c71の一日

生活の記録

ダメになる寸前の休暇

もう、いよいよダメになって来て、限界で、情緒不安定だ。

忙しすぎて、エビリファイを切らしていた。病院に行ったけれど薬をとりにいけないまま二週間経って、最初の頃は、離脱で具合が悪く、今は、薬が抜けたせいで調子が悪い。


薬は便利で役に立つ。素の自分は、コントロールがうまく利かないから(こういうと自分自身をコントロールできないなんて恐ろしいと誤解されるけれど)、薬を飲んで落ち着いていられると、体力のロスが防げて、できることが多くなる。そうなると嬉しいから自己嫌悪が減って、生活が快適になる。頭が働くようになる。


薬が切れると頭に霧がかかるようになって何も考えられない。それを薬の副作用とか、抜けるまで待てば元に戻るとか言う人もいるけれど、そんなのはいい加減な嘘だ。生活がうまく成り立たないから薬を飲んでいて、それまでが暗黒の時代だったのが、薬を飲むことで就労できるようになったのだ。



わたしは二週間ぶりにエビリファイを飲んだので、まだ気分が回復していない。

休むことに不安があるし、自己嫌悪と焦りがある。絶望ではないけれどそれに近い気分。自分の気持ちが暴風雨のように吹き荒れている。



ダメになる寸前に休みが取れた、ということだ。
それまでは、休みが取れていなかった。無理をすればなんとかできるし、たくさんのことがいろいろできるけれど、でもやっぱり無理は無理だ。


感覚過敏もひどく、コンビニの音楽や人の話し声や、お客さんの声も良く聞き取れなくなって来た。
コンビニのフロアの蛍光灯で目がチカチカする。もう無理、もう無理だ。
一ヶ月前にやめたいと思ったとき、誰にも相談せず、さっさとやめたいとオーナーに言っていたら、今頃やめられていたのに。相談したのは失敗だった。これからは何をするにも誰にも相談しないでやろう。わたしの言うことを信じてくれるのはお医者さんしかいない。わたしがコンビニをやめると言ったら止めた人がいた。わたしはもう無理だったのに。お医者さんがそういったから、と言えば信じる。そういうことなのだ。わたしの言葉を信じてはもらえない。わたしのことはわたししかわからないのだから。


身を守れるのは自分しかいない。


わたしは休まないといけない。無理しないでいった人が、同じ口でコンビニはもう少し頑張った方が人生経験になるのではないかと言う。わたしは人生自体をやめたくなるのに。
もう少しってどれくらい?誰が決めるの?わたしがもうだめになってしまったあと?
そして、こういうことを言えば、そんなことは言っていない、って言われて、やっぱりわたしが悪いのだ。