c71の一日

生活の記録

たった一人を変えること

わたしは、女の子に、学問を身に着けて、経済力を身に着けて、一人で生きていく力を手に入れることを願って働いている。


でも、低学歴の、といういい方もよくないけど他に思いつかないからこの言葉を使うけれど、そういう人たちに何もできないことに葛藤を感じている。


わたしは、世の中の仕組みも変えられない。低学歴の女性の生きづらさも変えることができない。
何ができるか、わからない。でも、学力をつけるにはいろいろな条件があること、その条件を得られなかった人がいっぱいいることは知っている。
そういう人にも幸せになってほしい。
それが今のおとしどころ。せめてもの。

おなかがすいたら、また、後で食べればいいから、無理しておなかいっぱいになるまで、食べなくてもいいんだって気が付いた。

これも小さいことだけど。自分自身も変わっていく。


スクワットを始めてから、食べるものも変わって、コンビニで、冷凍のホウレンソウや、ブロッコリーを買って、ざくぎりのキャベツで温野菜のサラダを作ったり、卵を食べたり、豆を食べたりして、食生活も変わってきた。調理が苦手だから、簡単なものだけど、それも難しかったんだ今まで。包丁を使ったり、洗い物をしたりするのがとても苦手だったから。特にほうれん草は下ごしらえが難しかった。
でも、コンビニを使うと楽なんだと分かった。無理しなくてもいいんだってこと。でも、そもそも今までは、冷凍ものを使ったらいけないんだ、ってなぜか思っていたから、できなかった。実際には、ほうれん草も、ブロッコリーもゆでてからわざわざ冷凍する人だっているんだから、してはいけないなんてことなかったし、冷凍のものでも食べたらずっといいことだ。

それに気が付くのにずいぶん、時間がかかった。ヘルパーさんに励ましてもらえなかったら、こんなに変われなかっただろう。自分を大事にすることは、今できていることを認めて、ほめて、それでいいんだって伝えてもらうことが大事なんだ。
そして、できないことは、手伝ってもらうことも。手伝ってもらうことを思いつくことも。


こんな自分の変化でも、どうしたら、良いのか知っていたけど、それを実行に移すのだって、結構時間がかかって、心の準備が必要だった。
自分自身のことを、こんなに簡単なことを、実際にするのにも数年かかったのだ。

だから、他人を変えるのはもっとずっと大変なこと。


相手に、わたしの心が伝わったとしても、それをさらに納得することも、納得してから、実行に移すことも、遠い場所にある。



子供にも、自分自身にも「守られなくても大丈夫」ってことを伝えたい。守られなくても大丈夫になるように今は生きる力を溜めるじきなんだよと。
守られることは、支配されることとつながっているから。守るって言ってくる相手が暴力をふるうことはよくあるから。
逃げ出せるためには「守られなくても大丈夫だ」って思っていないとできないから。


暴力を振るわれたとき、「守られないと生きていけないから」と思うと、相手のことを「悪い」と認識できないから、逃げ出すという発想がそもそも持てない。


わたしは、彼女たちに「自分の力で生きていけるから守られることは必要ない」と伝えたい。
守ると言ってくる人は危険なのだ。



だから、女の子には、たとえ、性差別だらけの、低賃金の世界でも、なんとか生き抜いてほしいと願っている。


有益な人間になりたいと願って、弱い人間にその欲望をぶつけるのは、邪悪なことだ。
その人がどうしようもない事情に踏み入って、こうすればいい、ああすればいい、というのは簡単で、言うだけで、いいことをした気持ちになる。
でも、弱い人間は、その欲望のごみ箱になることで、より、エネルギーを吸い取られていく。



BLが好きで、でも、ゲイは嫌い、っていう生徒さんがいる。
その生徒さんに、折に触れて、少しずつ自分の知っていることや、気持ちを話している。
相手が間違っているんだって思わずに、わたしのメッセージとして、伝えていきたいと思っている。
その子がもし変わるとしても年単位で、わたしの手を離れてからも、その気持ちは変わらないかもしれない。
でも、わたしにできるのは、種を植えることなんだと思って、話題が出たら、伝えるようにしている。



わたしは、世界の仕組みも変えられない。理不尽も変えられない。出会った人が、生きていく力を身に着ける手伝いを、細々とやっているだけ。


でも、たった一人でも、わたしと出会って、そして、他の人とも出会って、生きていく力を身に着けて、幸せを追求することが間違っておらず、そうするために生きているんだ、ってことが伝わってくれたらこんなにうれしいことはない。
わたしと会うことを楽しみにしている子供たち。経済的に辞めざるを得なくても、会いたいと言ってくれる子供たちに、できることは何でもしたいといつも思う。


こんなに若いのに、もうストーカーや、性被害に遭っている生徒さんもいる。具合を悪くしてしまっている。
でも、それを話してくれて、わたしはうれしかった。うれしいというと語弊があるけれど、誰にも言えないよりも良いし、わたしはその支援につながるやり方を知っているから、そのことを伝えることができた。
実際には、支援につながることなく、問題は解決したからよかったのだけど、本当に子供でも、「知り合い」に目をつけられて、力をそぎ落とされる例はいっぱいある。



気を付けるべきなのは、知らない犯罪者じゃなくて、身近な、欲望を持った大人たちで、でも子どもは大人を信じているから、被害を人に言えない。子供の世界は、危険なのだ。

でも、気を付けて、自衛をして、って言葉が、何の役にも立たないことを実感している。彼女たちが被害に遭うのは「知り合いの大人」なのだ。大人は立派で、自分は未熟だと信じてるから。

だから、彼女たちは自分を悪いと思ってしまう。わたしは、それに対して、できることがあるのかどうか、いつも考える。



わたしにできるのは、目の前にいる、たった一人の子の、そのときの気分を良くするだけ。その子がしたいことを精いっぱい応援して、わたしの持っている技術、知識、心のすべてを使うことだけ。


政治を変えるとか、理不尽な世界を変えることはできない。そこで、サバイバルする方法を教えるだけ。
だから、根本には、何の問題の解決にはならないんだって、いつも痛感している。


でも、わたしと出会った子には、幸せになってほしい。

たった一人を変えることだけで、わたしは精いっぱいで、それしかできないことに葛藤を覚えるのだけれども、その子の世界が変わったら、わたしはそれだけで、十分なのだといつも言い聞かせている。



一人の子供と向き合うこと。それを地道に、必死にしていきたい。
どんな状況の人が幸せになれる世界を作れれば、一番いいのだけど、わたしは無力だから、ただ、それでも、一人の子供が変わるならば、それだけを救いに考えたい。


すべての人が幸せになれますように。

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