現代文の偏差値を20上げたいなら、最強の問題集がある
旺文社の現代文です。
これを、一から順番にやっていくだけです。
解答がとても詳しい。
どう勉強をしていけばいいのか、どういう気持ちで向き合えばいいのか、どういう風に解答すればいいのか、迷った時にはこうしたらいいと全部書いてあります。これがあれば、正直、塾いりません。
大切なのは、一つずつやっていくことです。簡単なところからやっていくことで、勉強に対する構えやハードルを下げるのです。

大学入試 全レベル問題集 現代文 ?私大上位レベル (大学入試全レベ)
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- 発売日: 2015/07/06
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大学入試 全レベル問題集 現代文 ?センター試験レベル (大学入試全レベ)
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大学入試 全レベル問題集 現代文 5私大最難関レベル (大学入試全レベ)
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大学入試 全レベル問題集 現代文 ?私大標準レベル (大学入試全レベ)
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大学入試 全レベル問題集 現代文 ?基礎レベル (大学入試全レベ)
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入試直前なら古典が上がる
入試直前に点数を上げられるのは古典があります。
暗記科目が苦手で、私立も考えている高校生だったら、絶対にある国語に力を注ぐのもありです。
理系でも文系でも国語はあるからです。傾斜配点の対象になって、得点が下がる場合もありますが。
古典は、どうやって勉強するかというと、音読です。
リズムで、どこからどこまでがひと単語か把握します。
それができないから、品詞分解ができないのです。
そして、平均点くらいの生徒さんができていないのは、助動詞の表の暗記です。このところで、挫折して、わからなくなって、古文は難しい、漢文は無理、となっている生徒さんがいます。
出題のところだけでいいので、調べながら、解きます。そうすることで、表の見方がわかります。
そのうえで、何に接続するのか、何形に接続するのか、分岐をかけながら、形から文法を攻略します。
時間がなければ文法はそれほど配点が高くないので、意味だけを把握します。
敬語の中でも尊敬語、謙譲語があるものは、貴族が出てくる文学。
漢文的な堅いリズムがあるものは、軍記物。
歌が出てくるものは、歌物語。
あはれ、おかしがある場合は、日記文学。随筆。
そういう風に分けていくと、時代も特定できます。
言葉遣いで、どの内容なのか、どの時代なのかを判断するのです。
そうすることで、誰が登場して、何をしているのかが、把握できます。
一番聞かれて配点が高いのは、訳と内容理解、誰が何をしているのか主語を聞かれる問題ですから、たまふ、侍れ、などが出てきたら、貴族文学だから男と女、天皇などの高貴な人が出ると判断しておくと、だいたいの場面の見当が付きます。だいたい、女性が出仕しているとき、別れ、男女の関係などです。
そんな風に勉強をしていくと、得点が上がります。
苦手なら音読です。
勉強なんて、大したことないと思うかもしれない。
だけど、人生を豊かにします。
旅行に行くだけでも、目的がなくても、昔読んだ古文にゆかりの地だと思うのも楽しいことです。つらいときに古文の内容を思い出して、千年前の人に共感することも救いになります。
それに、大学で、出会った人はなんだかんだいって、一生の宝です。
大学生は子どもですから、子どものころに出会った人が、育って、働いて、悩みを共有して、そして、ときどきは、仕事を支えあったり、人脈を共有したりするのは、かえがたいことです。
やる気のある人がたくさんいる大学に行くこと、やる気のある人と出会うこと、頭の良い人とはどういうことかを知ること、自分以上に力のある人に出会って打ちのめされることが、本当に貴重な経験です。
大学なんて遊ぶところかもしれないのですが、勉強で遊ぶこともできます。
ぜひ、勉強をして、その楽しさを感じてほしいです。
自分の言語化できなかった気持ちを、言語化することや、他の文化、他人の気持ちや視点を学ぶ場所です。
自分の気持ちを、表現することで、自分の輪郭をはっきりさせることができます。
自分の大きさがどれくらいかわかっていたら、ぶつかることも少なくなり、ぶつかったときに対処することができるようになります。
相手の輪郭を尊重すること、自分のことを大切にすることは同じことなのです。
学ぶことは自分の大きさを知ること
大学で学んだことは、他人のことです。
自分のことしか目に入っていなかったけれど、過去の人たち、未来の人たちに対して深く学びました。
どんなことで人は困ってきて、今も困っているのか、問題は、ある程度普遍化できて、それを助けたいと願っている人たちが大勢いるのだと知って、心強くなり、そして、歯がゆくもなりました。なかなか、すぐには変わらないのです。
勉強をすると自分の輪郭がわかります。自分の気持ちを表現できるようになったとき、そのことを発するか発さないかは別にして、自分で把握できるのです。そうすると、ぶつからないように生きることができるし、ぶつかったときに、交渉できるようになります。
誰かが一方的に悪いのか、と、引っ込んだり、逆に責めたりするのではなく、どうやったら生きていけるか考えられるようになります。
古典を読んで、昔の人の気持ちに触れることも、刑法を読んで、犯罪について考えることも、民法を読んで、その素晴らしさと、明治民法の理不尽さに震えることもいいですし、比較文化論を読んで、多文化の幅を知ることもよいでしょう。
批評を読んで、自分にはなかった視点を取り入れることも、世界の広さ、深さを知ることも面白いです。
世界が広いと言っても、具体的にどのように広いのか知らなければ、それは、単なる「広い」という言葉です。どのように広いのか、知って、その恐ろしさ、蓄積に触れることで、自分の小ささを知って、少なからず安心もしました。
わたしだけが世界を変えなくていいんだと思ったり、自分だけが苦しんでいるわけじゃないと知ったり、その逆に、自分が苦しんでいることには正当性があると知ったり。解決方法を探すこともできます。
文字が読めるだけじゃなく、文脈を追う、関連文献を追う、体系的に勉強することを一回すれば、独学が可能になります。独学とは非効率なものです。何が基本文献かわからないからです。しかし、基本から体系的に学ぶ経験をしたら、他分野でも、対応可能になるのが、勉強のすばらしさです。
自分が小さいことを知ること、打ちのめされること、でもそれが最初からの現実であることを知るのは、ショックでもあり、変えがたい経験でもあります。
新鮮な気持ちで、もう一回世界を見直して、生まれ変わる体験です。
ぜひ、いつも勉強してほしいと思います。
立った一冊の本、たった一章の文章、たった一つの数式から、広がる宇宙があります。
たくさんの宇宙があって、わたしたちはそれを選べる事、選ばなくてもいいこと、ただ平凡な人間として生きていくことが素晴らしいと思います。
わたしはこれから、人を観察していきたいと思います。そうして、人のことを学びたいのです。
学び方にはいろいろな方法があって、どんな方法でも学べます。わたしは、生まれてきたからにはたくさんの扉の一つ一つを開けていきたいと思います。その先の景色を見たいからです。見て、どうするのか、なんて知らないけれど、その時に感じる風は、きっとわたしを生かすからです。
他の人が人生を積み重ねていた時に親と戦ってた
親に洗脳されて生きていた時、自分を殺されていたので苦しかった。
家族にいじめられるのって、本当につらい事だった。
友達と話して、泣いてしまった。
だらだらと。
親の言うことを聞いている間も、それから逃げるのも、すごく大変だった。その間に他の人が積み重ねてきた幸せみたいなものを、全然獲得してない、と思って焦った。
でも、そういう経験値を積み重ねることと、幸せを積み重ねることと、同じだって言われたから安心した。
マイナスをゼロにしただけ、って泣きじゃくっていたけれど。
親はわたしを生かしてくれたけどわけのわからないいじめ方をして、何度も死ぬかと思ったし死んでもいいと思ったけど死ななくてよかった。
わたし、大事な友達がいるから、死のうとは思わない。
生きていること自体で誰かの役に立っているとは思えない、まだ。
だけど、役に立たないけど生きていて、いいかなと思う。
喜ばれることもあるし喜ばれなくてもいい。
わたしは生きているの楽しい瞬間がたまにある。
わたし、幸せだし案外明るい
友達と話していて昨日から号泣している。
泣いているときそばにいてくれる友達っていいな。
わたしは自分の気持ちをわかっている。
だから、泣いたり笑ったりする。無理もしない。しているときあるけどわかっていてする。
だから、結構幸せだと思う。
ダークサイドに落ちることもできたけど、落ちないでなんとかやってきた。過程では人を恨んだ。親を怨むより人を恨むほうが楽だから。
いつも他人と比べていた。世の中より親を怨むほうが難しい。
親を正確に恨むまで、離れるまでたくさんの時間がかかって、楽しかったはずの時間を犠牲にして、それは無駄だと思った。
最初から幸せな人なんていないというけれどそれでもうらやましかった。いる気がして。
でも、今は仕事にもついて、ある程度認められていて、しかも楽しくて上司はいい人だし、仕事がいいだけでも、幸せだ。他のことが何であっても。
打ち明け話をして、聞いてくれる友達がいて、本当に、恵まれていると思った。
他のことが何もなくても、財産だと思う。
仕事と友達が恵まれていて、あと何を望めばいいんだろう。
そうだね、趣味があればいいかな。
趣味を身に着けるのは十年かかるそうだ。
それくらいかけて、楽しみを見つけられたらいいな。
差別が可視化されるところ
セックスワーカーは悪、セックスワーカーがいるせいで、女性を差別してもいいんだと思う男性が増えるから、セックスワーカーにはいなくなってほしいという意見を読んで悲しくなった。セックスワーカーが差別の加害者とまで言う人もいた。それは違う。
差別があるから、セックスワーカーが差別されるのだし、それを使って、女性をより軽んじる輩がいたとしても、その輩が悪いですよね。
仕事を変えればいいじゃないか、という人も、間違っている。仕事、そんなに簡単に変えられないですよね。
人には事情がある。どんな事情でも、口を出すべきじゃない。だって、セックスワークって、人をだましたり傷つけたりする仕事じゃないから、わたしは反社会的な仕事だと思わないんですよね。
それに、実際に「いる」んですよね。いる人間を否定することは誰もしたらいけない。差別をする人を批判するのはいい。でも、差別されている人を一緒に「存在することが悪」と言ったら、いじめでしょう?あんたがいるから、差別が存在するんだ、あんたがいなければ差別がなくなるんだって。見えなくなるだけじゃん。差別されるあなたが悪いと地続きでしょ。
椎名さんのブログ、このエントリは、客商売の最前線の知見としても読めてとても面白いです。
イソジンのことについてももちろんだけど、たとえば、
店を通じてわたしのサービスを買う。ということは、わたしが所属する店のルールに乗っかる、ということだと思うんですよ。
最初のお約束を守ってね、乱暴しないでね、お金や物を盗まないでね、清潔にしてね、写真撮らないでね、痛いと言ったら止めてね、私生活を邪魔しないでね。
ぜんぶぜんぶ本当は当たり前のことです。
このへんは客商売をしているととてもよくわかる。
最初のルールを守らない客は何かあとで大きいことをするものだ。
図々しさって強いですよね。心の耳を力一杯塞いで気を強く持たないと、屈してしまいそうになる。どうかこれを読んでいる人が、図々しさや傲慢や無邪気や勢いや狡猾さや大人の幼さに、できる限り傷つけられませんように。
これは、わたしの気持ちの柔らかいところをいやした。そうなんだよね、図々しいって強いんだよね。
そして、セックスワーカーをなくせ、という人は、たとえば、わたしにとって、椎名さんの暮らしが成り立たなくなることを望む人がいるということになって、そうすると、わたしはもうこの文章に出会えないとも思うんです。
同じ人間だと思っていたら、そんなこといえないでしょう?
仕事を辞めろってことだけじゃない、セックスワークの存在が悪だって言われたら、セックスワークと、その人の人格が一緒みたいな話になる。
それって、人間扱いしていない。
セックスワークはセックスワーカーの暮らしを支えていたり、人生の一部だったり、経験だったりするだろうけれど、セックスワーカーだって、家族がいたり、子どもがいたり、一人だったり、生活をしていて、お金を使ったり、食べたり、飲んだりしていることを忘れてはいけない。
わたしが、100パーセント、塾講師じゃないのと同じことだ。
塾講師であることはわたしにとって大事だけど、それだけじゃないことと同じように。
塾講師は非正規雇用だから、人によっては差別する。
それで、わたしは殺されないけど嫌な気持ちになる。
でも、セックスワークの現場ではそれが「善い」事みたいに、行われる。
ひどい。
差別をなくすのが大事であって、誰かの生存を脅かすことをしてもいいわけじゃない。
働いている人がいて、その人が生きていて、わたしはその文章を読める。読むためには、彼女が生きていないといけなくて、彼女は生きるために、セックスワークを選んだ。*1
そして、セックスワークをしている中での知見を分けてくれる。
わたしが塾や、コンビニの話を差しさわりのない範囲で書くように。
それと同じことだ。
セックスワークについて考える時、当事者を置き去りにしてはいけない。
おっぱい募金を禁止する署名も、わたしはつらかった。
セックスワーカーの自己決定権の話にしたことも、労働環境の話にしたことも。
わたしも間違っていた。
当事者じゃないから、セックスワーカーの気持ちはわからない。
だから、わたしはおっぱい募金を、基本的に自分の気持ちが嫌だからって書いた。
でも、セックスワーカーを置き去りにして、セックスワーカーのために禁止しようっていうのは、おかしかった。
セックスワークの現場は差別が可視化されるところだ。
それを見たとき、わたしたちは、そのまなざしで、自分が、差別する立場なのか、差別していることを自覚するのか、選択を迫られる。
わたしは、セックスワーカーの前ではマジョリティとして、存在する。圧倒的に強く、裁くことも、黙殺することもできる。
言葉一つで殺すことができる。
わたしは殺したくない。
学ばないといけないと思う。
差別が可視化されるところだからと言って、その消滅を願ったら、元も子もない。差別に加担する最大の行為になる。
差別が可視化されるところをなくしたら、見なくて済むかもしれないが、それは単なる弱さで怠惰で、攻撃だ。
人を殺すことだ。
心を殺すことだ。
誰かの暮らし、誰かの選択、誰かの思い、喜びも悲しみも、そのほか何であれ、尊重されるべきだ。
そのことは、理解とは関係がなく、ただ、ただ、されるべきなのだ。
セックスワークが嫌いな人だろうと、軽蔑する人だろうと、利用者だろうと、当事者だろうと。
誰も、誰かの暮らしや選択や事情や好みを、喜びを、悲しみを、怒りや経験や知見を、お金の発生の仕方を、殺してはいけない。
それは職業選択権だから。それだけで十分で、それを忘れてはいけない。
追記
ただ、わたしはセックスワークが本業でこのお金で親を養ってもいるけれど、「生きていくためにセックスワークを選んだ」のだから「差別すべきではない」となることは必ずしも頷けない、必ずしも嬉しいことではない。セックスワークで生計を立てている人だけをセックスワーカーと呼ぶ、とは思わない。
— 椎名こゆり (@koyulic7) 2015, 12月 21
生き延びるためにそれを選んだのだから差別してはならない、とよく言われるけれど、生活が立ちゆかなくなる人以外なら職を奪ってもいいということにはならない。生計を立てているか否かで分けようとすれば結局「遊ぶ金欲しさに」みたいな昔からある言葉と隣り合わせになってしまう。
— 椎名こゆり (@koyulic7) 2015, 12月 21
本業を持ち生活にかかるお金はそこで賄えていて、だけどあとほんのX万円あれば、という「事情」で月に1、2日だけ店に来る人だっているだろう。必要な「事情」が発生した都度不定期に現れる人もいるだろう。「生きるためにやむなく」という言葉が守らないセックスワーカーも差別されてはならないよ。
— 椎名こゆり (@koyulic7) 2015, 12月 21
とのことでした。
考えが足りなくてごめんなさい……。
それと、理由がなく、つまり、誇りを持っていようと持っていなかろうと、パートタイムだろうと、フルタイムであろうと、いかなる形態、いかなる立場の人も差別されてはならないです。
そういう風に次は書きます。
*1:そうじゃない人も差別されたらダメです