c71の一日

生活の記録

「普通」が人を殺す

普通という価値観に合わなければ、傷つけてもいいのだと思っている人たちが、よってたかって、人を殺す。
大勢の人たちが殺人にかかわっているけれど、直接手を下すわけではないから、気が付かない。



c71.hatenablog.com

この記事は「普通、学生は子供を生まないでしょう」という価値観によって、人を傷つける人たちについて書いた。



次のツイートは、失職女子。の本の著者がツイートしたもので、


ブログよりもメッシーの記事のほうが、クオリティが高いとか言わなくていいのに、と思った。



自分に限って、というエクスキューズをつけているけれど、「messyのほうがブログよりもクオリティが高い」という言葉は消えないし、


「ちゃんとしたブロガー」というのも、疑問符が残る。



商業とブログと、両方を比べるのはおかしいし、クオリティという言葉を使うのも、「ほかの人はちゃんとしているんだろうけれど」というのも、困る。わたしはきちんとしていないけれど、ブログを楽しんでいるし、突然、messyと比べられても困る。


失職女子を読むと、「セックスワーカーの方は、素晴らしいけれど、わたしにはできない」というエクスキューズがずっと出てくる。そして、彼女は「普通の女子が転落する」というテーマを持って書いてもいる。



しかし、普通ってなんだろうか。大和さんを含めて、普通、という言葉にとらわれて、生きにくくなっているんじゃないのだろうか。自分を普通だと思えるのはどうしてだろうか。




様々な立場や、様々な境遇の人たちは「普通」にいる。いるのにもかかわらず「わたしは普通なので違います」というのは、「普通に存在している様々な人を踏みつける」行為だ。



わたしは普通じゃないけれど「普通にブログを書いていて」そして、普通に「messyのほうがブログよりもクオリティが高い」ということを言われたくない立場なのだった。商業のサイトと、個人のブログとを比べるのはそもそもおかしなことだ。



最近始まった、cakesの連載で、ポリモアリーの生活を記したものがあるけれど、それの冒頭も「普通の社会人のイメージを持ってもらいたい」ということだった。



普通に存在しているだけじゃダメなんだろうか。それよりももっと「普通の人」であって、「普通の圧力」に準じていますよ。というポーズをとらないとだめなのだろうか。だめじゃないだろう。



わたしは「普通の人です」と言ったとたんに、踏みつける「普通に存在する様々な人」がいる。その存在に思いをはせないことは、怖い事態を招くと思う。


これは「普通の職業じゃない」このライフスタイルは「普通じゃない」につながるからだ。普通っぽくふるまっているので、一部だけ違いますけど、あとは普通です、ということで、殺しているものがあるんじゃないのか。ほかの人の立場を傷つけることがあるんじゃないのかと思う。



人は多様な面を持つから、わたしだって「普通」の人だと言えなくもない。「普通だけど自閉症スペクトラムもある」「普通だけど、DVを受けたことがある」などと。


でも、普通という言葉を使ったとたんに「普通だったら、DVになんて遭わないだろう」「逃げ出せただろう」「自閉症は普通じゃないんじゃない?」という追及が降りかかる。



「普通の学生は妊娠して卒業したいなんて言わない」
「普通のお母さんは子育てがしんどいなんて言わない」
「普通の女は難しいことや、汚い言葉を言わない」


それは、誰にとって都合のよい言葉なのか、考える必要がある。



しなやかにいては、未来を変えることができない。普通だろうが、普通でなかろうが、学生が安全に子供を生める環境をつくrべきだし、普通だろうが、普通でなかろうが、子育てがしんどい時はしんどいと言える環境が必要だ。



難しい言葉や、攻撃的な言葉、汚い言葉を使ってよいのは男だけなんて馬鹿げている。いつだって、現実を変えるのは、「声」だ。中から絞り出された、実感のこもった声の訴えが、世の中を動かしていく。



誰かを踏みつけにしなくても、自分のことを褒められたり、自分の主張を言えたりするとずっといい。



普通なんて本当はありはしないのに、自分を普通だと思う人が、寄ってたかって、目に見えない集団となって、人を攻撃するのを見てきた。それは、被差別者が声を上げることと違って、自分の安全を確保しながら、差別してもいいと判断した相手を、ひたすらいじめる行為だ。



「普通」という言葉は危険だ。「普通」の価値観は人を殺す。


京都の高校も、自分の中に蓄積された「普通」によって判断し、最も大事な、「子供の健康」「教育機会」を無視して、脅した。
これは、直接的に「普通」が人を殺そうとした例だと思う。


今、普通に縛られて苦しい思いをしていて、だからこそ、攻撃に走る人を含めて、どんな人でも、「普通」から自由になってほしい。



普通なんて、単なる共同幻想なんだから。