c71の一日

生活の記録

わたしが子どもだった頃

わたしは醜い。
だから、生きる資格がない。
わたしは死にたい。
だけれども、死ぬ勇気がない。
わたしは、どちらつかずだから、誰か必要に思う人がいたら、それだけで生きていても良い気がする。
わたしは不安定にさまよっていた。

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かつて、子どもの頃、わたしは母のことを愛していた。


ただ、母のことを愛していた。
祭りの日に、一人でいるのはさみしいのだろうと思って、友だちも誘わず、母と出かけた。
母の愚痴を聞きながら歩いた夜道の楽しさを覚えている。


近くにいる存在を憎むほどわたしには生きる力がなかった。
誰も、彼女がしていることに名前を付けなかったから、わたしはその現象が何か知らなかった。


大人になっても、「それ」が何か知らなかった。


ただ、袋小路にいるように苦しかった。
わたしを必要だと言う人が現れたとき、わたしは何もかも差し出した。
その人がわたしに生きる資格を与えてくれるのかと錯覚したから。
わたしはその過ちをその後も何度も繰り返し、深い傷を負うことになる。


世界に受け入れられていない、ただ、生きるだけのことがとても苦しい、息を吸って吐くだけのことが、こんなにも苦しい。

ああ、時間の牢獄に閉じ込められたようだ。



わたしは子どもの頃、大量の本を読んだ。現実はシャットダウンして。
そのあと、それも許されなくなったから、わたしは病気になった。

わたしは「問題」を抱えた人になった。
いろいろな病院に行ったけれど、治らず、わたしは家に引きこもった。



二十歳になった頃、「精神科に行きたい」と言った。
「どんなことになるか、わかっているのか。自分で責任を取れるのか、勝手にしろ」と言ってもらえたので、病院に行った。



そこで、「あなたは悪くない」と言ってもらった。
そして、薬をもらった。
いつも母の自慢話をして帰った。わたしは自分の自慢が母親のことしかなかった。
母親のことを自慢していた。
わたしには何もなかったから。



主治医はわたしにできることを少しずつ見つけてくれた。
考えることや本を読むこと、勉強をすることができる。自分の世界を持っている。それを広げていってはどうか。
一人暮らしをしてはどうか。



とても考えられない。こんなにも病気が悪いのに。一人でなんか暮らしたら、おかあさんがかわいそう。
「どうしておかあさんがかわいそうなの?大人なのに。あなたの方がかわいそうでしょ?あなたは若いのに病気で、自分のことも出来ない。
若いのだから、今しか出来ないことをして、楽しまなければ。あなたは今、若いんですよ。おかあさんの代わりに生きられないんですよ。おかあさんはおかあさんの人生を自分で生きなくてはいけないのです。


おかあさんは、あなたの人生を生きているんですよ。
おかあさんは、自分の足で人生を生きなければいけない。だけど、あなたのおかあさんは僕の患者ではない。
あなたが生きられるように僕は時間を割いている。
だから、あなたに良くなってほしいのですよ。あなたに悪いところは何もないんだから」



わたしはここまではっきり言われているのに、何を言われているのか分かっていなかった。
同じことを聞くために、二週間に一度通った。
何度も死にたいと言って、電話をした。
死なないで薬を飲んでください、と言われた。


不思議なことに、先生が言った言葉をこんなにも鮮明に思い出せるのに、「先生がおかあさんの側を離れて一人暮らしをするべきだ」と言った内容は、当時のわたしには理解できないのだった。


斉藤学先生の本を読みあさって、精神医学の本も虐待の話も読んでいたのに、わたしは自分の生きづらさに名前を付けなかった。
名前を付けたら、たいへんなことが起きてしまうと、察知していたから、あらかじめ感受性をキャンセルしていた。
わたしは大人になっていたのに、子どものままで、おかあさんはわたしに幼児用のおもちゃを買い与え続けていた。
だから、わたしはおかあさんに必要とされているし、おかあさんがいなければ生きる理由もなくなってしまうし、わたしがいなければ、子どもじゃなくなってしまえば、おかあさんはひとりぼっちになって死んでしまうと思った。


おかあさんが生きる価値を持っていることを、証明しないといけなかった。
わたしが生きることは二の次。そう決まりがあって、その決まりをわたしは認識できなかった。
おかあさんが生きるためにわたしは生きている。
おかあさんが…おかあさんが…。
わたしが主治医に話すとき、いつも主語は「おかあさんが」だった。
「わたしは、って話し始めなさい」と言われても、わたしは何のことだか、わからなかった。
「おかあさんの話をしに来ているんじゃないんだから、あなたのことを話さないといけない」と言われても、わたしはなんだか、わからかった。そして、死にたかった。
だから、大人になったわたしに、赤ちゃん言葉を使い続けるおかあさんの行為を、わたしにとってどういう意味を持つのか、わたしの健康にどう影響するのか、認識したくなかった。



わたしは、死にたいと言う人を探して、その人に献身的に尽くし、その度にぼろぼろになった。
わたしは自分が生きても良いと言う許可を、死にたがっている人から与えてほしかった。
だけど、死にたがっている人は、わたしからいろいろなものを削っていた。
わたしはそのパターンを理解していたが、自分に何が起きていて、自分がどうしていつもそんな選択をしてしまうのか、わたしには分からなかった。




わたしは人を殺さなかった。
わたしは自分も殺さなかった。


わたしは大人になっても子どものままだった。
赤ちゃんのように扱われていた。知り合いの年上の人に「いくつになっても、親は子どものことを子どもだと思うのよ」と言った。
そんなに綺麗な話じゃない…と思ったのだけど、どこのうちでもそうなのだろうか、とぼんやり納得もした。



大学を出る頃おかあさんが
「頼むから、就職しないでくれ。家にいてくれ。あなたのことが心配で仕方がないのよ。せっかく良くなったのに、また働いて、悪化したら、わたしの今までの努力が水の泡になってしまう。そんなの耐えられない」と言った。
わたしは就職せず、家に戻った。


悪化した。


それでまた、主治医のもとに行った。
薬をもらって、家に閉じこもった。
わたしは今度こそ、やることがなくなって、一日中、家にいて、じっとしていた。
何もしなかった。


おかあさんと、わたしの間の緊張は高まったので、わたしはずっと赤ちゃんの振りをしていた。
おかあさんは、わたしに赤ちゃん言葉で話しかけた。



わたしにとって、病院が唯一の外の世界だった。
少しずつ本を読んでいた。
勉強をしたいと思って、もう一度大学に入った。少し体調が良くなった。


そして、今度は就職した。
就職したら、一人暮らしをまたした。おかあさんは相変わらず毎週家に帰ってこいと言ったので、わたしは律儀に帰っていった。交通費でお金がなくて、貧乏だった。友だちにも会えなかった。遊ぶ暇もなかった。遊んでいいとも知らなかったし、遊び方も知らなかった。


いろいろなことがたくさんあって、わたしはふと気がついて、おかあさんを捨てた。
二度と会わないと決めた。
基準は、おかあさんといると、わたしの具合が悪くなるから。
許しなさいと言う人もたくさんいたけれど、わたしはおかあさんの話をしなくなった。話せば、会って許して上げなさいと言われるから。



許すも何も、ないのだ。許すなんてことは出来ない。だって、わたしは自分が何をされていたのか、今でも名前を付けられないから。
名前を付けられないことに、許すという言葉はふさわしくない。


わたしはただ、身を守るために離れた。一緒にいると、体調を崩すから。約束したから。会わないと。だから、会わない。
わたしは具合が悪くなるのが嫌いだから、会わない。
わたしはかすめ取られた若い時代を取り返したいのに、取り返せない。だから、盗んだ人のことを怒っている。
わたしは違和感を押し殺して、赤ちゃんの振りをして来た。他にもいろいろなことがあった。おかあさんは、わたしの人生を盗んで、自分がわたしのように振る舞って来た。わたしは自分の人生を奪われた。しかも、それを「あなたのためを思って」と言われた。それは、嘘だった。嘘をつかれた。だから、怒っている。
怒らないと、領域のラインを保てない。強力な引力に引っ張られて、思い出してしまうから。簡単に、越えてくるから。
そんなラインがないと思っている人から身を守るためには、隠れていないといけないから。



赤ちゃん言葉を使われているわたしを、愛されていていいね、と言った人がいる。わたしは愛されていたのだろうか。
そうだとしても、そうじゃないとしても、わたしはどちらでも良い。
わたしの人生は取り返しがつかない。
わたしの若かった頃は戻らない。
苦しさは消えない。



おかあさんは、いつもわたしのことを褒めたたえた。
だから、わたしはおかあさんを良いおかあさんだと思っていた。
その一方で、わたしは「喜ぶな」と言われていた。
わたしが賞をとっても外の人に自慢するのはおかあさんだった。わたしは喜んではいけなかった。
わたしが子どもだった頃、おかあさんがしていることに「虐待」という名前を付けられなかった。
誰も、その事態に名前を付けなかったので、わたしは自分に何が起きているのか、どんなに本を読んでも分からなかった。
わたしがおかあさんから離れたとき、「自分が具合が悪いから」離れた。
虐待だから離れたわけじゃなかった。
自分のからだが教えてくれた。おかあさんはわたしに害をなす存在だと言うことを。
長い間患って、わたしは自分のからだのいうことを、ずっと理解できないで、人生をずいぶん無駄にした。
そのことはいつまでたっても悲しい。


わたしが子どもだった頃、わたしはおかあさんを愛していた。愛していたから、許すも何もなかった。
わたしは大人になったので、おかあさんと自分の間に線をひいた。