ができないのには変わらない。できないんだな、と知って、無駄な努力をしなくて住むようになっただけだ。

そうはいっても、周りはそれを理解しないから、適当にごまかし笑いをしながら、それをやり過ごそうとするのだけれど、いつまでも改善しないと思われてしまうことは厄介だ。


そのために、啓発デーがあるのだと思うのだけれど、知ること自体がいやな人も多くいるだろう。端的に言って面倒だし、自分こそが大変であって、優遇されていそうな人がねたましい人もたくさんいるからだ。目に見えないハンデ、という抽象的なものを理解できないから、「ハンデなんてないだろうし、誰でもハンデに近いものがあるのだから、診断が就いている人だけそういう配慮をされるのは、優遇だ」と思って、嫉妬する人がいるのだ。



そういうのは、とてもつまらないと思うが、弱いものに当たり散らすことで憂さ晴らしする人は現実にいるから仕方がない。


もっと言うと、わたしは弱いものでは全然ない。全然ないが、嫉妬されつつ、弱いものだと言ってあざけられ、ストレス解消の手段にされることが、現実でも、インターネット上でもある。現実もネットも人間が作っている社会だから同じことだけれど。


正確に言うとわたしには弱い部分がある。それはマジョリティの中に生活すると顕著に目立つ面だ。お金の管理もできないし、欲しいものを欲しいだけ買ってしまって、後で困ることが良くある。先のことを予測する力が弱い。(今までつらかった人生を取り返そうとして、早回しで生きている部分もあるけれど)



社会生活をうまく送れない。複雑なコミュニケーションがとれないから、組織で働くことは難しい。決まった時間働くことも難しい。人の少ないところで、少ない人間と関わって生きていくのが今のところ精一杯だ。だけれどその少ない人間関係でもけっこう大変なことがよくある。



私のことを強いと言ってくれる人もいるけれど、それは状況が要請したものだと思っている。それがなくても生きて来れた人は幸運だし、これからも必要ないのではないかと思うけれど、でも、自分に振り返ってみると、社会性やおしゃれなんて、今まで身につけることもなく生きて来て、そして、今になってけっこう大変だから、やっぱり、その気持ちもわかるなと思う。