c71の一日

生活の記録

フェミニストには知識がいるか

フェミニストをするのには知識がいるか。ああ、いる。必要だとも。

「女性差別がある」それだけをいうために、ミソジニーの人たちに「データを見せろ」「そんな言い方ではわからない」「言い方が悪い」「筋が通ってない」「感情的だ」と言われるからだ。


根拠を求められる。
根拠がないと、ミソジニーの人たちには納得していただけない。
サービスのために、こちらは、「わかって」もらうために、労力を割いて、調べ、今までもこれからもフェミニスト同士は、お互いに知っていることを融通しながら戦うだろう。
戦うための武器として知識が必要だ。

戦わないでいても、心に火をともしているだけでもフェミニストだ。知識は武器としてあればいいけれど、日常の中で、違和感に気づいていければ、生きていける。


フェミニストに、男性はなれないか。
そんなことはない。


女性とかかわることがあって、自分のこととして受け入れることができれば、男性もフェミニストになれる。
フェミニズムは、女性だけのものじゃない。


知識がなくても心意気があれば、変わっていける。


妻や、娘、母がいたら、今の世の中が、女性を軽視していることに気づくだろう。
いろいろな問題があり、尊厳や人権を侵害されていることに気づくだろう。
そのとき、「気のせいだよ」というのか、「確かに、世の中がおかしい」と言えるかの違いが、身近な人はわかってくれていることが、お互いの心の中を温めてくれるだろう。



マジョリティ男性は、差別のことを考えなくても生きていける。
あなたは、差別していますよ、と言われたとき、「指摘されたことで傷ついた」とも言えるし、「女性差別なんて存在していない」とも言える。


そうすることで、傍らにいる、女性の人生を理解しないでいることも、できる。
理解したくないなら、理解してくださいとは言えない。


言っても、意味がない。
理解したくない人を強引に変えることはできないのだ。そして、それをしてもいけないのだ。


わたしのためじゃなく、傍らにいる女性たち、生活の中ですれ違う女性たちの人生や、生きにくさ、つらい思いを考えて、そして、自分がしてしまっていることを減らせないか、考えてほしいのだ。


何かをしてほしいなんて言わない。言えない。でも、してしまっていることをやめることはできるんじゃないか。
それさえも難しいというのなら、もう、戦うしかない。

爪を塗る

眠れない。
なんだか、不安だ。
お金の心配をしている。けど、服も買っている。


お友達が遊びに来ているので、ファッションショーをしたり、爪を塗ったりした。
久しぶりに爪を青くしたら楽しかった。
塗るのはへたくそだけど、自分は楽しい。自分が楽しいからよい。


最近はツモリチサトの古着ばかり買っている。ツモリチサトを売る人はみんな鷹揚で、状態の良いものでも「傷物」として売る。そして、物によってはとても安い。


ツモリチサトの服は痩せている人でも、太っている人でも、体をきれいに見せてくれる。
服に体を合わせようとする意図の感じる服はもう着られない。
ツモリチサトは、女受けとか、男受けとか、考えなくてもよいし、人からも、放っておかれそうな感じのロックな感じがいい。
色とりどりの、鮮やかな服を着ていると、エンパワメントされる。


モー娘。の音楽を四時間くらい聞いた。
エンパワメントする曲ばかりで、今のトップアイドルはここまで来たのかと思った。


学生気分はなの?いつ成功するの?ぐずぐずしている男の子は置いてくよ?
と言ったり、ガッツポーズや正拳突きやローキックのふりを見ていると、かっこよくて、どきどきする。
愛がもったいないから、男を振ったり、自分のために生きたり、白髪になっても仲間だぜ、と言ったり、男のことは「あんた」「おまえ」という。かっこいい。強い。


モー娘。についてはもっと調べて、曲を知って、まとまった記事を書きたいと思う。


爪を塗ったから弱くなるんじゃない。
女でいることは、社会的には弱いことだ。でも、武装することができる。

爪を塗る。
青でも黒でもワインレッドでも好きな色を塗る。

女の言葉、男の体、それぞれが殺され、殺すもの

女の言葉は不自由である。
「乱暴な言葉を使うな」「命令形を使うな」という抑圧がある。
女の体は厳しく監視され、「ふわふわ」「きれい」「つるつる」「細い」「若い」「いいにおい」であれ、という抑圧がある。
そのため、女は内向きになり、自分自身を抑え、その分メンテナンスする。
自分の体と言葉と向き合う機会がある。


その一方、男の体は、男自身で、気づかれる機会がない。
自分の体をメンテナンスすることができていない男は多い。
「男らしい」ふるまいの延長線上に、体をメンテナンスする、ということが入っていないからだ。それは、女の仕事とされる。
女とつがえない男は、自分のメンテナンスをしない。


うちにいるおっさんである六帖は「自分で必要に気がついて水を飲む」ことができない。
わたしが言わないと、水を飲むことを忘れる。
体臭を気にするような精神性があるのに、「人間は水でできている」という知識を生かせない。
知識があっても知恵がない。事柄と事柄が結びつかない。
自分をメンテナンスできない。

わたしは六帖のことをときどき「ちんちん」と呼ぶ。「ちんちん、ご飯作って」のように言う。
その一方、わたしを「まんこ」と呼ばせない。
社会に「ちんこ/まんこ」の非対称性があるためだ。
ちんこは、社会的なもの。まんこは、社会に出したらまずいもの。ちんこは欲望するもの。欲望されないもの。まんこは欲望しないもの。欲望の対象となるもの。

男が、女をまんこと呼ぶことと、女が男をちんこと呼ぶことで生まれる差異。
その差異は、個人的な間柄でも、致命的な暴力になる。


だから、わたしは、「ちんこ」と呼ぶけれど、わたしを「まんこ」と呼ぶことは差別になると思っている。
女が汚い言葉を使ってはいけないという規範があるから、「ちんこ」と相手を汚い言葉で呼ぶ。そうすることで、ようやく家の中の公平性が保てると思っている。



わたしがブログやツイッターで書く言葉を、「汚い言葉を使うからよくない」という人がいるけれど、女が強いられてきた言葉の歴史を考えるとそうは言えないだろう。
男の言葉は、社会的なもの。学問的なもの。命令する言葉であり、会社や仕事で使われるもの。
そのために、男同士の純粋性を保つ。連帯を高める。


女言葉は、「二流の国民である」ことを常に示すもの。
学問の世界で女言葉はつかえない。学問の世界のセクシャリズムに、女言葉は殺される。女言葉によって、女の言葉は殺される。


女言葉に命令形はない。女はいつも頼むもの。下から見上げる言葉。



男言葉に男の体は殺される。メンテナンスせず、男らしくない振る舞いを規制する。


男言葉を使わずに、女は語ることを許されるかどうか。大学のレポートで、論文で、女言葉で語れない。
それは、「普通の話し言葉」とされて、価値を見出されない。


書き言葉は男言葉。
女は男のふりをして、学問の世界になんとか入れてもらう。しかし、学問上で、どうしても必要な時以外では、女言葉を使って話すことを禁じられているし、女が男の言葉で語ると、ひっぱたかれる。

「女らしくない」「女として終わっている」「不幸せそう」「本当の勝ち組にはなれない」と言われる。

女の歴史は、明治期に発明された女言葉によって奪われ、殺された。
女は公の場で語ることができない。自分自身の言葉を使っては。

借り物の言葉を使って、ようやく、語ることが認められる。男たちによって。名誉男性によって。

女は女の言葉に魂を殺され、男は男の言葉に縛られ、体を維持できず死ぬ。


参考:言語イデオ ロギー としての 「女 ことば」
http://pragmatics.gr.jp/wp/wp-content/uploads/2015/12/SIP_07_Nakamura.pdf

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紹介文
加害者は、自分のことを被害者だと認識しています。
だから、加害を行えるのです。
加害者が標的を探すときには、差別構造を利用し、被害者の声を封じます。
権力差を作り出すことで、自分の中の空虚さを埋めます。
その結果、被害が生み出されます。
それについて、被害者の視点から書きました。
誰でも、被害者にも加害者にも、いつでもなる可能性があります。
自分の認識している「現実」を他人に押し付けることが加害です。
差別構造と、権力への渇望が加害のきっかけになります。
すべての人が社会に生きている以上、差別構造には取り込まれていて、無縁ではいられません。たとえ、反差別でありたいと願っていても、ある場合には、差別者としての自分を認めなくてはなりません。
加害者は、自分の正しさを疑わず、ほとんどの場合、マジョリティの価値観を内面化しています。その「正しさ」を自分に押し付けることで苦しくなり、その苦しさを他人に転嫁する過程で加害に至るのだと考えています。


カテゴリー:
伝記・自叙伝 > 女性
伝記・自叙伝 > 犯罪者、無法者

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もし、よければ、ダウンロードしていただいて、レビューを書いていただけましたら、これ以上ありがたいことはありません。


書いてから一週間校正に費やしたので、かなり読みやすくなっています。
ぜひ、読んでください。

目次



はじめに
加害者は「加害する自分」を「被害者だ」と認識している

 加害者の現実と被害者の現実は乖離しているのだ
 加害者は加害の認識を持ってほしい
加害者は、社会適応度が高い
 「狂っている」被害者と「冷静な」加害者
 被害者に説明を求めること
 被害者をさらに狙う加害者
 被害者には判断力がないとみなされる
 狂っているという言葉について

加害は差別構造を利用して行われる
人生をいかに変えられたか
 加害者が恋人になってしまう場合
 守りたいと言ってくる人

わたしに起きた加害の歴史
結論
 加害者と被害者の人権害者が語るべきだと思う理由
 加害者は、加害をする自分に困っていない
 生き延びるためにわたしがしたこと
 加害者のするべきこと
 加害者と被害者の人権

内省と加害と本当の結論
あとがき

新刊【加害する人たち】でます

おそらく、うまくいけば、今日加害する人たちがでます。


内容は【加害する人たち】が、どのように社会適合しており、差別構造を利用して、被害者を選んで搾取するのかについて書いてあります。

三万字越えています。

950円で出しますが、明日の午後五時から夜十二時まで無料キャンペーンをします。

よろしければ、ぜひダウンロードしてください。

そして、さらにできればレビューを書いていただけましたら幸いです。

目次



はじめに
加害者は「加害する自分」を「被害者だ」と認識している

 加害者の現実と被害者の現実は乖離しているのだ
 加害者は加害の認識を持ってほしい
加害者は、社会適応度が高い
 差別構造と被害者
 当事者に説明を求めること
 被害者をさらに狙う加害者
 被害者には判断力がないとみなされる
 狂っているという言葉について

加害は差別構造を利用して行われる
人生をいかに変えられたか
 加害者が恋人になってしまう場合
 守りたいと言ってくる人

わたしに起きた加害の歴史
結論
 加害者と被害者の人権害者が語るべきだと思う理由
 加害者は、加害をする自分に困っていない
 生き延びるためにわたしがしたこと
 加害者のするべきこと
 加害者と被害者の人権

内省と加害と本当の結論
あとがき

これがでたら、セクシャルマイノリティについての本がでます。【セクシャルマイノリティと差別:複数恋愛とポリアモリー】これも三万字くらいの量です。
自分がポリアモリーをしてみたことと、その失敗と、セクシャルマイノリティ、とくにアセクシャルとデミセクシャル、ノンセクシャルの家族を作りにくい理由や、ロマンティックラブイデオロギーの弊害、ロマンティックラブイデオロギーに乗れない人たちについて書いてあります。

書き終わってますが、校正中です。


そして、今書いているのは【生きるための過食】です。死にたくなったとき食べてしまう問題について書いています。