c71の一日

生活の記録

浪費は楽しかったです

お金をたくさん使いました。

具体的には旅行に行ったり、服を買ったりしました。
楽しかったです。


自分が変わったような気がして。
置き忘れた成長過程を取り戻せた気がして。


わたしが買った服は、十代、二十代前半の人が着たら可愛いと思うようなものでした。
でも、わたしはどうしてもそれが欲しかったのです。着たかったのです。

わたしは、就職してから、十キロ太り、やせているとはとても言えないです。だけれども、華奢で女らしい、繊細な服が着たかったのでした。



おかあさんがきらいそうな服!



おかあさんが一番大事にしていたお金!


それを交換することで、わたしは何か復讐していたのかもしれないし、そうではないのかもしれないですけれど、浪費が終わって、なんだか、とてもすっきりしました。


わたしは、ふりふり、ふわふわの服を着たし買ったよ!買いました着ました。


そうしたら、関連性はわからないけれど、朝起きたり、顔を洗ったり、朝ご飯を作ったりすることが、そんなには大変じゃなくなったのでした。野菜もたくさん食べるようになったのでした。
飢えた感じがなくなったのでした。



わたしが置き去りにしてきたものは、ずっと階段の下で待っていました。すっ飛ばしてきた。わたしはそれをとりにいきました。


周りに迷惑をかけたし、その代償は、お金がない、という形で襲ってきたし、お金を管理することができない自分、恥ずかしい自分、と顔を合わせなくてはいけなかったけれど。


でも、もう躁状態のたびにちまちま浪費するよりズバっと使ってしまった方が良かったかもしれません。


旅行にも行って、日本とは違う景色を見て、ああ、わたし人生を楽しんでいる、と思いました。
クレオパトラが歩いた道を歩いて、円形劇場を登って空を見ました。ああ壮大だったと思いました。


わたしは、生きているのが楽しいと思いました。



そのあと、お金がないのは最悪でした。惨めだし不安でした。
わたしは、お金を借りられたけれど、すごく恥ずかしかったです。


それも学びました。



いい暮らしをしていると、わたしが勝手に思っている人よりも、わたしはいい暮らしをしているんだと思います。時間はたっぷりあるし、服も買って、旅行にも行っています。いい身分です。


普通の人がどれだけ幸せなんだろうと追求していったら、追い越していた感じです。自慢のつもりじゃないのですが、普通を一回やってみたくて、でも、やってみたら、普通の人はここにはいなくて、でも、わたしは幸せでした。


もう、こんな無茶はそれほどしなくても済むんじゃないかという予感がします。
階段の下に置き忘れたものをとりにいったからです。

そいつは、これからも旅行はよろしくね、でも、お金のコントロールはまじめに考えた方が良いよ、と言いやがりました。


成長段階で、お金を好きに使うことは絶対重要でした。
お金を使ってはいけないものだ、と思い込んでいたものを、使っても良い、使うと楽しいに変更できました。それから、わたしは、お金は使うと減る、だから、大事に計画的に使わないといけない、と新しく学ぶことができました。

すっきり気持ちよくお金を使う、という成長段階を経ないと、わたしは後ろめたく思いながら、本当は必要のないものをちまちま買いながら、欲を満たして、いつの間にか、お金がない、みたいな状態を繰り返していたでしょう。

でも、今回の浪費は、わたしの魂にとって必要な洋服と、必要な旅行をしたので、他人に対するやっかみや、自己卑下や、いろいろなものが浄化されたような気がします。
わたしは、これから、必要なもので我慢できるような気がします。もう、わたしは反抗のための浪費をしません。


階段の先には、お金の使い方を学ぶ、という項目が燦然と輝いています。待っててね。