c71の一日

生活の記録

良い教え方

勉強を教えるときは、はきはきしゃべりません。
のんびりしゃべります。
あまりしゃべりません。
ぼーっとしているようにします。
あまり、必死なところを見せたくないと思っています。

わたしは勉強ができます。だから、教えることができるのですが、それと直接はつながっていないと思うので、工夫していることを書きたいと思います。
勉強ができると言っても、一個一個つまずきながら勉強したので、生徒の気持ち、惨めで悲しい気持ちや焦りや集中できなさがわかります。

わたしは人間の方が苦手だったのですが、比較の問題だと思います。
勉強は人を傷つけないので良いと思っています。


ぼそぼそ小声で教えて、あまりしゃべらないです。
生徒が盛り上がっていたら、盛り上がって話しますが、雑談です。
あとは、事実を探して褒めます。以前に比べてできるようになったことを褒めます。
部分だけでもできたら褒めます。


なぜそうするのかというと、生徒は勉強が怖いからです。
そして、テキパキ教えられたところで、頭の中には何も残りません。

テキパキした人は良くしゃべります。
生徒は、質問ができません。
なぜなら、しゃべっている人は、聞く暇がないからです。

わからない人は、どこがわからないかもわからないので、のんびり、ゆっくり時間を取る必要があります。すべてが曖昧模糊としているからです。
だから、それに時間をたっぷり取らなくてはいけません。

わからないから来ているのであって、わかっていたら来ていません。
一度教える側がぺらぺらしゃべったくらいで、理解できるなら塾になど来ないのです。

だから、わたしは小声でぼそぼそちょっとだけしゃべります。

今日、生徒さんに教え方がうまいと褒められました。
それに、一回授業を受けてくれた生徒さんが、回数を増やしてくれました。そういうのは認められたような気がして嬉しいです。


わからないことを、なんでわからないのとか、おかしいとか言っても、その人はわかるようになりません。
怒ってもそうならないです。
なんでなんでと責めてもならないです。


だいたい、テキパキした人はなんでと言ってから、いろんなことを持ち出してきます。あれもわからないしこれもわからないし、これもこうだから、と。
生徒はものすごく混乱します。ひとつ目のことを考えているうちに二つ目が来るからです。そうすると、物事が右から左に流れます。
生徒さんは最初の質問の「なんでわからないんだろう?」を一生懸命考えてフリーズしています。
それなのに、その質問の答えを待つ人は少ないです。そういう風にされると誰でも傷つきます。

だから、わたしはなんでとかは聞かないし、どうしてできないかも聞かないです。
できないものはできないのです。
そして、できないことをバカにしません。
わたしはたまたま勉強ができるけれど、他のことは全然できないからです。


教えてもらうときには褒めて、良いところを探してもらった方が嬉しいです。
そうすると萎縮しないで済むからです。
萎縮するとできることもできなくなるし、理解も遅くなります。

合理的に考えて、優しく教えるというと語弊がありますが、ぼそぼそと覇気のない感じで教えた方が、わかりやすいと言ってもらえるような気がします。
でも、これは、親じゃなくて他人だからできると思っています。

お金をもらっているから、忍耐力を持って穏やかにできるのです。
こうした教え方は頭を使うので、ものすごく体力を使います。
一言で、理解できるように疑問点の答えをまとめることもそうだし、相手の気配で困っているところを見抜くこともそうです。
生徒は先生は怒らないよね、と何度も確認します。
傷つかないようにここができないね、とは言わないよね、と言います。
だから、わたしは要望に応えます。


もちろん、元気がないという理由で外されることもありますが、相性は誰にでもあるなあと思います。


勉強を教えるのは好きだから、いろいろ工夫をします。
好きなことだと考えるのが苦にならないので、工夫しやすいようです。
萎縮すると何でもダメです。


今日は、付き合っている人が料理を作りに来てくれました。
嬉しいです。
今人参とピーマンを切っています。
参画コーナーを知らなかったので教えました。
そんなこともわからなくてごめんね、と言っていたので、三角コーナー使わなくて直接ゴミ箱に入れることも大いにあるよ、と教えました。

かわいいねえ、と褒めたら、なにが?というので、何もかも可愛い、強いて言うと素直さかなと伝えました。

昨日はつらかったけど、良いこともあります。