c71の一日

生活の記録

たまにはドラッグストアにいこう

京都に三週間いました。


たくさんの人にお会いできました。


美味しいものを食べたり、少し観光したり、鴨川を散歩したりしました。

友達もできました。

お豆腐と鱧とあんみつが気に入りました。


環境が違ったり、人と会う前に緊張したり、予定がある日は具合が悪くなったりするので、いろいろ工夫しました。


旅の中で助けになったものを紹介します。

普段買い物は六帖にいってもらうのですが、新製品がたくさんあって、からだの調子を整えるものもたくさんありますね。
これでからだの熱が下がりました。

せんねん灸.オフ.伊吹260点

せんねん灸.オフ.伊吹260点

これは次に買ってみたいです。

めぐりズム 蒸気の温熱シート 16枚入

めぐりズム 蒸気の温熱シート 16枚入

目から来る頭痛に効きました。眠くなるので、不眠のときにもしてみます。

めぐりズム 蒸気でホットアイマスク ラベンダーセージの香り 14枚入

めぐりズム 蒸気でホットアイマスク ラベンダーセージの香り 14枚入

これはたくさん使いました。
熱がこもって苦しいので、足だけでなく、腕にはったり、肋骨の間に貼ったりして暑さをしのぎました。

寝にくいときに最高です。

休足時間 足すっきりシート 18枚

休足時間 足すっきりシート 18枚

樹液シートは最初100円のを使ってましたが、これに変えてからむくむのとれが違いました。
気のせいかもしれないけど、からだの水っぽさや、おなかのみずてたぽたぽしているけど、皮膚の乾燥が楽になった気がします。

足リラシート よもぎ 30枚

足リラシート よもぎ 30枚

足裏すっきり 樹液爽快シート 30枚組+4枚組増量 2個セット(計68枚組)

足裏すっきり 樹液爽快シート 30枚組+4枚組増量 2個セット(計68枚組)

三皇樹液不思議シート 30枚入り

三皇樹液不思議シート 30枚入り

新刊がまた出ます

新刊がまた出ます。

仲間たちの尽力によって、新刊がまた出ます。
下読みに時間がかかります。


書くのはそうでもないのですが、誤字があったり読みにくかったりするところを直すと出発は時間がかたかるんだなと思います。

仲間には感謝です。

いつでるとはまだお約束できないのですが、近いうちに。


また無料キャンペーンを一日しようかと思います。
題名は【加害する人たち】です。

感覚過敏との付き合い向上

ミラーになっているサングラスを買った。ふちがないので、柔らかく軽い。
完全にミラーになっているから、身に着けるのは恥ずかしいかなと思っていたのだけど、普通のサングラスと違って、視界が暗くならない。
落ち着いたトーンに感じる。メガネやサングラスは、耳につく感じが不愉快でつけなかったのだけど、おとといから、サングラスをつけて外出するようになってから、ずっと続いていた、目のぐじゅぐじゅが治った。
目の周りの皮膚が溶けて、朝起きると、上のまぶたと、下のまぶたが、浸出液か、目やにか、何かわからないもので固まってしまって、なかなか開くことが難しく、手で開いていたのだ。
顔を洗うと、固まりかけた皮膚ごと流れてしまってやり直しだったのだった。
薬をつけても治らなかったのが、サングラスをつけるようになってから瞼が改善した。
そして、目が楽になった。
目がいつも痛くて、こすり続けていたのだけど、もしかしたら、紫外線のせいだったのかもしれない。
皮膚に関しては完全にそうだ。



最近は「休足時間」「樹液シート」を活用して、熱を取っている。
特に「休足時間」はシップと違って消炎剤が入っておらず、ただ、揮発して、気化熱で熱を取るだけだから、からだの負担感がなく、かぶれない。値段もシップより安い。
だから、足にもつけるけれど、腕にもつけている。腕のひじの根元から先は、肺につながっているらしく、肺がいつも苦しかったのが、少し楽になった。
樹液シートを張ると、いつもがちがちだったふくらはぎが柔らかくなり、歩けるようになった。
今日はさらにお灸をした。二日前、鍼灸師さんのところで、針とお灸をしてもらったら、ずいぶん体が楽になった。
家でもしようと思って、おなかや、かかと、足先、ふくらはぎ、おなか、胸の真ん中などにしてみたら、からだが楽になった。おなかにもした。おなかが苦しくてつらかったのが、楽になった。むくんでいる感じも減った。


たまにはドラッグストアに行って、からだによさそうなものを試してみるのもよいと思った。
物理でよくすることもバカにできない。
精神的にどうにかしようとするよりも、物理でアプローチして、刺激を減らし、体の熱を盗ったりむくみをとったりすることが、結局、自分の幸せにつながる。



音に関しては、デジタル耳栓を買ったものの、あまり使っていない。というのも、耳に刺さる異物感があって、なかなかなじめなかったからだ。でも、また挑戦はしようと思う。



昨日は清水寺と高台寺に行った。高台寺はお庭が素晴らしく、ねねさまの趣味のよさに感動した。とにかく、どんなに適当にカメラを構えても、写真が決まるのだ。素晴らしいお庭だった。


極楽浄土の絵と地獄の絵を見比べた。やる気の違いを感じた。地獄に対して、やる気がある。極楽は適当だ。素晴らしいところのイメージってつきにくいもんな。


シーツを毎日洗ってもらっている。さらさらで、安眠できる。ありがたい。
わたしは、六帖のケアをできた。助け合っているのはいいことだ。
六帖は自分の病気をかんじることがまだできないから、わたしが観察して、具合が悪そうだったら、ケアをするのが今はいいと思う。何年かかければ、六帖自身が、自分の不調に気付けるようになるかなと思う。


からだの感覚を遮断しないと、生きてくれない人が多い。
それは、一時的には有効だけど、長い目で見ると難しいことになる。
病気を表現できることや、病気や不調を感じることは大事なのだ。そうじゃないと、ケアができない。
こまめに、具合が悪ければ、こまめに、治療できる。それが大事だ。


六帖は自分の体調の言語化が苦手だから、わたしは観察して、彼を助けたい。


新しい仕事を始めるにあたって、仕事をしながら学ぶことがたくさんある。
療養が終われば、本格稼働をする。
六帖だけに働かせてはいられない。
わたしもプログラマーだから、ちゃんとできる。できることはたくさんあるし、何に需要があるかもわかる。
務めることはできないからあきらめたけれど、働くことはあきらめない。

あえて怪しい人になる

www.vesii.jp
ベシー占いもそうなんだけど、あえて、わかりやすい「怪しさ」にしている。
「カウンセリング」ってついているけどね。
カウンセラーって別に資格いらないで名乗れるので、カルトになりやすい。
「病気が治る」「障害が治る」っていって集客している人もいる。
でも、怪しくすることで、そういう商売じゃない、ってことを明らかにしているつもり。
怪しいと思えばみんな用心する。
用心したうえで仕事を依頼してもらえればいいと思ってる。

わたし自身怪しい人間だから、というのも、いろいろなことを明らかにして書いているけど、それだけで信頼してもらうのは怖い。

怪しいことを書いて、そのうえで、この人は悪い人ではないかもしれないと思ってもらえるのがちょうどいい。

正しそうなことを言って、人に口当たりの良いことを言って、集客して、「こうしないと不幸になりますよ」というのはカルトで脅しで恐ろしい。
わたしはそういうことに加担したくない。
だから、怪しいんですよ、とあらかじめ明示しておいている。


それで、仕事が来るんだったら、怪しくてもいいし、めちゃくちゃでもいいし、でも仕事頼みたい、って人となら話が早くて便利だと思う。


きちんとしていると、困る場合もあるよねって話でした。

文章を書きたい

文章を書きたい欲が高まったから書く。
炎上ばかりしているけれど、実のところ炎上は嫌いだ。
たくさん文章を書きたい。自分の思っていることや感じていることを書きたい。
どうして書きたいのかは知らない。でも、書くことは楽しい。
自分の中にもぐって、何かを取って戻って、それを他の人にも使える道具になるように、普遍性をもって、文章に書き表すのは厳しい作業だけれど、どうも、それが楽しいらしい。
つらいこと、楽しいことが表裏一体だ。


小説をいろいろな人に読んでもらえてよかった。
ブログだと、長かったり、重かったり、小説はあまり好まれない。
でも、電子書籍だと、重くて長い文章も、小説も読んでもらえることが分かった。
それは収穫だ。

つまらないと言ってくれる人もいたので、励みになった。
つまらないという人まで届いて、読んでくれたということだからだ。
否定的な感想も、わたしはうれしい。うちわ受けを脱した証拠だからだ。


これからどんどん、わたしの世界が広がると良い。
わたしの文章が、広い世界に旅に出てくれると嬉しい。
つまらないと言ってもらいたい。面白いと言ってもらえたらもっと嬉しい。
役に立てるならうれしい。役立たなくてもうれしい。


今までも今も、役に立たなければ生きてはいけないのだと思っていた。
でも、それは間違っている。
わたしは役に立たない人だろうがそうでなかろうが、生きていてほしい。
その気持ちを自分に対しても適用したい。
役に立つために生まれたわけじゃない。
生まれてしまって、生きてしまっているから、生きている。
わたしにできることは、自分の人生をより良いものにする努力だけだ。


わたしは文章を書くことが好きみたいだ。
苦しいのに、つらいのに、でも、書きたい。
書いて、書いて、書き続けられたら良い。

女性差別と中傷

菅野氏にインタビューしてからというもの、ツイッターで中傷されるようになった。
驚くべきことに、中傷をしたり詮索をしたりするのは、すべて男性だ。


女性がものをいうこと、検証をすることに対して、それだと信ぴょう性に欠けると思っているのか、そうだとしたら、これは女性差別だ。


女性がものをいうこと、ゴヒエツコ氏という、「性被害者」から加害を受けたことを訴えるにあたって、心無い中傷を受けてきた。
加害とは関係のない、わたしの属性である双極性障害や、自閉症のことも揶揄された。
自閉症や、双極性障害があるから手加減していたという意味のことまで言われた。

これは、わかりやすい障害者差別である。
障害者がなにかすると、その訴えに信ぴょう性がないと、勝手に決めつけること。
わたしは、取材を行い、「菅野氏は加害をしていない」という結論にたどり着いた。
わたしの取材の筋道からは、そのことは、飛躍していない。
けれど、菅野氏に電話したことをもって、「丸め込まれた」という人が数多くいる。すべてが男性だ。
女性だから、男性に丸め込まれるのだと考えたとしたら、女性差別だ。
どうして、わたしが菅野氏に丸め込まれないといけないのだろう。
その根拠は提示されていない。そればかりか、わたしが「菅野氏に丸め込まれていないという証拠を出せ」とまで言われた。
疑っているのは、そちら側なのに。そちらが、疑うに足る証拠を出すべきなのに。
確かに、菅野氏は、事実を認めると言っている。
けれどわたしは、その事実を認めるということを聞いたうえで、ゴヒエツコ氏の被害がなかったと結論付けた。それは、わたしの自由である。


自由に考えてよいですよ、と差別者は言う。
しかし、わたしの自由に許可はいらない。
わたしは生きていて、生まれながらに、自由を持っている。
わたしの自由が制限されている時代があったけれど、それは間違っていた。
だから、私は生きるために全力で「許可」された自由に抗う。
差別者は、自分が、他人の自由に口を出せると思っている。
わたしを中傷してきた人のすべてが男性なのは偶然だとは思えない。
わたしがミサンドリーだから、そう思えるのかと思ってきたけれど、現実問題、わたしを「簡単に言いくるめられる存在」だと考えているのは、全員男性なのだ。

わたしの属性の一つは女性だ。
女性だから、調べて考えたことを否定されるのだとしたら、これは女性差別だ。
同じように調べている人が何人かいるけれど、その人たちはどうなんだろう?このような男性のみからの中傷を受けているんだろうか?聞くすべはないが。


わたしは電話取材だけでなく、関係者にも直接会った。ゴヒエツコ氏に、勝手に「関係者」にされてしまった人たちだ。


週刊金曜日は、中島氏の関与がどれくらいだったのか、調べさえすればいいだけなのに、それもしない。
メディアは公権力と同じだけの権力を持つのに、わたしの私信を公表した。
そして、自分に都合の悪いことには言及しなかった。
だから、困っている。


女性差別を感じない、という人もたくさんいる。
でも、それは言語化しにくい形で差別されているからだったり、現実に適応するために感じないようにすることが生きるすべだったりするんじゃないかと思う。


中傷してくる人がすべて男性だから、女性差別とは限らないという思いもあった。
でも、やはり、これは女性差別なんだと思う。


女性がものをいうことに信ぴょう性を欠く、障害者だから信ぴょう性を欠く、というのなら、すべてそれは、差別だ。


敵を作るのが好きなのかと言われたが、別に好きじゃない。
ただ、差別者に味方面される筋合いがないだけだ。

菅野完氏にインタビューした後の中傷

わたしは、菅野氏に丸め込まれたわけじゃない。
取材をして、いろいろ考えて、結論に至った。
誰かに操作されるのはまっぴらなのに、外野は、いろいろなことを言う。



わたしをなんだと思っているんだろう。

わたしは今までも自由にやってきたし、これからも自由にやっていきたい。
誰にも許可を出されるいわれはない。
許可のもとで、自由にふるまうなんて、そんなのは自由じゃないから。


なんて、偉そうな人がいるんだろう。その自覚もなく。


人から答えてもらうことが当たり前だと思っている人がいるが、それは当たり前じゃない。
質問をしたら、答えが返ってくるとは限らない。
そんなこともわからない人がいる。

最初にこのリプライが送られてきた。私の言っていることが飛躍だと考えるのはいいにしても、相手がプロの物書きだから、いい人を演じたのではないかとか、わたしに対して失礼だ。意味が分からない。


これなど、完全に失礼な話で、わたしがゴヒエツコ氏にされた加害を無視している。黒川氏はgoyou氏に何度もリプライを送っているから、その文脈でわたしにリプライをしたのだろう。
加害者であるのはゴヒエツコ氏で、菅野氏は、わたしにとって、加害者ではない。
そして、モラハラじゃなくてセクハラだ。
わたしはゴヒエツコ氏に嘘をつかれたので、その嘘を検証した。


指摘ってなんなの。揶揄されたと後から言い訳しているけれど、最初のリプライではそういう書き方じゃなかったじゃないですか。
そして、「丸め込まれた」という文脈に乗って「そう取られても仕方がない」というのは、「丸め込まれた」説を肯定しているわけで、やっぱり失礼です。リプライを待っていただけではなく、わたしから「メッセージと受け取ってもいいんでしょうか」と書いてきたから、そこも矛盾しています。

いい人を演じたからと言ってなんなんだ?わたしがそれに騙されたという根拠をそれこそ示してほしい。
わたしが丸め込まれた根拠もない。
どうして、疑っている相手がそれを検証するのではなく、被害者であるわたしが検証しなくてはならないのか。
これは、被害者いじめだ。



しかし、こんなに失礼なことを言われたが、わたしはちゃんとリプライした。

抗弁するなにも、人を丸め込まれたということ自体が失礼なので、失礼な人になにかいうか地を見いだせませんでした。
丸め込まれたわけではないことに、わたしの意思以外の根拠が必要でしょうか。
わたしは取材して、調べました。あなたに取材の内容をすべて列挙しておつたえする筋合いが全くありません。
あなたがしていることは、失礼です。勝手に何を受け取ろうと勝手ですけど、失礼な人は相手にされないのが一般的で、別にあなたの詮索が裏付けられたわけではありません。

あと、わたしにはたくさん、通知が来ているので流れていましたし、はじめて話しかけるにしては失礼すぎます、どうしてリプライが返ってくるとおもったんですか?
人には人の都合があることもわかりませんか?
そういう読解力のない人の相手をするのが無意味だと思いました。
だから、それをもって、あなたの勝手な思い込みをわたしが肯定したかのように受け取られるのは迷惑です。

わたしがいつ無礼をしたのですか?
リプライを返さないことは無礼なのでしょうか
あなたに、許可をもらうまでもなく、わたしは常に自由です。

自由におやりください、ってなんなんですか?
それに、あなたは最初から好きに詮索してきましたよね。
自分がしてることを理解もできないのですか?
それに対話を要求されたので相手をしてるのですが、それも理解できませんか。

はなしをするきがないとわかったといってますが、今現在話をしている人にいう台詞ではありませんよね

わたしはもともと、自由にしています。ご自由にと、こんな言い方をされるいわれはない。
わたしは一切無礼なことをしていない。そもそも、やりとりをしていなかったのだから。
話しかけてきたほうの無礼さを問題視するのは当たり前だろう。
今後は僕も自由に詮索させてもらうことにします、とかいてあるが、もともと自由に、詮索してきたのはそちらだし、プライドがあれば、今後も詮索しないだろう。
プライドがない人だなと思っていたらブロックされた。
対話を求めてきたのは黒川氏なのに。

その後、ブロックした後に書いてあること。




誤解してねえよ。名前見ればわかるし、どれだけ人を馬鹿にしているんだ。


こういう感じで、日々、わたしはわけのわからない人に絡まれて具合を悪くしています。


追記
@iwao96 氏はブロックした後、ブロックを解除して、わざわざ、こういうメンションを送ってきた。


話をしたかったのはあなたでしょう?
自分がしていることも、理解できないなら、何もしないほうがいいですよ、と助言したい気持ちです。

すげえ差別発言された!

女性差別もありそう。
わたしが男だったら絡まなそう。
障害者差別といろいろだな。