おなかがいっぱいになるころにはまずくなる
おなかがいっぱいになるころにはまずくなっている。
最初の一口はおいしいのに、あとは惰性だ。
嫌になっていてもやめられない。やめたところで後悔が残る。
だけど、貪り食いたい。
すべて自分のものにしたら安心するのに、そのころにはなくなってしまって、触れることもみることもできない。
思い出だけが残る。
思い出はいつまでもいつまでもわたしを支配する。
好きな人がいつも複数いる。
それは、自分では矛盾していなくて、時間で切り替わっていて、その人格にとっては、一人を一途に好きなんだけど、全体としてはそれぞれの好みがある感じ。どうして、好きというはじける気持ちが、一人に向くと決める人が多いのだろう。
不誠実だから?そのほうが安心するから?
独占欲は愛じゃないのに、刺激があるから。
刺激がある毒は、いつも、わたしをしびれさせて、陶酔させる。
時間に何時間も遅れられていても、待つ時間が幸せだと待つ。そして、自分を大切するために別れていても、ゾンビみたいに、「待っていたい」自分が生きている。その自分はいつも過去を見ている。いいところを見ている。待っているときのみじめさを忘れて、待つことの幸せだけを考えている。自分の時間を犠牲にした、粗末にされている怒りを忘れる。
素晴らしい人だったという残像だけが残って、いつまでも忘れられない。実際には、欠点も好ましくデコレーションされているのに、心の中で熾火のように残っている。誰も、生きている人間を、手に入れることなどできないのに、手に入れたら、その錯覚を得たら、その時間を止めたい暴力的な気持ちが、わたしを動かす。
そして、それとは別に、今好きな人もやっぱりいて、その人を待ちわびている。
交渉の結果どうなるのかわからない。好きな気持ちは交渉とは関係なく待っている。好きだという気持ちを表現するとさっぱりする。そして、苦しい。一口食べたら、まずくなっても、最後までむさぼりたい。
好きという気持ちは、炎だ。
わたしの心を焼く。相手のことを焼き殺したい。
幸せや穏やかさも求めているのに、一瞬の熱で何もかも蒸発させたい。