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c71の一日

生活の記録

お母さんは発達障害、そして女の呪いの矛盾に引き裂かれていた女

イグアナの娘 (小学館文庫)

イグアナの娘 (小学館文庫)


お母さんのことを思い出していた。


今日は、悪夢を見た。お母さんの郷里のような町で、町全体がカプセルの中に閉じ込められていて、わたしはそこで、家庭教師をしていた。
コンビニのレジ打ちを間違えたり、雨の中バイクを走らせていたりした。住んでいるのは廃小学校だった。トイレが汚くて、幽霊と同居していた。そのせいか、お母さんのことを思い出した。


お母さんは発達障害だったんじゃないか、と思うと合点がいく。


ボーリングの音が嫌いだったこと、ある特定のにおいが嫌だったこと、料理はできるけれど掃除はできなかったこと、人付き合いが苦手だったこと、畑仕事が好きだったのに、町中に嫁いできて、苦しんでいたこと。わたしが病気になるとパニックになること。


わたしが、病気になっても医者に連れて行かなかったのは、小さいころはともかく、大きくなったら、自分でいけ、というのは、単に、彼女がそれに耐えられなかったからなんじゃないかと思った。危機的状況で、それを処理する能力がなかったのだ。


わたしが成人後、いろいろな事件に遭い、援助を求めたとき、断られたのは、彼女がそれに対応する能力を持たなかったのだと思うと、合点がいく。


不安が多く、いつも節約して、お金を貯めていたのも、勉強をずっとしていたのも、本を読み続けていたのも、感覚遮断をしたかったり、不安を少しでも解消したかったりしたかったんじゃないかと。


彼女は自分の親をアルコール中毒だと認めて、自分をACだとわかっていたけれど、それ以上自分のことを分析しなかった。
わたしの祖父は、高機能自閉症の症状が出ていたのだが、それについても、彼女は気づいていた。
でも、彼女は、自分が発達障害だとか、何か困ったことがあるとか、そういう風に自分自身を分析できなかったから、わたしたちはこういう離れた関係にならざるを得なかった。母は、療育のない時代に生まれたから、苦しんでいたのじゃないだろうか。



わたしの祖母は、戦中戦後世代なので、外で働く機会が多かった。だから、わたしの母にも、働くように教えた。
女は、働かないと、一生、介護と、子育てで人生を終えることになる、と考えて子供や孫に教えたのは、祖母だ。



その一方で、祖母は、家制度から思考が自由にならないまま死んだ。といういことは、その子供である母も、家制度や、世間体の呪縛から逃れられなかったのだと思う。



専業主婦が素晴らしいこと、子供のために尽くすこと、という価値観と、学んで働くことが素晴らしいこと、という二つの価値観の中で、引き裂かれたままでいるのが、わたしの母だ。


だから、田舎の農家の出だったうちの母と、お金持ちの家で生まれた父と、価値観の相違があって、夫婦間の溝を埋められず、父が出て行った後も、専業主婦を続けたのも、そのせいだったと思う。



彼女は、結婚前にも、働くことに挫折して、祖父母の家に帰って、家業を手伝っていた。だから、働くことに対して、ブランクがさらに空いた後、働くことも怖かったんだろう。環境が変わることに対応できないのも、発達障害の特徴だ。


お母さんは、相反する価値観の中で、引き裂かれていた。矛盾があった。だから、それがそのまま、矛盾が矛盾のまま、わたしにしわ寄せがよったのだと思う。


良い妻であれ、良い母であれ、という内面化した声と、そうはできないで自己実現を求める声と常に戦っていたように思える。


わたしが子供のころは、彼女は献身的な母だった。でも、わたしが大人になるにしたがって、彼女のコントロール外で行動するようになって、彼女はおかしな言動をとるようになった。それは、わたしを大人になっても、幼子のように扱うということだ。



彼女の結婚生活が一番うまくいっていて、わたしとの関係がよかった、わたしが三歳だったころに退行したようだった。わたしを三歳児のように扱った。彼女が一番、良い妻で、良い母でいられたころに戻りたかったんだろう。



一日三十分しかテレビを見させないことも、彼女なりの合理的な理由があった。夜九時に寝かせるには、六時から三時間しかなく、その間に宿題と風呂と食事をとらせて、ぼんやるする時間も与えるには、三十分しかないから、そうしたんだろう。
その証拠に、休みの日や、夏休みには、比較的自由にテレビを見せてくれた。
バラエティが禁止だったのは、音が騒がしかったからだろう。
マンガは自由に見せてもらえたし、アニメもオッケーだった。本はほしいものは潤沢に与えてもらえていたし、教育も熱心だった。
そのおかげで、今わたしが自立できる。



だから、わたしとの相性が悪かっただけで、彼女なりの最善を尽くしていたのではないか、と最近思うようになった。
彼女自身が、彼女自身の問題に向き合う強さを持てなかったのは、時代のせいもある。


もう二世代遅く生まれていたら、療育を受けられて、もっと彼女も生きやすかっただろう。いろいろな情報にアクセスしやすかっただろうから、自分を分析する機会にも恵まれていただろう。


彼女といると、苦しくなる。それは、いろいろなことをづけづけ言われるからだ。そして、制限されたからだ。子ども扱いをいつまでもやめなかったからだ。
でも、それは、発達障害の特長にも当てはまる。そう思うと、少し楽になる。
完璧な母親ではなかったことを、憎んでいたけれど、わたしと同じ発達障害だから、できないことがたくさんあった人なんだ、女にかけられる呪いに、引き裂かれていた人生だったのだろうと思うと、少し気持ちが楽になる。



だからといって、すぐに会いたいと思うわけではないけれど。



わたしたちは、二人ともエイリアンだった。
そのことを隠したかったんだろう。


わたしたちは、イグアナで、人間になるために、苦しんでいた。
母は、イグアナの娘であるわたしが、イグアナであることを隠したかったんだろう。



自分自身からさえも。