c71の一日

生活の記録

ゆがみと消費と浄化

わたしは生きてきたなかで、「奪われた」ことがたくさんあると感じている。


おかあさんには、「子ども時代」「青春時代」を奪われたし、男の人には「性」を奪われて来たし、「自主」も幾度となく踏みにじられた。
会社のえらい人に、セクハラをされたし、事件にあって、職も失った。


おかあさんは、普通の範囲を超えて変だったし、事件にもあったし、だから、回復しないのは当たり前だと思う。
そして、普通に今働けていることが、かなりすごいと思う。
比べても仕方がないけれど、同じ目にあっても回復できる人ばかりではないと思う。
遭った目のことを考えると、このくらいのゆがみで抑えられているのは、わたしの自制心と理性のためだと思う。
だから、せめて、自分だけは評価したい。
わかってもらいにくいことだから。


わたしは、生きるために、外界をシャットアウトするために、勉強をたくさんした。
そのことが結果的に生きる武器になった。

わたしには問題行動が二つあって、「消費」「過食」してしまう。
他人への依存は、今はあまりしない。

今日、友だちとその話をしたので、そのことを書く。
わたしは、人生が奪われて来た、自分で自分の人生を生きられなかったという思いがある。
だから、時間を取り戻すように、無駄遣いをした。
消費した。


ださいと言われたり、着飾れなかったことの恨みを晴らすように、服をたくさん買って、化粧品もたくさん買った。欲しかったものを全部買った。


友だちが言うには、「埋め合わせが必要だったんじゃないか」「他の人への攻撃に向かわなかった強さがある」といってもらった。浄化された気分だった。


そう、自分では分かっていた。わたしには、ある期間、消費することが必要だった。
復讐みたいに始まったことだけれど、そのあとは、自分に楽しむことを許すために、消費した。
過食は、空虚な時間を紛らわせるためにしていたのだと思う。


そういわけで、お金がだんだんなくなった。


今は、家計簿を付けて、体重を測って、アプリに記録している。
これは、前からすると考えられなかったことだ。


何にお金をいくら使っているかなんて、怖くて把握したくなかった。
でも、とうとう、勇気が出た。
いくら使っているのか、把握できたら、分析して、対応できる。
わたしは、消費する時代から、自分をコントロールする時代に、移行した。


今困っているのは、体重と、お金のことだ。
お金は稼いでいるから、支出を抑えられれば良い。


わたしは、自尊心を回復するために消費した。誰かのことを結果的に傷つけたとしても、回復するためにわざと傷つけたりしないですんだ。

だから、これから、よくなることを信じたい。
ダイエットも軌道に乗り始めた。毎日、スクワットを100回している。
からだに気をつけて、働いて、貯金が出来るようになりたい。


わたしの怨念は、消費と過食によって、浄化しつつある。
そして、友だちにわかってもらったから、ずいぶんほっとした。
ダメージって、普通、わからないものだから。
だから、「それくらい」「誰でもそう」「過去にとらわれないで今を見ないと」「みんな何かある中で頑張ってる」と言われる。
だけど、過去があるから、元気が出ないのだ。
それぞれの助かり方がある。

わたしのダメージは、わたしにしかわからないと思っていたし、どんだけ説明しても、過去のことにとらわれるなとばかり言われて、今出来ていないことを責められていたから、不当に奪われて来たものがあると、わかってもらっただけで、何か助けられた気がした。
楽になった。
ありがとう。