c71の一日

生活の記録

親のために必死だった

親のために必死でテンションを上げて、いつも、称えていた。
太鼓持ちみたいだった。
テンションを上げてないと、泳いでないと死ぬ魚みたいに、口をパクパクさせてた。
休む暇なく親を尊敬していて、自分のことを考える時間がなかった。
親の言うとおりにしていないと、世界が崩壊してしまう、親を尊敬してないと、世界が終ると思ってしまっていた。
だから、テンションが高かった。


自分は恵まれていると思っていたし、そういう風に言われていた。
こんなに幸せに恵まれている子供はいないよと言われて、常に死にたかった。これ以上幸せになれないんだったら、今死にたいんだったら、生きられる要素がないと思っていたので、どこで死のうかなーと思っていた。
疑問を持ったら死ぬぐらいのことだから、とにかく必死で親最高、親素晴らしいと唱えていた。
今もおかしいけどあの頃は、親教、親をあがめる教だった。虐待かどうかわからないけど、とにかく自分の意思を些細なことでもひねりつぶされたり笑われたりするから、自意識を殺して、親の言う通りにして、それが素晴らしい、正解だと思っていた。





謎を解けば簡単なことなのに、不思議でしょうがなかった。なんで、わたしは死にたいんだろうと。
親のせいにしたら、世界が崩壊すると思っていたから、それは意識にも上らなかったから、自分がだめで努力が足りないと思っていた。
親のために生きていたから、自分を磨くために使うエネルギーが残っていなくて、自立もできず、悪循環だった。
どこかで断ち切ることが必要だったけど、なかなか難しくて、とうとう病気になった。病気になって、医者に行くことができて(親には反対された)、そこから人生が変わった気がする。他者が家庭に介入したからだ。


もう年を取ってしまったから、人生を取り返すことはできないと過ぎた時間を悔やんで恨んでいたけれど、時間はまだあると思えるようになった。

謎を解いてしまったら、親が苦しむ、そうしたら、答えを教えてもらえなくなって、人生がわからなくなることが不安だった。それくらい洗脳されていて、自信がなかった。


親を捨てると一大決心をした後も、親に相談しないで決めて、失敗することが怖くて、答えのない答え合わせに冷や汗をかいていた。
買い物をすると、いつも返品されていたのだ。
自分の判断はすべて間違っていると思っていたから、何かとんでもないことが起きる気がしていた。


だけど、間違った買い物をしたとしても、困るのはお金が減ることくらいだとわかってから、少しずつお金を自分で使って判断することができるようになった。それで、わたしはこれでもか、というくらいお金を使った。


確かめるために必要だったのかもしれない。お金を使うために働かないといけないから一生懸命働いた。これは自分のためだ。
自分のために働くようになって、ようやく落ち着いて、くつろいで、過ごすことができるようになったら、エキセントリックでテンションが高い部分が減った。友達も増えた。
あのころ友達だった人には感謝してもしきれない。


だんだん成長するにしたがって、「親も間違えるのでは」と思うようになった。


親は大人だから捨てても勝手に生きていってもらえると死ぬほど医者に行ってもらって本当に良かった。
それと、親が私に勉強をさせていたので、自分の言葉を取り戻したり、趣味をしたりして、親から脱却できたので勉強をさせるタイプの親に当たったのは幸運だった。

親の代弁をしているうちは自分を生きているとは言えない。

自己表現することと親から自立することは同じことだ。
そうすることで、くつろぎを手に入れた。