精神疾患があって良かったと思う理由
わたしは精神疾患があって良かったと思う。
母を捨てるきっかけになったからだ。
わたしは典型的な母娘カプセルに住んでいた。
母を崇拝して、口を開けば母のことを賛辞することばばかり。
母はわたしの友人に会って、楽しんだ。
わたしは母の友だちにもしょっちゅう会って、お茶に付き合わされた。それが異常なことだと気づいたのは最近だ。
体に異常が出たときは十六の頃。
それを無視していたら、精神に異常が出た。
母は、精神科に偏見があったので、わたしを精神科に行かせなかった。
二十歳の誕生日と同時に、精神科の扉を開いた。
わたしには診断名を主治医は教えなかった。
母はなんで教えてもらえないんだ、と言って怒っていた。
わたしは主治医のことが好きで通った。
話が面白かった。
主治医は精神病の症状が出て良かったんだよ、と言った。
なぜですか、と聞いたら、自分らしく自分の人生を生きるきっかけになるからだよ、と答えた。
世間の価値観に合わせて、みんなの言う通りに生きていたら、年を取って、人生をやり直すよりも、若い方が良いでしょ。いつでもやり直せるけれど、若いときの方が良い。
わたし、人生をほとんど無駄にしたんですよ、もう、無理です。
まだ、若いじゃないの、先生なんてもうおじいさんだよ。
そんな問答を繰り返した。
わたしは症状を薬で抑えた。あまり抗鬱剤が効いたとは思えなかったが、パニックを抑えたり、自殺衝動を抑える薬は良く効いた。わたしは死なないで済んだ。それが良かったのか、悪かったのか、わからないけれど。
まあ、とにかくわたしは生きている。
母から逃げたのは我ながら、今までの人生の中の最大の判断で、もっとも誇らしいことだ。
わたしは母に墓の守を頼むと言われていて、そのあと、墓守娘、という言葉を知って失笑した。
わたしが人生の最悪なときに、彼女はパワーゲームをした。わたしを見捨てて、わたしが頭を下げて、母をたより何でも言うことを聞くという態度を示すのを待っていた。それがうまくいかないと、わたしの友人を警察に通報したりして、嫌がらせをした。わたしは死にそうだったので、パワーゲームに付き合うと言う判断はできなかった。できないほど、死にそうで良かったと思う。人生の底に行き当たらないと、なかなか親から逃げることはできない。
母からは慣れて一人暮らしをしたとたん、いろんなことができるようになった。
仕事にも就いて、働けるようになった。
お願いだから、働かないでくれと言われていたわたしだったのに。
精神疾患やからだの症状がなければ、わたしは母の異常に気づかなかった。
母と言う宗教を信じたまま、一生を暮らしただろう。
それはそれで平和だったのかもしれないが、母が死んだら、わたしは生きていけなかった。パートナーも得られず、惨めな人生を送っただろう。
精神疾患がつらくなかったとは言えない。わたしから奪った年月は長い。
だけど、それ以上に母がわたしから奪ったものは大きい。
わたしは精神疾患をきっかけに、母から逃げた。
だから、異常を知らせるシグナルとして、病気には感謝している。