c71の一日

生活の記録

誰も裁くものもない世界へ。

外資系OLのぐだぐだ 未成年のうちに毒親から生き延びる方法
これを読んで、ああ、高校生のときに知っていたらなあ、と思った。

わたしは自分が虐待されているとは知らなかった。
今でも、わからない、あれがなんだったのか。

とにかくつらくてしかたがなかった。でも、わたしがいないとおかあさんが死んでしまうと思っており、わたしは、自由になれないのだと思っていた。


でも、わたしがあれを虐待だと思ったら虐待なのだ。そして、母が、わたしにしてくれたたくさんのことがあったけれど、その合間に虐待があったのなら、逃げることは親不孝でもなんでもなく、彼女が、自分自身の幸せを自分で見つけてくれることを祈り、わたしへの執着をなくしてもらえるのが一番良いと思っている。


高校生のときに逃げる選択肢があることを知ってつらくなるわたしがいる。

わたしはなんてどんくさかったのだろう。


大学生のときにも逃げるチャンスはあった、だけど、わたしは逃げなかった。
わたしは病気になった。
病気になったわたしに、病気になるってことは家庭に問題があるのかもしれないね、と母は、人ごとのように言った。自分には責任がないのかのように。母は病気になったわたしに尽くした。やることができて幸せそうだった。わたしは体を張って不幸になった。


そんなわたしを、自分自身でどのくらい責めただろう。責める時間が無駄なのだと、入院中に教わった。
働きだしてから、忙しくてあまり考えなくなった。

だけど、こんな夜には考える。


わたしがもっと早く逃げていたら。
もっと、自分の人生が開けていたのだろうと。


わたしにアドバイスしてくれる人は、母からは慣れるようにみんな言っていたのに、わたしは母が死ぬことを恐れて、逃げられなかった。無職だったので介護要因にもなった。すべてをわたしは売り渡していた。それが正しいのだと思っていた。


取り返しがつかない若かった時代のことを思うと、わたしは涙も出ない。
空虚な人生だ。


これからどんなにわたしが幸せになるとしても、そのことは消えない。
ただ、わたしは年を取ってずいぶん忘れやすくなった。仕事も忙しい。


今日、寝てしまえば、こんな気分も消えてしまうだろう。

わたしはさみしかったあの頃のわたしを殺すのではなく、葬るのでもなくて、愛したい。
裁かずに。


そして、同じ夜に、誰にも相談できずに、自分の苦しみを封じて、殺して、気がつかないように息をひそめている誰かのことを思う、あなたが、逃げられますように。逃げたときから人生が始まりますように。


それは薔薇色でもなく、簡単な道でもなく、何度もあなたをフラッシュバックが襲うだろう、そして、教えられていなかった常識のなさや、家の秘密のとらわれて、世の中になじめ買ったりもするだろう。

だけど、あなたは生き延びる。そして、知っていく。家という見えない牢獄にいたときの苦しみよりも、毎日の生活の上の苦しみが、より、自分をえぐり、生きているという実感を与えてくれるということを。糧を得ること、家を得ること、そのために知恵を絞ること。


誰も裁くものもない世界へ。