c71の一日

生活の記録

崇高じゃない願いなのよ

c71.hatenablog.com
この記事で、プロ意識って、人が言うものは、働く人への搾取の場合があるって書いた。
プロ意識なんてなくても仕事こなしていたらその対価として、お金を得られるのが普通のこと。


でも、その対価以外のことを求める人は、働く人にも、買う人にも多いのね。
わたしは働いている上で、なるべく、対価以外のことを望まないようにハードルを下げたいと思う。
対価以外に、やりがいを、お客さんが提供してくれるんだってことを望まない。
たまにいる。やりがいを求めて、お客さんから感動を強盗しているような人。
わたしがお客さんの立場なのに、感動ややりがいを、わたしから奪っていく働く人がいる。
そういうのも、困ってしまう。
だから、わたしは働く上でそういうことは求めない。


お客さんに熱い願いなんて届かなくて良い。わたしの仕事をうまく利用して、良い学校に行って良い人生を送る手伝いをしたいと思っているし、子ども相手に仕事をして、相手が成長していく過程を見るのは限りなく幸せなことだと思っているが、これは、わたしの話。
それを望まれたらいやだ。そして、相手におしつける気もない。
自分がこう考えていますよ、っていうのは話すけれど、受け取るのは自由ですよって必ず言う。
そういう態度でいるとお客さんも、サービス外のことを望んではいけないんだな、とルールをわかってくださる。
お金で買えるものだけをわたしからとっていってほしい、わたしはお金で買えるものだけを渡す。
そういう風に働いている。
でも、ときどき、人としてフィーリングの合う人はいるので、そういうときには、人生が混じり合う感じがする。


それは、たまたまのことで、最初から望むことじゃない。

仕事を買う側も、強盗する場合がある。
サービス以外のことをね。


差別される職業というものがある。
きちんとやったら、良いとか、こういう態度だったら許されるとか、「こうだったら、その職業をやっていても許される」というの。
態度が申し訳なさそうだったら裁かないでいてやってやる、と周りが思いやすい職業がある。
そういう職業では、お金で売っているもの以外も奪われやすい。
そういう時に限って、「プロ意識があったら、そういうのもうまくかわすべきだ」とか、「プロ意識があったら、そういうのも覚悟してやっているはず」と言われたりするようだ。
でも、そういうことじゃないよね。
「自分は自分」「他人から評価されようとされまいと関係ない」「お金で売っているものだけが買える」ということがきちんとわかっている、成熟した消費者だったら、上記に上げたことを、売り手に期待しない。
売っていないものを特別に強奪したら、得した、と考える人はとても多くて、それは、サービス業で良く起きる。
コンビニで働いていると、お金で買える以外のものを要求してくる人はとても多いのね。
サービス業なら当たり前、というていで。
この職業に就いたのなら、このくらいのことは、覚悟しているのに違いないって、内心をはかられて、それを理由にサービス以外のことを要求されたりしてね。
困ってしまう。


わたしは時間を売っているのだし、相手が満足する何かを売っている。
だけど、それはわたしが決めるものであって、お客さんが決めることじゃない。
お客さんがいくら欲しくても売っていないものは買えない。



差別したい、という気持ちは、攻撃的な態度とは限らず現れる。
裁く態度という形で。
「あなたがこういう態度だったら、あなたが存在することを認めても良い」ってね。
でも、誰もそんな風に、振る舞うことなんて許されていないの。それこそ。



自分が自分であること、ただ、そのままであることを望むのはなにも崇高な願いなんかじゃない。
他人にどうこう邪魔される理由もなくてね。
他人にどうこういう権利もなくてね。
それこそ。
自分が自分でいる権利っていうのは、誰にも剥奪されないし、されてはいけない。
なのに、「剥奪しても良い」とぼんやり思っている人たちがいて、剥奪して良い場合を自分で決められていると思っているの。
相手が「素直そうじゃなくて」「プロ意識に欠けていて」「道徳心がなくて」「申し訳なさそうじゃない」とかね。
そういう理由でね、隔離するんだよ、社会から。
でも、その基準は、その人が勝手に決めたもの。勝手に決めたもので、勝手に、誰かを裁いてはいけない。
もし、それを許せば、みんなが、不幸になる。自分だって、いつ裁かれるようになるかもしれないよ。
自分だけは裁かれない、そういう弱い立場にいかない、だから考えないって人も考え直してほしい。
弱い立場にいくのは、自己責任だ、と思う人こそ、考えてほしい。
じゃあ、そんなにも強いのならば、責任はあるんじゃないかって。世界を良くするための責任が。


プロ意識に欠けていようと素直そうじゃなかろうと、仕事のクオリティが低かろうと、その人がひどい目に遭う理由にならない。
差別って、ひどい態度で現れるとは限らなくて、暴力とか、誹謗中傷とか、そういう攻撃的なことばかりじゃなくて、ただ、人をどんよりさせることも含まれる。
どんよりさせた側には悪気なんてなくて、ただ、当たり前に「こういうことはこういうもの」って思って疑っていないだけだったりする。
でもね、人は脳みそってものがあるから、「当たり前を疑う」「人に対して失礼な態度を取らないようにする」ってことができるはずなの。
だって、今の世の中には身分と言うものがないんだから、それは決まりで確かなのだから、誰かを裁いてはいけないし、売っていないものを買ってもいけない。どこにも、差別されて当たり前の人なんていない。
みんな平等に扱われることになっている。それが、現代社会だから。
売りますって、相手が言っているものだけを買える。
相手の職業に合わせて態度を変えて、相手が売っていないものまで奪って、「得した」って態度はね、泥棒だから。
それを願うのって、別に、崇高なことじゃない。
普通の願いなの。
これが、願いでなくなりますように。
願わなくても、当たり前に降ってくる優しい雨みたいなものになりますように。

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