c71の一日

生活の記録

おかあさんはわたしを殺したいほど憎んでいた

昨日のセッションでわかったことは、おかあさんはわたしを殺したいほど憎んでいた、ということです。

わたしはそれに気がついていたのに、それに気がついたら生きていけないと思い、だから、その気持ちにふたをして生きていたのでした。


わたしが、おかあさんを憎んでいたのではなくて、おかあさんが、わたしを憎んでいたということです。
わたしはおかあさんへの憎しみをなんとかしようとしていましたが、おかあさんがわたしを憎んでいたことに関しては、何もできないなあと思いました。


愛されたいのに、愛してもらえなかった、と言うことに気づくと、つらいから、おかあさんはわたしを憎んでいた、しかも、殺したいほど、という状況を把握したくなかったんだと思います。


でも、わたしは本当は深いところでそこに気がついていました。
だから、逃げ出したんだと思います。
わたしをいつまでも赤ちゃん扱いしていたことや、病院代を払ってくれなかったことや、お見舞いをしなかったこと、わたしが死にかけても放置したことなどから、本当は死んでほしいと願っていたことに、わたしは気づいていました。でも、気づいたらいけないと思っていました。
おかあさんがそんなことをするわけないから。
おかあさんは、わたしがそういう扱いを受けていると、お父さんにばれたくなかったみたいです。お父さんはわたしのことを助けようとするからです。プライドもあるだろうし、女として認められたかったからだと思います。女として、おかあさんはわたしと張り合っていました。
いくつになっても幼児用のおもちゃを買って来て、わたしを喜ばせようとして、喜ばないと不機嫌になっていました。



わたしのそのパターンは恋愛関係にも及んでいました。
わたしはわたしを愛してくれない男を選びました。
待ち合わせに五時間遅れて悪びれないような酷薄な男を、王子様のようにあがめていました。
冷たくされても、すがりついて、向こうがわたしを邪険にすればするほど、不安定になって、でもその激情こそが愛だと思って。


愛されない相手から愛を獲得できたら、おかあさんとのパターンを克服できると思っていたのでしょう。

でも、そんなことはなかったです。



わたしは、おかあさんが、わたしを憎んでいることに気づきたくなかったけれど、本当は気づいていたのでした。
だから、おかあさんを憎んでいるのはわたし、ということにして、逃げ出したのです。
それは、おかあさんを愛しているけれども、悪者にしたくなくて、でも、命は守らないといけないから逃げ出したのです。


おかあさんを愛していたのは、わたしでした。
おかあさんがわたしを愛していると思ったのは気のせいでした。
それは、つらい現実です。おかあさんが、わたしを虐待していると思ったときより、納得がいきました。
わたしを憎んでいたのはおかあさん、わたしはおかあさんを愛していました。
愛していたのに、憎まれていることを知るのはつらいことだから、わたしはその感情を抑圧していたのです。



でも、わかって良かったです。
わたしはおかあさんを愛していました。